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【記憶より記録】図書館頼み 24' 1月

 さてと・・・厄介な季節を迎えようとしている今日この頃。
 厄介?!
 
そう、花粉確定申告ですね(汗笑)。
 もっとも、花粉症の方は病院巡り(眼科・内科)を終わらせたので対策は完了と。残るは確定申告を迎撃するだけなのですが、今年はインボイスがあるので、慎重に段取りしております。(※心の声:あの使い難いイータックス・・・全く好きになれん。毎年やっていても、慣れる気がしない。)
 とかく、義務ってのは厄介かつ面倒なものですが、いずれはやらなければならないわけなので、四の五の言わずに集中して片付ける所存です。 

 とまぁ、自身を鼓舞するのは此処までにして、本年の開口一番となる1月の「図書館頼み」を備忘して参りましょう。

1:世界の三猿 その源流をたずねて
  著者:飯田道夫 発行:人文書院

 日光東照宮の三猿を知らない日本人はいないだろう。
 この ” あまりに有名な三猿 ” は、何ゆえ厩舎きゅうしゃに設えられたのか?
 それは、鎌倉時代に記された「石山寺縁起絵巻」にも描かれていた通り、中国の陰陽五行説庚申信仰の影響によって、馬を守護する役割を猿に担わせたと言った風に伝えられる事が多い・・・云々。
 とまぁ、冒頭から浅い蘊蓄を垂れ流すようで申し訳ないが、要するに、私自身もこの程度の知識しか持ち合わせていなかったと言うことだ。故に、著者の仮説や探究の過程を興味深く読むことができたのである。

 本書は、著者の人生を賭した探求の書であった。
 装丁のくだけた印象とは異なり、内容は至って真面目。マニアックといっても差し支えないだろう。エビデンスを感じさせる資料からの引用は勿論のこと、著者自身の体験や具体的な事例を挙げながら「三猿の源泉」に肉薄していくのである。(かなりディープな世界が広がっている。) 

 アフリカ旅行の折に出会った三猿の木彫刻を発端に三猿研究にのりだした著者は、早々に既存の研究成果やネット上の情報に疑いを持つようになる。
 故に、「道教、儒教、仏教、神道が混然一体となって生み出した傑作」という先達の論(冒頭の説)を、真っ向から否定している。
 ただし、そこには三猿研究の先達に対するリスペクトが存在しており、読後感を悪くさせるようなことはない。きっと、著者の真摯な姿勢も影響しているのだろう。少なくとも私は好感をもって読み進めることができた。

 個人的に面白く感じたことがある。
 それは、三猿の定番「不見 不聞 不言」に対する「逆さ三猿」「変わり三猿」即ち「見る 聞く 言う」を表す三猿が、世界中で散見されていたという事実である。これは、拙作の丸鼠 ↓ にも相通じるものであり、私を愉快な気持ちにさせてくれた。
 とかく人間は、人種や肌の色を問わず、似たようなことを考えるものなのだろう。ならば、争うよりは「和を以て貴しとなす」方が好ましい。

 さて、著者は三猿の源泉に辿り着けたのであろうか?
 ネタバレにならない程度に記すならば、「辿り着いたように思われるが、確証は得ていない。」といったところだろう。(正直なところ、余りに多くの事柄が関与していて、元祖の中の元祖が見つかるとは思えない。)
 ただ、三猿的な存在が世界中で散見され、それらは悠久の時の中にあって、ダイナミックな人的交流(宗教の布教や貿易等)を通じて広く伝播していったことだけは厳然たる事実として受け入れることができた。 


2:北前船が運んだ民謡文化
 
 著者:三隅治雄 出版:第三文明社 

 その道のオーソリティーによって著されたにもかかわらず、その筆致は柔らかい。これまで、民謡を素朴な郷土歌謡としてではなく、労働歌として捉えてきた私にとって、名も無き人々に対する著者の温もりを感じさせる眼差しに共感を覚えた次第。

 北前船とは、言わずもがな「北国廻船」のことを指す。江戸時代から明治期にかけて日本の物流を担っていた北前船の航路は、大阪を出発してから下関を経由し、日本海側に点在する名だたる港を巡って、北海道の松前、江刺にまで達する。この長大な距離を、海流と風力と人力を頼みに航海していたという事実に思いを馳せる時、私は軽い眩暈を覚えてしまう。

 著者は、北前船が運んだ文化の一粒として民謡を抽出した。
 北前船に乗船していた名も無き水主かこ達が口ずさんだであろう民謡は、物質的かつ経済的な色合いが強い物流とは明らかに異なる無形の伝播であったと言えよう。
 著者は、それらの民謡の出自や、雛形となった民謡が、各地で如何様に醸成され、そして変化していったのかを、学識経験者の尊大で無味乾燥な考察としてではなく、市井の人々が紡いだの史話として描いている。

 文化や慣習の伝播を考える時、内陸の街道を舞台にした血流の如き伝播とは異なる趣を、水主たちが果たした伝播の様相の中に見る。
 船底の下に広がっている地獄を受容れた水主たちは、緊張と緩和の狭間に生じた酩酊の中で民謡を唄ったはずだ。その情感の籠った歌声は、港町に暮らす人々の心に特別な響きをもたらしたであろう。そして、水主たちが他意もなく伝播してしまった民謡は、港町や近隣の色町から多方面に広がり、各地で独自の進化を遂げていった・・・。
 本書を読みながら、かような情景を想像するにつけ、民謡が保持し続けているポテンシャル(伝播・拡散する力も)を思い知らされた。

 最後に、石川県七尾に遺る「七尾まだら」を本書から引用させて頂く。

七尾まだら
下の歌詞を次のように産み字(子音に付随する母音を延ばす、その母音の変化)を多用しながらうたう。

♬ めでためでたの 若松様よ 枝も栄える 葉も茂る

音頭取「めでた めでエヨエーエエーエ エーエエーエ エー度アのオーオ オーオエ」

座衆「イヤ ヨー エヨエ エヨエー」

音頭取若まアーアー」 ※音頭取りの後を座衆が続ける感じ(伝吉補足)

座衆アーつゥ イヨホノホイ コノ イァアイ  アア アア ヨオイ ヨエエヨエー エヨエー ハレ-エイヨ- ホノホイ ア ヨイコノ サイヨホホイヨー イサー エー」

音頭取「イャア 枝アーアー

座衆「アアも イヨオオ ホイコノイヤ さアかアーえるゥーゥー ヨオイヨーエー エヨエ エヨアーエーイヨホノホイ アー ヨイコノサー 葉ァもゥしィーィーげるゥーゥー ヨイサーエー」

このま館は めでたい館 鶴が御門に 巣を懸ける
差すぞ盃 中見てあがれ 中は鶴亀 五葉の松

「北前船が運んだ民謡文化」第3章より引用

 北陸の地を想う。
 去る震災に見舞われた東北各地方の復興に至る過程と現況を眺めれば分かる通り、時間は掛かり過ぎるくらいに掛かるはずだ。それは、利便と合理に身を委ねてきた私たちにとって苛立ちを覚える事実に違いない。
 しかし、私たちは思い返さなければならない。ひと漕ぎで進む距離はひと漕ぎ分でしかないことを・・・。
 ただ、皆で漕いでいれば、追い風や潮流に恵まれることもあろう。そして何より、北前船が闊歩した海と共に生きてきた人々なればこそ可能にする舵捌きかじさばきもあるはずだ。
 僅かな僥倖を至福と捉え、長期戦に挑むしかない。
 苦渋に満たされた盃の中に、鶴亀を見い出す時が訪れると私は信じる。

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