私は神様に愛されてるから絶対に大丈夫なんだよ
空の青さが深くなって、葉の緑が濃くなっていく。
突き抜けるような日差しが、何も見えなくさせる。
神様は居ても居なくてもいい。私も、居ても居なくてもいい。私が居ても良いように、神様が居ても良いって、お祈りをする。
行ったことない街を歩いて、どこの街も人が作ったのだから、大した違いは無い。それでも少し違う風の抜け方や、見た事のない花。
小さな新しさを探して、見た事のない道を曲がれば、小さな鳥居や大きなお寺。
通り過ぎず、友達の家に遊びに行った時の「お邪魔します」の様に当たり前に、お辞儀をして
「こんにちは!この街は初めてです。よろしくお願いします」と頭の中で挨拶をする。
貴方が守る街なのですね、とても素敵な街なのですね。とても素敵な街なのは、貴方がここに居るからなのですね。
神様だって、褒めてあげる。神様だから、褒めてあげる。
そうしてみるだけで、その後の景色の色は変わっていく。
街そのものが友達みたいな気分になって、仲良くしようねって思える。
何度か行く街のお寺も神社も、お賽銭を心ばかり入れて手を合わせ、自己紹介をした後に
「お久しぶりです。今年もお世話になりますね」と親しみを込める。
お気に入りの街の神様は、何度だって会いに行きたい。友達の様な感覚で、手を合わせてお話をする。
見合わないほど長い間手を合わせるから、欲張りだねって笑われる。
「去年はお世話になりました。」「お陰様で良い一年でしたよ」「今年も何度かお会いしたいです」「願いの形が変わったんです、聞いてってはくれませんか」
輪郭のない願いを、輪郭のない彼等に願う。
そうすると少しは、私の輪郭をなぞったような気持ちになる。
何処までも区切りのない願いが、何処までも区切りのない彼等になら、託せるような気がする。
愛、大きくて途方もなく、何処までも不確かで、私を蝕む。
恐怖、大きくて途方もなく、何処までも不確かで、私を蝕む。
悲しみ、大きくて途方もなく、何処までも不確かで、私を蝕む。
人の私が生み出すもの、人が私に生み出すもの。
人の中、私の中だけじゃ、どす黒くなってしまうもの。でもそのいちばん底まで行くと、あの日願った彼等が浮かぶ。
背中が暖かくなったような気持ちになって、ただひとつ、「そうか」と思う。
私は神様に愛されてるから、絶対に大丈夫。
私が神様を愛しているから、絶対に大丈夫。
最後の最後は神頼み、居ても居なくてもいいの。
私が神様を愛しているから、絶対に大丈夫なんだよ。
神様が居ないなら私がなるから、
それでも絶対大丈夫。
私が居ないなら神様がなるから、
それでも絶対に大丈夫。
そうして彼等に託すうちに、私は私に私を託せる。
私は私に愛されてるから、絶対に大丈夫なんだよ。
神様を通してそうなっていけばいい。
私を通して、神様も神様であればいい。
居ても居なくてもいい。
流れていく全ての事の中で、
時たま私の輪郭をなぞるために祈るのだ。