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【日常】27年の証

身幅が減り、刃渡りが短くなったモリブデン鋼の牛刀
ひらも裏すきも傷だらけ。
無論、他人様に見せびらかす様な代物ではない。

この牛刀は、台所に立つ嫁さんが愛用してきた三本の包丁の中の一本であり、なお且つ、彼女が携えてきた『嫁入り道具』の中で、僕が手入れすることを許された唯一の道具でもあった。

切れない刃物ほど危ないものはない。
だから、台所から「切れないなぁ。」という嫁さんの呟きが聞こえてきた時には、砥石を水に浸して準備した。
泥のついた根菜の下処理をしていた日や、食卓に南瓜が並んだ明くる日には必ず刃先を確認した。
とどのつまりは、刃元はもと切っ先きっさきの欠けを見つけた時には、躍起になって研いでいたということだ。

こうして『嫁さんの包丁』は、その身を減らしていった。

刃裏には、嫁さんが通っていた『やまクッキングスクール』の刻印が薄く残る。

けれど、『切れ味だけを考えて研ぐこと』それは『僕の自己満足』だった。
ある時、この包丁を一日でも長く使いたいと考えていた嫁さんの気持ちを知ってから研ぎ方が変わった。

最初は妥協している様で嫌だったけれど、台所から聞こえてくる軽快な音を聞いていたら気にならなくなった。
そして、僕の包丁研ぎは、どんどんシンプルになっていった。
切っ先を尖らせず、刃先を従前よりも鈍角に研ぐようになった。
それまで許せなかった僅かな刃毀れはこぼれには目をつむった。
刃元が欠けたとて、実用に問題が無ければあえて研ぐことは止めた。
親指の爪に刃を当て『切れ味が残っていれば良し』と思えるようになった。

僕の中の妥協は、いつしか融通に変わり、融通は夫婦間の紆余曲折と山あり谷ありThe Long And Winding Roadを乗り越えさせてくれる一要素になっていったように思う。
一本の包丁が与えてくれた恩恵は計り知れない。

嫁さんと結婚してから 27年 を経ようとしている。
世に云う『〇〇記念日』なんてバタ臭い言葉では括れない重みを感じているところだ。 

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