#1 こんにちは!「てけ王」こと村上修司です
皆さんはじめまして!
「てけ王」こと村上修司と申します🐔🍗
唐突ですが、皆さん「ナレッジマネジメント」ってご存知ですか?📚
ナレッジマネジメントは「知識管理」と訳されたりもしますが、広義でのナレッジマネジメントは「知識経営」と呼ばれています。
知識創造と知識資産活用の連動が企業の源泉であると捉えて、『場』を活用したスパイラル循環構造を自然発生的に実現させること。
これがナレッジマネジメント(Knowledge Management=KM)です。
前職でナレッジマネジメントを実践していました。
その実践経験は僕の財産になっており、お問い合わせや講演依頼、コンサルティング依頼を今でも多数頂いています。
皆さんにKMの必要性をお伝えするにあたり…『野中理論(ナレッジマネジメント)は、これからの時代に圧倒的に必要になる』という記事が分かりやすいかと、下記のリンクをご紹介します。
ナレッジマネジメントは、本来ワクワク楽しいものです。
昨今、非常に注目されているナレッジマネジメントについて、僕の実践例が少しでも皆さんのお役に立てるなら嬉しいと思い、noteで発信していくことにしました!
Purposeがもたらすハピネス
〜暗黙知を形式知化する場づくり〜
と題しまして、僕が前職やサードプレイス(家庭でも職場でもない、第三のとびきり居心地の良い場所)で実践してきた、ナレッジマネジメントの実践例をお話ししようと思います。
お茶でも片手にお気軽にお付き合い下さい😊🍵
現職は、ナレッジマネジメントシステムのITベンダーに籍を置いております。
仕事を通じてたくさんのお客様とお話しする機会がありますが、総じて「これからの時代に必要なのはナレッジマネジメントだ!」と感じます。
ナレッジマネジメントで解決できる課題はたくさんあるはずですが、それに対して、ナレッジマネジメントを意識した実践例は、そう多くはないのかな、と思います。
僕の活動がどのようなものだったか?という「仕組み編」と、この活動がどのように生まれ育っていったかという「ヒストリー編」に分けてご紹介します。
さらに、現在取り組んでいる、会社の枠を越えたナレッジマネジメントコミュニティ「SECILALA」についてもお話しします。
過去に、ナレッジマネジメント界の権威から「日本唯一の実践例」と評価をいただいたこともありますので、たぶん本当に珍しい事例だろうなと思います。
そこで、「村上式ナレッジマネジメント」と名付けてみました。
講演実績
Concur Fusion Exchange 2017 Tokyo
2018年日本ナレッジ・マネジメント学会年次大会
一橋大学ビジネススクール
立教大学経営戦略論の講義
関西設計管理研究会オープンイベント(3回)
アクセラテクノロジ社イベント(10回)
他社様の社内イベント(10社以上)
他社様主催のオープンイベント(20回以上)
などなど。
最長170分喋ったこともあります(笑)
前職在籍中も、30社以上の方々が視察に来てくださいました。今でも、講演依頼や、コンサルテーションの依頼を頂いています。
これは、僕の持論なのですが、ナレッジマネジメントは、単なる「知識共有」ではありません。
人の繋がりをつくる、組織活性化の活動なのです。
そのため、この時勢にあり、ナレッジマネジメントへの注目度が非常に高まっていると感じます。
改めまして自己紹介です
「KMエバンジェリスト」と名乗っていますが、まずは改めて自己紹介をします。
1998年、某大手建材メーカーに入社し、経理社員として配属されました。
そこで推進していた自主参加型のナレッジマネジメント活動が、経理の枠を越えた大きな活動へと成長し、最終的に4,700人以上が参加する活動になりました。
2018年には、会社の枠を越えたコミュニティー「SECILALA」を設立。
2019年には、日本ナレッジ・マネジメント学会の理事に就任しました。
2021年、現職に転職し、主に製造業のお客様へ、ナレッジマネジメントが企業にもたらす効果や、ハピネスを生む活動であることを伝えています。
愛妻と愛娘と愛犬の4人(?)家族でございます。
前職での経歴
もう少し詳しくお話ししますね。
1998年に入社し、経理社員として配属され、工場経理担当になりました。
入社4年目の2002年に、とある工場の経理責任者となった頃に、自主的に始めたなんとなくのナレッジ共有活動。
この時にExcelで作った文書管理システムが、全ての始まりです。
その活動が、2006年には生産系の経理部門全体の活動に昇華。「KMプロジェクト」となりました。リーダーは僕です。
Excelで知恵袋を作ったり、メルマガを書いたり、全国の工場経理担当者の業務習熟度を測ったり、定期的に履歴書を書いてもらったり。
本業の経理業務の傍ら、色々と面白いことをやっていたのですが、2009年に本社経理部に異動することになりました。
ここに至るまで、11年間で国内7工場を回りました。
本社経理部に異動したことで、一旦はナレッジマネジメント活動の推進責任者ではなくなりました。(実は、システムの維持メンテは裏で任されていたんですけどね。)
その後2011年に、会社が5社統合するという大きな動きがありました。それをきっかけに、経理部門で「会計統一プロジェクト」が発足し、その中で「経理部門でもう一度ナレッジマネジメントをやろう」という動きがありました。
そこに呼ばれる形で、経理部門全体で僕が実質的リーダーとして、公式にナレッジマネジメントを再始動することになったのです。
推進は、まあ困難の連続でしたが…途中、小口精算のデファクトスタンダードとも言えるシステムの導入時にこの活動が大いに貢献したりと、経理部門においては確固たる地位を築いていきました。
活動は、グループ会社の経理社員や、他部門の社員も巻き込みながらさらに成長し、2016年、役員のプッシュもあり、経理の枠を越えて全社展開されることになりました。
これはかなりハッピーな出来事でした。
そして僕は、この活動の責任者という立場のまま、情報システム部に転属しました。
ここまでの入社後18年間は、経理社員として働いていたことになります。
そして情報システム部にて、それまでの手作りのナレッジ共有ツールから、ナレッジを部門横断的に活用できるクラウドのシステムを導入。「知識の木」と名付け、そこにナレッジが集まるためのたくさんの仕組み・仕掛けをつくりました。
情報システム部でも、紆余曲折、波瀾万丈な毎日でしたが、「誰もが公平に、誰でも輝ける場をつくりたい」という思いを持ち、この活動があって喜んでくれていたたくさんの仲間のために、精一杯頑張りました。
部門横断の意識改革活動として、経営層にも評価される大きな活動に育っていきました。
「KM」「ナレッジ」という言葉が、参加者の中では日常的に飛び交うほど、業務に浸透していきました。
しかし、4,700人以上が参加していると言っても、言うて国内社員の10分の1程度。
全社員が参加するもっともっと大きな活動にし、会社の文化にしたいと頑張っていたんですけどね。
特に営業部門への展開が進んでいたのですが…
…初回はここまでです。
次回、「晴天の霹靂」からお話しします。
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