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残暑見舞い『天然かき氷はいかが?』

 残暑お見舞い申し上げます。
 何の因果か、今に至って梅雨に逆戻りをしたような湿気と、熱帯然とした酷暑に白旗を挙げるばかりの私。もはや、風前の灯火です。

 と言ったところで、拙 note の稀有で酔狂で賢明なる読者の皆様に、残暑見舞い方々「本物の涼しさ」をご提供させて頂きたく存じ上げます。
 どうぞ遠慮なさらずに、ヒヤヒヤ、ドキドキして頂ければ幸いです。 

宮城蔵王の名瀑布「三階の滝」を登る。(1989年1月:大学2年生の冬)
一段目の滝はメイン部分の氷結が甘く、際の岩と氷のミックス部分を登ることに。


 一瞥して「看板に偽りあり!」と声を上げた方。それは本当に正しいご指摘だと思います。けれども、この私奴わたくしめ「天然氷を使ったかき氷の映え写真」を載せるはずがないのです。
 その点、ご理解賜れれば幸い也。

お詫び
鼻からネタバレしているにもかかわらず、私の拙い「悪乗り」にお付き合いを賜り、誠に有難うございました。これらの古めかしい写真(1989年1月:大学2年生の冬)は、昨夕、アトリエの整理をしていた時に発見したアイス・クライミング中の写真です。


 つまらない冗談はここまでにしましょう。
 今年のお盆は、不穏な天候に呼応してしまったのか、予定通りに物事が捗らなかった感があります。良かった点があるとすれば、長らく心に引っ掛かっていた事柄の幾つかが解消したことでしょうか。

 殊に、先年鬼籍入りした親友(山岳部の盟友)の御母堂の仏前へ花を手向けることが叶ったのは、正に好事こうじだったと言えるでしょう。
 なかなか予定が合わず、今の今まで仏前に座すことができなかったので胸を撫で下ろしているところです。(同じ釜の飯を食った親友と旧交を温めることができたのも今は亡き御母堂のお陰。ありがたや、ありがたや。)

比較的氷結が進んでいた二段目の滝の登り出し。
下部はアイス・スクリューを温存するためアイス・ピトンを打ち込んだ。
この後、順調に高度を稼ぐも、終了間際で墜落(約10m)。
ザックとヘルメットとビレイヤーのお陰で大惨事には至らず。
相応の怪我を負ったが、足は動いたのでパートナー2名の力を借りて撤退を完了させた。


 また、帰郷した息子たちに、先々に起こり得る事柄とその後の処理について仔細を伝える時間を持つことができたことも安堵に繋がる出来事の一つになったように感じています。
 我が愚息連ぐそくれんの一名は社会人になりましたが、世間知らずは否めません。親の死後の諸事万事を完璧にこなすことは無理だとしても、各種手続きの概要を把握しないまま第三者(行政書士や土地家屋調査士など)に後始末を丸投げするようなことがあっては拙いと考え、法制度の概要や各書類の見方、そして処理の流れや問い合わせ先などについて、二人と膝を突き合わせて伝えることができました。
 これもまた「お盆が与えてくれた機会」だったと言えるでしょう。

 とまぁ、不穏な天候に始終翻弄されたものの「終わりよければ全てよし」といった感じでお盆休みを終えようとしているところの伝吉小父でした。 


「今年のお盆」に寄せて

 さて、かように懐かしくも危険な香りする写真を発見したからではありませんが、備忘よろしく「昨今の山事情」に触れておきたいと思います。

 世間様が夏季休暇に入って以降、山岳遭難・事故を伝えるニュースが飛び交っておりますね。私自身は『周期的に訪れる登山ブームインバウンド消費の一環としての無謀な登山が相まったことで野放図な状況に陥っている』というような印象を持っていますが、皆様のお考えは如何でしょうか?

 いずれにせよ、自身の年齢や経験・技術を客観視できていない登山経験者や、根拠のない自信を振りかざす不思議な人々が登山道を闊歩する状況を鑑みれば、高い確率で惨事が起きるのは自明の理と言えましょう。いやはや、山岳救助に従事する県警の皆さんや、地元の山岳会(遭対協など)の労苦を思うと頭が下がるばかりです。

 一方で、こうした憂うべき状況とは趣を異にする「稀代のクライマーの訃報」もまた、皆さんの耳に届いていたことと存じ上げます。
 去る7月27日には、かの平出 和也ひらいでかずや中島 健郎なかじまけんろうの両氏がK2でお亡くなりになりました。

 また、遡ること6月26日には、前人未到のクライミングを実践してきた倉上 慶大くらかみけいた氏が、富士山の登山中に急逝されました。(※冠攣縮性狭心症を克服してクライミングを続けていた彼ですから、相応の覚悟をもって山や岩に対峙しておられたことでしょう。)

 とまれ、その道のエキップの訃報は、直接的な邂逅の有無に因らず、悲しみを越えた喪失感をもたらすものです。何れの方々も、尊敬していたクライマーであっただけに遺憾でなりません。

 さて、時節は祖霊を供養するお盆なれば、昨今の「憂慮すべきお山事情」については、改めて稿を起こすことにしましょう。
 大自然は「覚悟ある者」と「覚悟無き者」の隔てなく命を奪うことがあるという変えようのない事実に思いを致しながら、今はただ、山に逝った敬愛すべきクライマー達のご冥福を祈るばかりです。

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