過去の出来事は、未来のリソースだ
先日、私の過去についてブログに書きました。
https://note.com/tekiou_nurse/n/ne9ebf9881272
どろどろとした内容だったかは、正直出し切れていないと思います。
今まで、くやしい思いをしたし、
言いたいことも言えなくて、たくさんの言葉を飲み込んできて感情だってたくさん蓋をしてきました。
私の生きてきた過程を、ブログの1記事だけでは語り切れないと思います。
この記事が、適応障害に適応することとつながるのかと思っていましたが、今日、ふと思い立って先日の記事に出てきたシーンを自己編集するワークをしてみました。
ワークで記憶を書き換える最中に
「あの出来事は、今の職場の後輩を守るために経験したんだな」
と腑に落ちました。
1.時を超えてつながるリソース
前回のブログを簡単にまとめると
私の子供のころは、いじめとともにあって仲間外れにされたり上靴を隠されたりすることも多く、なかでも印象に残っているのが保育園のころの幼馴染の友達とのあいだを引き裂いた「まゆちゃん」の存在でした。
その、まゆちゃんとの出来事で幼馴染に執着し離れていきました。
ブログを書いているときに、
私は、必要とされたかった。
私は、人に好かれたかった。
私は、愛されたかった。
と気づいたとブログに書きましたが、ワークをしているときに新しい発見がありました。
そのときのシーンを思い出しているときに
まゆちゃんが私に「Jちゃんと遊ぶのは私だから帰って。」といっているとき、Jちゃんはまゆちゃんの後ろでなにも言わずにこっちを見ているだけでした。
Jちゃんは
なぜ、助けてくれなかったのか
なぜ、私を選んでくれなかったのか
なぜ、見ているだけだったのか
まゆちゃんが年上のお姉ちゃんだったから、逆らうのが怖かっただけかもしれないけど、手を差し伸べてくれなかったのは悲しく、つらい出来事として私の記憶に保存されることになりました。
2.見て見ぬふりをするのは同意とおなじ
今までの職場でも、先輩に指導の域を超えた言い方をされたことがあります。
たぶん、新人時代には誰でも経験する道なのかも知れません。
先輩や指導者の立場では、はやく仕事ができるようにと指導に熱が入った結果なのかも知れません。
それでも、指導の域を超えた言動をした場合は周りがとめる必要があると思います。
でも、その線引きは曖昧です。
同僚であったり、仲良がいいとその言葉に違和感があっても自分との関係性が悪くなることを恐れて、そのまま流してしまうこともあります。
私も、先輩からの指導を受けているときに、役職者(主任)が近くで聞いていたにも関わらず知らないふりをしていました。
私が席を立つと、お互いで笑っている声も聞こえてきました。
「主任、聞いてるやん。先輩があんなひどい言い方してるのに注意しないなんておかしい」
と疑問におもっていました。
注意しなくてもいいけど、あとのフォローしてくれてもいいやんと思っていました。
結局、先輩の指導についていけず1年後にその職場を退職しました。
3.声にならない言葉をひろえる人でありたい
いじめや仲間はずれで誰も助けてくれなかった過去
指導の域を超えた先輩の言動を黙認するスタッフ・管理職
黙認する理由はそれぞれあると思います。
・教育だから
・指導しているから
・嫌われたくないから
上司やほかのスタッフがそんな態度をとってしまうと
新人や経験年数の浅いひとは、黙って受け入れるしかありません。
そんな想いをする人を作りたくない
ワークの最中にそう思いました。
だから、私は今、職場の人間関係を良くするために活動するんだと思います。
まゆちゃんとのつらい出来事は40年の時を超えて今、活動していることとつながっているなと実感しています。
人生はリソース(資源)の宝庫
つらく・くやしい記憶も、これからの未来につながっているかも知れません。
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