中学歴史教科書 自由社VS学び舎 3大東亜戦争(2)
自由社238と239ページです。
学び舎は、「アメリカは、日本にたいする石油の輸出を禁止し」とさらっと記述しているのに対し、自由社は、236pの「経済封鎖で追いつめられる日本」の見出しで15行で記述しています。
「経済封鎖で追いつめられる日本」
日本は石油の輸入先を求めて、インドネシアを領有するオランダと交渉を重ねたが、成功しなかった。こうして米、英、中、蘭の4カ国が日本を経済的の追いつめる状況がうまれた。・・・
さらに「ハルノートから日米開戦へ」の見出しがあり、ハルーノートこそが日本が開戦を決意した重要なアメリカからの外交文書だとわかります。
学び舎は、「ハルノート」という大事な文言を記述していませんが、実は
学び舎の「日本軍は中国とインドシナから撤兵すべきだ」と外交交渉で要求しました、という記述は、このハルノートに書かれたアメリカの要求の一つです。
どうですか。最後通牒とは、文字通り最後だよ、この要求をのまなかったら戦争しますよというものです。第2回をご覧になった方はもうお分かりだと思います。アメリカの要求を丸呑みしたら日本国内に1千万人から1200万人の失業者が町や村に溢れ出ることになります。少なくともアメリカはそう理解していました。つまりアメリカは、日本との戦争の準備ができていたと理解してもよいのではないでしょうか。
東郷外相によれば、このハルノートは、日本側が受け入れられないことを承知でアメリカが提出したもので、日本側に戦争か降伏かを選択させるものであった。降伏すれば日本経済は、マッカーサーのいうように大混乱となっていたのでしょう。誰が日本の首相であっても戦争は避けることができなかったのではないでしょうか。なぜならばアメリカは、日本が、外交交渉に期待をかけているときに交渉決裂なら開戦と決意していたのですから。そして交渉成功なら日本は大混乱になるのです。
イギリスをドイツの攻撃から救うには、アメリカはヨーロッパの戦争に参加しなければなりません。しかし、ルーズベルトは、戦争はしないという選挙公約をして大統領に当選した人です。本当のところは今でも謎ですが、結果は、日本がハワイの軍港を奇襲攻撃し、アメリカ国民は、選挙公約よりも戦争を選び、ヨーロッパと太平洋の2正面の戦いに臨んだのです。