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#60 こんなことがあった(嫌な特技)

特技というほどの特技ではないけれど、あまり嬉しくない特技のひとつに、「包装の封を綺麗にはがして元に戻す」というものがある。

お中元やお歳暮でいただきものは父の現役時代は多かった方だと思う。父と同居していた頃は差出人や品名だけ確認して帰宅後の父に報告し、いただきものが父の好みだった場合はそのまま開封、そうではない場合は母にお任せと言う感じだった。その後者になると私が呼ばれて、包装およびその封を綺麗にはがして中身、たとえば、包装の中に手紙が入っているとかこちらの名前入りののしが入っているか、そして具体的な品物は何かを母が確認する。そしてその大半については包装を元に戻して(再現して)、母がお世話になっている人たちへの贈り物として家から出て行った。父が単身赴任になると、父が不在のこちらの家に届くもののほとんどは母がどこかへ持っていっていた。

つまり、父宛のいただきものが父の好みだった場合は主に父とはいえ家で消費することになるので私もそのお相伴に預かることができる可能性があるが、そうではない場合、特に私たち子どもに気を配ってくれたと思われるジュースやお菓子などは私たちが食べるわけではなかった。

近所付き合いでそういうやりとりが必要なのだろうということはうすぼんやりとながらわかっていたし、多分私たち家族だけで消費できそうにないくらいのいただきものが届いていたので、その中の大半を母がお世話になっている人たちへ回すことは家計的に正しいことでもあったのだろう。届いた分を無駄にする、それとは別に周囲へ配る贈り物を購入する、というのは確かに賢くはないことなのだろう。

ただ、それが繰り返されると、どうせ自分たちに回ってくる可能性がまずないものを何故受け取らなければならないのか、それが親の知人からの場合は次に会った時にいただいたお礼を言わなければならないが、その際にたとえば食べていないものについてそれらしい会話を続けなければならないことはストレスであった。嘘をうまくつく訓練には多分なったとは思うけれど。

また、父をはじめとして家で消費する場合であっても包装は綺麗にあけなければならなかった。昭和の家庭あるあるだと思うけれど、百貨店の包装は綺麗なものが多く、それらは「いつか使う」時のためにストックされるべきものだったため、再利用を意識して開封し、その包装紙を綺麗に畳む必要があった。父はばりっと包装を破るタイプ、母はどちらかというと苦手だったので、いつしか「あんた、得意でしょ」ということで私が担当することになっていた。

なお、うちは私の2.5歳下の弟がいるのだが、それ以外の多くのことと同様にその弟にこういった作業が回って来ることはなかった。男尊女卑がしみついた家庭だったので、弟がなおざりにされていたわけではないが、100あるとすれば90程度は弟はいないものとして回っていたのが私の生家で、それは父母が意図的にあるいは無意識にそうやってきた結果だと思うのだけれど、仕事を回されていた私の存在が悪いようなことは虫の居所が悪い母には何度も言われた。あれは今でも謎である。

さて、包装紙や紙バッグは多分段ボール2箱分は常に集まっていたと思う。父が亡くなった後に途中までやっていた家の片付けの際に思い切って処分したが、また増えているかもしれない。

父の仕事関係のいただきものについては、生ものや父が好きなもの以外は、右から左へと私たちの前を通過していくものがほとんどだったので、お中元やお歳暮のシーズンは毎日のように包装紙の作業をする週もあった。子どものことなので何か仕事を任されたり頼りにされることは嫌いではなかったが、ただ、「なぜうちに届いているものを私たちは楽しめないのか」という疑問はずっと持っていたと思う。

父が定年退職するとそういったいただきものはがくっと減ったが、これは仕事上の付き合いが無くなっただけではなく、「虚礼廃止」だったり景気が悪くなったりで、お中元・お歳暮商戦の規模が小さくなったこととも関係しているのかもしれない。

父とは異なり、仕事関係の人脈が派手ではない私が仕事関係でいただくものは年間を通して数件というぐらいだ。

ある日、母が私のところに遊びに来ている時にそういった贈り物が届いた時、母は、「いいじゃない。それ、私がお世話になっているところに持っていきたいから、開けるなら綺麗に開けて」と言い出した。いや、あなたがお世話になっているならあなたが自分でなにか選んで持っていけばいいことだし、そもそも私宛に届いたものに何を言うのだこの人は、と思った。そう思ったので、わざと乱暴に開封した。「だめじゃない」と母は言ったが、お菓子だったのでそのまま私と子と、そして母で食べた。

とはいえ、私の家でも、紙バッグと綺麗な包装紙は小さ目段ボール1箱程度にはキープされていて、「いつか使う」日に備えられている。