自由社VS学び舎 8.満州事変(3)
プロテスタントの宣教師達や米国顧問団、米国広告会社が裏で動いていました。日本とJPモルガン商会との南満鉄外債起債交渉は、つぶされてしまいます。これにコミンテルンの反日運動が重なります。蒋介石と対立していた張学良も蒋介石に近づきます。いつまでも対立しているといつソ連に排除されるかわかりません。満州の安全保障がいよいよ脅かされる状況になってきました。日本も同じです。関東軍は張学良に不信感を抱きます。
昭和6年(1931年)関東軍は、満州の現状を一気に改善しようと張学良の軍隊を追い払います。張学良の軍は15万とも20万ともいわれていましたが各地に分散していましたので、動きの速い関東軍と朝鮮から越境した日本軍応援部隊、わずか1万4千に各個撃破されてしまいます。これをよろこんだのは満州人です。
満洲国は、満洲語を話す民族300万人が、長親子の軍閥支配から独立して建国した国です。もちろん日本が後押しをしました。しかし、日本は、満洲人300万人を最後まで裏切ることはありませんでした。自由社230ページの側注にあるように、「1939年の時点で満洲国は、ドイツ、イタリア、スペイン、バチカンなど約20か国から承認されていた。」のです。蒋介石は、一度も満洲に足を踏み入れたことはなく、言葉も通じなかったのです。
満洲を支配する張学良の軍隊が消滅して、その支配権は、300万人の満洲人に戻り、清朝の最後の皇帝溥儀を元首に、故郷で独立宣言したにすぎません。これは学び舎の教科書ではわかりません。
清朝から独立した孫文ら漢民族はよくて、満洲人は独立してはいけないのでしょうか? 今では満州語を話す人は、一人もいなくなってしまったと、いわれます。ひどいしうちをしたものです。
ウイグルでも小学校からは北京語を強制されているそうです。満州のようになってしまうのか、今世界中がこれを注視しています。
続く