「死にたい」と「生きたい」
死にたい理性と生きたい肉体
ロマン主義の洗礼を経た今日では、情熱・情念はどういうわけか、生よりも死と密接な関係が想定されるようになった。いちばん多いのは死をも恐れない情熱というかたちだけども、さらに進むと死を自ら求める情熱みたいなものまである。だけども、多分に文学的な情熱であって、死自体というよりも死による「解放」とか「完成」という観念や理想に対する情熱と言った方がよい。死ぬことによってウジがわき腐乱する肉体には目を向けない、観念的な「死」である。
前にも書いたけど、情熱・情念というのはパッションだが、語源的には受苦(キリストの受難劇はパッション・プレイ)と同源である。受動態のパッシヴも同語源だ。振り下ろされる鞭によって裂かれる肉の痛みのように、自分が客体として被るもの。かつては外からやってくる霊的な力によるものと解されていたんだが、今日ではそうした霊や力の存在が否定されてる。だから、すべての情念や情熱は肉体に根拠をもつということになった。そして、高等な生命体に情熱や情念を感じる力が備わっているのは、ほかでもない生きるためだ。
そうである以上、パッションは生命活動の現われなはずである。「生きたい」から情念や情熱があるし、情念・情熱がある以上は「生きた」がってる。「死にたい」という情念は語義矛盾であって、晩年の思弁的なフロイトにもかかわらず、自分はタナトス(自己や他者に死をもたらそうという衝動)さえもエロスに還元され得るんじゃないかと思ってる。まあ、一種のエロス一元論と言ってもいい。
実際に、「死にたい」はだいたい何か小難しい理屈がついてくる。情念というよりは理知的なものだ。言葉によって正当化しないと、自分も他人も説得できない。「生きたい」はそうじゃない。なんの理屈も必要としないし、あらゆる理屈を受け付けない。シンプルに「生きたい」で通じるし、理由なんていらない。
むろん、死にたい当人にとっては、気分が滅入って死にたくなるのは理屈じゃない。気分は自分の意志の思い通りにはならない情緒だ。だけど、それを「死にたい」と表現するのは人間の頭であって、肉体はそれに同意してない。肉体としての人間は、弱ったときにエネルギーを節約しようとする。外からの刺激を遮断したがる。だけども、それもまた元気になって生きるため、少なくとも死ぬのを先延ばしするためだ。
たとえば弱ってる猫は、人目のつかないところに身を隠す。水も飯も摂らずに、ただじっとしてる。それが、まるで死を覚悟してるみたいに見える。でも、彼・彼女が口をきけたとしても、「死にたい」とは言わんと思う。弱っていて、外からの脅威から逃げることもできず、爪牙で抗うこともできない。それだけじゃない。弱ってるときには、快楽でさえ危険だ。食べて消化するのだって体力がいるし、欲望を刺激されると焦りも生ずる。歓びをもたらす刺激でさえストレスになる。だから、世界との交流を絶ってしまう。死のうと思ってではない。盲目の本能が死に抵抗してる。
わしの「死んでもいいや」体験
これは机上の空論じゃない。自分も一年くらいそういう死にかけの猫みたいな状態になってたことがある。ただ、猫とちがって、そうなった直接のきっかけは肉体的なものではなく精神的なもの。人生がたまに思い出したかのように打ち下ろしてくるハンマーの一撃を三連発くらい喰らって、メンタルを守る鎧をバラバラに砕かれた。
自分の場合も、最初の一撃の反応はやっぱり「死にたい」(というより「死のうかな」)であった。高いビルなんかの前を通ると、あそこから飛び降りれば死ねるかななどと、けっこう冷静に考えてた。大学の隣のエキシビジョン・センターでガン・ショーなどが開催されてるのを見て、銃を買っとこうかなとも考えた。別に死ぬと決めたわけじゃないけど、いつでも死ねるようにと、身辺整理を始めたりした。
でも、「死にたい」や「死のうかな」と「死のう」とのあいだには大きな開きがある。今から考えると笑えるんだが、身辺整理をしているとき、偶然に自分の CD コレクションを発見した。これをもう一度ぜんぶ聞くまでは死ねねえなと、すべての曲を年代順に並べ替えて、通勤時間中に聞き始めた。いちばん古いものが1925年で、毎日聞いてるわけでもないし、途中に断絶もあって、いまようやく1992年までたどり着いた。もう十年以上もこれを続けているわけで、本気で死のうなんて思ってる人が手をつけるような事業であるはずがなかった。
だが、そうやって音楽を聴いてるうちに、自分はある興味深い事実を発見した。古いゴスペルなどにおいては、死への恐怖をテーマにした曲が五万とある。自分がこれに気づいたのはブラインド・ウィリー・ジョンソンやサム・クックが若い頃に所属していたソウル・スターラーズというグループを聴いていたときだが、それなどは氷山の一角に過ぎなかった。
福音の歌だから、キリストの慈悲に訴えて死への恐怖を和らげる内容である。
不思議なのは、こんな歌を聞きたがった人たちは、片足を棺桶に突っ込んだ老人や、死の床に臥す病人だけではなかった。昨日、ジャン・ドリュモーという人の書いた『恐怖心の歴史』という本を読んでいたら、彼が十歳くらいのころ通ったカトリックの学校では、少年たちにそういう歌を暗唱させてる。つまり、死に対する恐怖心は、万人に共通の、かなりありふれたものとして認められていた。むろん、死にたくないから死を恐れるんだが、キリスト教であると死が恐ろしいものではなく永遠の生への第一歩であると説得して、恐怖を和らげる。言ってみれば、生きるために死ぬということにしてる。だけども、自殺すると地獄に堕ちる。試練として生を全うしないとならない。
そんな調子だから、一月、二月経つと、自分でも薄情に思えるほど簡単に「死のうかな」は背後に押しやられて、以前にも増して情熱的に仕事に打ち込み始めた。猛烈な勢いで、論文を書き始めた。それも、ほかでもない死について興味を抱いて、いろいろな文献を漁り始めたんである。自分のような破局を迎えた者は、古今東西に掃いて捨てるほどいる。その人たちが、みんなただ絶望に身を任せていたわけがない。いったいどのようにして「死にたい」とか「生きてる価値がない」という気分に対処したのか。そういう「死の文化」みたいなものがあるはずである。それが自分の関心であった。先のゴスペルなどがこの一例であるが、その背後に死への恐怖心をもたない宗教心などというものは、ほとんど考えることができない。
そうやって調べてみると、出てくるわ、出てくるわ、いくらでも資料がある。やっぱり人類には自分のような体験を経たひとびとがたくさんいて、死の問題について悩み考えてきたんだな、と得心した。ひとは死にたくないのに死ぬからだが、もうひとつある。天命を全うするずっと前にでさえ、「死にたくない」のに「死にたくなる」からである(あるいは、自殺願望のある人なら「死にたい」のに「死にたくない」から)。これがもう他人事ではないから、研究するのが面白くて仕方がない。寝食を忘れてこの研究に没頭する傍ら、自分のキャリア再建のために毎月論文を一本書きあげて、なおも疲れを知らなかった。自分の知的生産性がこれほど高かったことは、前にも後にもない。
ところが、運命の女神は自分を破滅させることをすでに心に決めておられたらしい。自分が喜々として研究に没頭し始めたその時を狙いすまして、思慮の足りない人々の善意という思いもよらない手段を介して、世界は自分に強烈な破砕槌の一撃を振り下ろした。本来ならここで参ってしかるべきだが、しかし自分はこれに耐えた。とても研究なんかできないという環境に置かれても、笑って鉛筆と紙で研究を続けた。
だが、自分たちが処刑した罪人が、またむっくり起き上がって、何事も起こらなかったかのように彼らの周囲をうろつき廻ることを、運命の女神の死刑執行人が許すはずがなかった。そんなことを許したら、自分たちの良心が安らかでいられない。傷つけられた善意の無垢さが回復されねばならない。そこで慈愛に満ちたとどめの一撃が準備されて、その一撃の下に自分に残された最後の鎧も砕かれた。
それでも自分は研究を続けたんだが、もう尋常な精神状態でなかった。世界がバカげた不条理な場所であることが、理性の力ではもう否定できなかった。以前のルーティンを守って、早朝から仕事をするんだが、夕方くらいになるとなんとも言えない不安が嵩じて耐えられなくなってくる。そのとき自分は生まれてはじめて、人間を数々の愚行や蛮行に走らせる狂気が何たるものかを知った。あの憑依やら残酷な生贄儀式やらを行わせる宗教的熱狂のもととなったであろう狂気である。何かに取り憑かれたかのように、自分で自分を制御できなくなって、何をやらかすか分からない。そういう恐怖を味わった。
この時に苦しみながら書き上げてある雑誌に送った論文が送り返されてきたとき、自分はそれが自分の書いたものであることが信じられなかった。自分で自分が何を言ってるのかまるでわからない、自分自身が自分にとって不可解な存在になるというのは、生まれて初めての経験であった。まるでそれを書いた時には、悪魔か何かが自分に憑依してたみたいに感じられた。
身体の引きこもり戦略
こうして帰国した自分は廃人みたいになったんだが、後知恵で考えると、理性の殻を失ってむき出しになったメンタルを守るために、身体があらゆる外界からの刺激をシャットアウトするようにしてたのだと思う。そうしないと、自我を失って本当に発狂しかねなかった。実際に、本を読むのはおろか、テレビを見るだけで訳の分からん息苦しさを覚えたし、音楽を聞いてもただの不快な雑音にしか聞えなかった。身体が、感情に触れるあらゆるものを遠ざけた。不可解な怪物と化した世界との交流を拒んだ。
これをある人は「死にたい」気分と表現するかもしれない。でも、行動が言葉を裏切ってる。自分の肉体をこれに従わせるのに苦労する。体が抵抗する。だから、世間にはつねに死にたい人がたくさんいるけど、実際に死んでしまう人はそのうちのごくわずかである。
だから自分の場合は、「死にたい」ではなくて、「生きてても死んでても、どっちでもいいや」という表現の方が近かった。「死にたい」なんて考えるのさえ、余計なストレスだった。そんなことをしたら、死ぬために何かしないとならなくなるし、それができないと焦ったりする。抗う肉体にイライラさせられて、それで消耗してしまう。要するに、死ぬのはかなり面倒な事業であって、それができるくらいの余裕があるなら別のことだってできる。死にこだわるには、なにか別の理由がいる。
だが、生きてても死んでても同じと思ってるから、ろくにものも食わない。見る見るうちに痩せて細っていって、骸骨のようになった。片道一時間弱の図書館を往復するだけで、町中で遭難するくらい体力が落ちた。「死のう」という決断はしなかったけど、結果的には緩慢な自殺みたいなことになった。
でも、もとより「死にたい」という積極的願望はなかったから、メンタルの殻が再建されてくると、自然に「もう少し生きれるな」という感覚に変わった。これにもなんの決断も要しなかった。自分の身体の言うことを聞いただけである。だが、これができたのはもう世間との交わりを断って隠者みたいに暮らせたからで、もしメンタルがつねに攻撃にさらされるような環境で生きていたら(重ねて言うけど、苦痛だけじゃなくて歓びもストレスたりうる)、たぶん緩慢な自殺は完遂されたと思う。自殺者の数には数えられないけども、そうやって緩慢に死んでいく人はかなりの数にのぼると思う。実際に、通勤電車などに乗ると半ば死にかけているようなひとをたくさん見かけるし、日本にはそういう老人が健康を害している人の多い米国以上に多い。
「生きたいのに生きれない」という大事実
そんな特殊な体験のない人でも、誰にとっても馴染みの深いであろう性の問題との類推を働かせれば、この論理はわかるだろう。「交わりたい」はどんな理屈も受け付けない。性的な刺激に対しては、性的に反応するのが肉体の健康だ。それを「理性」によって統御する。しかし、肉体はこれに頑強に抵抗するし、鎮圧し切れても鎮圧者自身が何かを失う。それこそ生きる喜びを奪われて、死にたくなったりする。すなわち、「生きる」が「交わる(すなわち情念)」に、「死ぬ」が「理性」に対応してる。
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コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。