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先生、お話聞いて①

私が初めて心療内科に足を運んだのは高校3年生、18歳の時だった。

母に頭がおかしいと言われて連れていかれたが、

先生には
「貴方は強いから大丈夫、思春期の範囲内の様にも思えるし一概には言えない。それよりお母さんの方が心配。もし、それでも自分のことが気になるようなら、聞きたいことや経歴を紙に書いて持ってきてもいいよ。次の予約を取りましょうか?」
そう言われて、何だか肩透かしを食らった気分になったのでその後に行くことは無かった。

母も自分の方が疑われるのに良い気分はしなかったのだろう、母から特に再診を勧められる事もなかった。

数年後、次は妹が18歳の時、私の誕生日を過ぎたくらいから母は家に帰ってこなくなった。
半年程かけて少しずつ外泊が増え、今では家に彼女の姿はない。

妹は卒業と同時に実家を出たので、取り残された父と私だけで生活している。

それから毎年、自分の誕生日が過ぎたくらいから心療内科やメンタルクリニックに自分で足を運ぶようになった。

母の失踪が原因で精神病を患ったから、という訳でもない。

寧ろ逆だった。
母が居ない生活の中で、やっと私は私の穏やかな生活の為に心の病院に行くという選択出来るようになったのだ。

彼女に心配されない、馬鹿にされない、軽蔑されない。それが一番大きかったのかもしれない。

小さい時から自分が歪んでしまっている自覚はあった。そう言うと、厨二病みたいで恥ずかしいから、やっぱ無しで…と言ってしまうと数箇所と巡った精神科医の、あの頓珍漢な顔が浮かばれないので訂正はしない。
その歪みとやらを、早い内に対処していれば今の私はメンタルクリニックに通っていなかったかも、しれない。

歪んだまま大きくなってしまったので、数年は病院に行って先生の前に出てからも大変だった。

まず先生は問題に見合った薬を出したいのだと思うが、私の歪みは年月をかけて思想になっていた為、先生には思想を治す薬は無いと言われた。

言い方も良くなかったのかもしれない。

「私はこれを絶対に正しいと思っています。
    でも、これは間違っているんだと思うんです。
   しかし、私に私の正しさを反論する言葉が
    私には用意されていない。
    だから私は私の力では正せない。
    でも、正しくありたい。」

こんな事を永遠に言っていた。厳密に言うと、今も言っている。

そもそもなぜこんな動機で精神科に行ったかと言えば当時運悪く付き合った男が「女を殴らない男」で、私が「男に殴られたい女」だったからだ。

私は沢山の筋の通った思い込みで生きている。自分が正しいと決めた、行き着く先まで行く極論のようなものに縋っている。

そのひとつが、

「自分は殴られるべき存在である」

これは幼少期から虐められていた私が気付いたひとつの結論だ。これを間違っているという漠然とした「そう?なの?かも?」みたいな気持ちはある。

しかし、私はこれに反論出来る言葉を何も持っていないのだ。逆にどれだけの人がこの意見にしっかりと反論出来るものだろうか、という過信すらある。

これの困ったことは「自分」だけに収まらなくなるところだ。相手に腹が立った時、殴りたいと思った時、私は平気で相手にこの感情を覚える。「相手は殴られるべき存在である」と。

ここまで聞くだけでも私の歪みは何かしらの問題点を孕んでいることが分かると思う。因みに私はそうは言っているが、問題点に目を向けて対処する方法を知らない、というか知りたくない。

何故なら私は殴られてきたから。
沢山傷付けられて、沢山虐げられて、沢山無下にされてきたから。そうして生きてきたのに、それを受け入れて今日まで笑顔でいるのに、それが間違ってるなんておかしいじゃないですか。受け入れられるわけ、ないじゃないですか。

私を殴って笑ってる人が居るからいい事をしてるんです。楽しそうで、ストレス発散にもなって、相手の社会性を保つのに役に立っています。だから、正しいじゃないですか。

そう信じて止まない私のせいで、私は私として生活することに不具合が生じて困っているのだが、先生が先程言っていたように、思想を治す薬はない。

どこに行っても先生は困った顔をしながら「カウンセリング重視かな……?でも保険適応外ですよ、それでも良ければ」と言って私を外に放り出す。

カウンセリングは結構高い。
薬は保険適用で、2週間分何百円という世界なのに、カウンセリングは40分で6000円程度する。

自尊心の低い人間こそやるべき事なのに、
自尊心が低いのでその額を自問自答に投資する事に躊躇してしまって辞める。

そうして通うこともなく、対処法が無いという対処法にだけ気付いて一年をやり過ごした。

#自分で選んでよかったこと


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