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サステイナブル・デベロップメントを実現する東洋思想の方程式

ようやく暑さがひと段落しましたね。前回は、よい子育ての基礎として「孝敬」という考え方や「智慧」について書きました。

今回は、この「孝敬」と「智慧」のつながりや、私たちが目指す社会ついて書いてみます。

孝敬の実践例

私(手計)は朝起きたら田舎に住む母へ、毎朝「おはよう」LINEをしています。3日に1回は電話で声を届けます。ひと月に1回は帰省します。近くもなく遠くもなく電車で2時間ほどです。どれも用件は特にありません。

子供たちは私の帰省に付き合うときも付き合わないときもあります。でもたぶん私の言動を観察し、無意識に真似ているのか、朝どんなに寝ぼけてても急いでいても、必ず目を見て「おはよう」と言ってきます。

母におはようLINEをすることは、子供への影響だけでなく、自分の仕事にも影響をおよぼしています。「親を敬う大切さ」について否定する人はいないと思いますが、そのことと「仕事で成果を出すこと」がどう関係があるのか?については皆さんあまり意識していないかもしれません。

私にとっては、母に言えないような仕事のしかたはできないなとか、職場でこんな言葉を使っているのを母がみてたらどう思うかなとか、母からもらった自分のカラダや目や耳をすり減らさないようにオンライン会議は間隔を開けようとか、色んなところで影響しています。おかげさまで仕事の質が整い、売上は5年連続で増え続けています。

流行りのSDGsと古来東洋のSDの比較

サステイナブル・デベロップメント(Sustainable Development=SD)は「持続可能な開発」と訳され、「将来の世代が必要とするものを損なうことなく、現在の世代の要求を満足させる開発」と定義されているようです。そしてこのSDが向かうゴールを定めたものがSDGsということですね。

これに対して「なにを今さら?」と思う経営者もいらっしゃるのではないでしょうか。なぜなら東洋の経営手法は、とうの昔から持続可能な発展を目指してきたからです。

東洋思想における「持続」とは、将来の世代がよりよい精神と健康に恵まれるため、私たちの世代が貢献することです。開発ではなく「発展」と書いたのは、何かを新たに切り開くばかりではなく今あるものを展開・活用し豊かな社会を実現するのが東洋思想の特徴だからです。

四書五経の『大学』にこのような一文があります。

有德此有人 有人此有土 有土此有財 有財此有用 徳者本也 財者末也
徳あれば此(ここ)に人あり 人あれば此に土あり 土あれば此に財あり 財あれば此に用あり 徳は本なり 財は末なり

出典『大学』

徳=孝敬
人=人的資源、人的資本
土=文化風土、強い組織、良い職場環境
財=財的資源
用=福

徳のある人に人が集まり、みな孝敬をもって関係構築をすると、調和のとれた組織が生まれ、売り上げを伸ばし、財力を持ち、人材育成などへの再投資に用いることができます。「徳→人→土→財→用→徳」のサイクルを回すころが、東洋思想におけるSDです。

孝敬の実践でサステイナブル・デベロップメントを実現する

日本は大和の国と言われるほど、和を重視してきました。和=同調圧力とする論調もありますが、全くの誤解です。和は、個々がそれぞれに本分を持ちながら、お互いに孝敬で接し、大業を成し遂げる集団や組織に生まれるものです。

私たちの本の冒頭でも書いていますが、『弟子規』は孝敬の実践を教え、調和を目指します。その調和の連鎖が最終的には福へとつながるからです。

上記の『大学』にありました、「徳→人→土→財→用→徳」というサイクルが東洋思想における持続可能な発展を実現した、福のある社会の状態です。その起点はまず徳を積むこと、つまり「孝敬」の実践からです。この孝敬実践サイクルを回す過程で、どんな思考、言葉、行動が調和につながるのか「善悪」の区分がわかるようになります。そのような人は「智慧」つまり「物事の道理や本質を見抜く力、善悪を判断する力」がある人、となります。

「善」とは社会の秩序や調和に倣うこと、「悪」とはそれを乱すこと。
「善悪」は、法律ではなく「道徳」に則っている。

『リーダーとして論語のように生きるには』車文宜・手計仁志

どんなに優れた経営者も、そのカラダは両親経由で大地から借りているもので、たった100年後にはまた大地に返さなくてはいけません。であれば同じように、一代で築いた富も、得た知識も、遠慮なく(笑)次の世代に申し送りましょう。そう捉えると、経営戦略も長期視点になってきます。自分が引退する日が仕事のゴールではなく、将来の世代がよりよい精神と健康に恵まれるために、自分が何を残すべきかを考えることが持続的なゴール設定です。

車文宜・手計仁志

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