弟子規による子育て
みなさん暑い中、いかがお過ごしでしょうか?今回は『弟子規』の全体構成のご紹介と、子育てへの活用方法について書きたいと思います。
弟子規の由来
『弟子規』とは『論語』を源流とする教育書で、18世紀頃に誕生しました。出だしの言葉比較をすると、似ていることがよく分かると思います。
弟子規の全体構成
『弟子規』の出だしを総叙といいます。最も重要なこと、要綱です。それぞれの言葉の大まかな意味は以下の通りです。
弟子 --- 学生(学びを請う人)
規 --- 規範(判断基準&行動規範)
聖人訓 --- 聖人たちの文献(作者の発明ではなく、経典を根拠とする)
そして、勉強内容の構成と順番に入っていきます。先ず見逃して欲しくないポイントとして、『弟子規』では学→習ではなく習→学の順番で構成されています。
1.孝 --- 親に善くする
2.弟 --- 兄弟に善くする
3.謹信 --- 謹み、信用を得る
4.愛衆 --- 広く大衆を愛する
1~4章については、習(実践)を目的とし、両親のところで少し甘えながら、人間関係の構築を練習します(孝道、孝行の道)。両親は親身になって私達のお手本となり、間違いを繰返し正してくれます。徐々に人間関係が構築していけば、行動に謹みが生まれ人々の信頼を得られるようになり、より多くの人々と仁愛ある関わりをしてゆくことができます。
5.親仁
6.有餘力則學文
5と6章については、学(理解)を目的とし、仁者つまり先生に親しみ近づき(師道、師匠と弟子の道)、上記1~4章の実践と内省を繰り返しながら『弟子規』への理解を深めます。
※多くの訳文には、1~5章までを勉強し余力があれば初めて文学知識や技能を学べるとしていますが、これは間違いです。なぜなら、6. 餘力學文の冒頭が下記の二文です。習と学では、習が先ではあるが、学びも必要で回していかなければなりません。繰返しですが『弟子規』では学→習ではなく習→学の順番で構成しています。水泳など頭でわかっても泳げないスポーツと同じで、人間関係の構築においても、先に身体を動かして練習し、そのあと頭でもそのカラクリが分かってくるのです。
すべての学習の基礎、孝
東洋思想の経典書物を読むと一つの共通事項として「孝」があります。孝敬を習学することが根本教育なのです。
『弟子規』の「孝」の章は次の二文から始まります。
この二文が完璧にできれば『弟子規』の残りの文章は読まなくてもいいくらいです。簡単なように見えますが、ほぼ全ての人がこれをできません。できないといわれると納得いかないですよね?私も始めはそのように言われてイラッとしました…では、解説します。
親に呼ばれたり、メッセージ届いたり、着信あったりしたら、すぐに返事、折返ししていますか?用事を頼まれたら後回しにせず、最優先ですぐに対応していますか?
親に説教されているときに、早く終わらないかなとか、そんなの分かってるよ!と言ったりしていませんか?さらに理不尽に叱られたら、その場で逆ギレして言い訳をしていませんか?
繰り返しになりますが、孝敬を習学することが根本教育なのです。敬うとは何か?定義を説明されても頭では良く分かりません。上記の二文を実践していくと、だんだん親を敬うことができ、その意味を理解することができます。
理不尽に叱られても、親ならと思って反射的に反抗せずに、まずは我慢して練習してみましょう。自身の暖かい敬いの心に徐々に気づくと思います。
ところで『弟子規』って教育書、子育ての教えじゃないの?と思った皆さん。あなたが両親を敬い、善く接しているのを子供にお手本として見せればいいのです。子供はあなたの真似をして育ちます。
知恵と智慧
弟子規研究所のカバーイラストに「物事の道理や本質を見抜く力、善悪を判断する力を養う」とあります。これは『弟子規』による子育てをした結果です。実はこれ、智慧に由来します。「ちえ」といえば般的に知恵という漢字を使いますが、この知恵は持っていないものを身に着け、知恵がある状態というニュアンスがあります。一方、智慧は私たちが内側に秘めていて、実はすでに持っている能力を指します。
知---知識
恵---恩を施す
智---善悪を理解し判断する力
慧---物事の道理や本質を見抜く力
次回は孝敬と、この智慧「物事の道理や本質を見抜く力、善悪を判断する力」の関係性について書いてみたいと思います。
車文宜・手計仁志
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