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東洋思想から考えるジェンダー論②

このテーマは、3回に分けて書いていきます。今回は第2回です。

西洋のジェンダー論を考える

東洋思想から考えるといいつつ、今回はまず西洋のジェンダー論についてまとめてみます。これは陰陽の考え方にも通じますが、対極にあるものを知ることで、対極の視点から自分たち(東洋人)を見つめ直したときに改めて理解が深まると考えるためです。

第1回で、英語では人間の性別を社会的性別(gender)と生物的性別(sex)に区分していると紹介しました。生まれ持った生物的性別がどちらであるかとは別の視点で、社会的性別を「ジェンダー」として認知するという考えです。

ジェンダーは元々、生物的性別とは別にある自己意識を区分するために生まれたようですが、20世紀初頭から認知され始めたジェンダー論では、男(man)は男らしく、女(woman)は女らしくという、それぞれ社会的な「役割」を期待されるようになりました。例えば、当時は男性は杖を持つのが当たり前、 女性はコルセット(クジラの骨で胴体を締め上げる)をつけるのが当たり前、徴兵され戦場に行くのは男性、内地の工場で労働に従事するのは女性、という具合です。

ジェンダーに関する背景と用語

一方で、このようなジェンダー論は男女の社会的地位や役割分業に差があり、何より「女は男より劣る」という発想が根本にあるとされ、その反動として1970年代ごろからジェンダーフリーやジェンダーレスという言葉が生まれました。さらには、最近よく聞くダイバーシティ&インクルージョンですらもう古く、インターセクショナリティが台頭しているとの声もあるようです。

ジェンダーフリーは「性別による役割制限や差別を無くし、自らが望む選択をできる」とする考え方です。男性だから育休を取れない、女性だから昇進できないなどの差別や、性的マイノリティへの差別を無くすことを目指しました。その象徴となったのがココ・シャネルです。前述の窮屈なコルセットに代わり、機能的でモダンなドレスやジャージを世に広め、女性を解き放ち自由に生きることを後押しをしてくれるブランドとして確立しました。

ジェンダーレスは「性別そのものの境界線を無くす」という考え方です。例えば、性別に関係なく着られる衣服などをジェンダーレスファッションなどと呼びます。最近では学校の制服やランドセルも男女で区別がないようにしたり、看護婦と看護士という呼び名を看護師に統一したり、日本でも浸透が進んでいます。

インターセクショナリティは、個々のアイデンティティが組み合わさり形成される「社会的特権」や「抑圧」を理解するための枠組みです。ここでは深く書きませんが、下記の図で分かるように、社会的特権にある要素が多ければ優位に立ち、その逆は差別の対象となるようで、女性や非異性愛、トランスジェンダーを含みます。

抑圧と特権のベクトルの交差(Wikipediaより)

男女の差を埋める≠同一化

社会的性別と生物的性別を区別したり、個々のアイデンティティを「細分化」したり、さらにそれらを国際社会において考えるとき一筋縄では行きません。大変複雑な差別の交差が存在します。しかしこれに対して、安易に男女平等という大義名分を借りた「同一化」を助長していないでしょうか。

「男女がみな平等に同じデザインの衣服を着ましょう」とはならないし、「トイレもお風呂も平等に共同利用で」ともならないと思います。注意したいのは西洋の女性の社会的立場が男性より低いという前提です。それを「イコール」にしましょうという発想は、ここに来てもやはり東洋の「平等」とは同じ意味ではありません。

東洋思想の個へのこだわり

第1回でも書いたように、漢字では社会的性別も生物的性別も「男女」と表します。東洋思想の特徴は細分化しないことですが、一方で「個人」には強い意識が向かいます。「自分にしかない価値を持った人」の集合体が社会を形成します。そして「平等」とは、それぞれ個々が自分にしかない価値を社会に提供することで生まれます。

したがって、男性にしか提供できない価値もあり、女性にしか提供できない価値もありますが、東洋思想はそれ以前に「天上天下唯我独尊」と考えます。これは「宇宙の中で私より尊い者はいない」という意味ではありません。「宇宙の中で唯一無二の一人一人の我の存在がそれだけで尊い」という意味です。

次回の予告

西洋の「明確に細分化する」という考え方に比べて、東洋の「なんとなく全体で捉える」という一見して曖昧と思える考え方には、なにか良い部分があるのでしょうか。私たちはなぜ「分けない」のでしょうか。

そして、社会的性別と生物的性別を分けない古来東洋の性別論では、実は女性の方が偉大とされてきました。それを「男尊女卑」といいます。え?男尊女卑って逆の意味じゃないの?と思われた方へ。そうなんです、実は逆なんです。続きは第3回にて。

車文宜&手計仁志


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