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『貞観政要』と三つの鏡(3/3)~人の鏡~

3回シリーズの最終回は、いよいよ「人の鏡」について解説します。

a. 人以銅為鏡、可以正衣冠、以古為鏡、可以見興替、以人為鏡、可以知得失
b. 人以銅為鏡、可以正衣冠、以史為鏡、可以知興替、以人為鏡、可以明得失(意訳:銅を以て鏡とし姿を正す、歴史を以て鏡とし興替を知る、人を以て鏡とし得失を明らかにす)

『資治通鑑』巻一九六 および『貞観政要』 巻第二 任賢第三 第三章

1.得失の対象はなにか

最後の「以人為鏡、可以明得失」の部分です。この得失とは何を指しているのでしょうか。得るべきものと失ってはいけないものを、どのようにして明らかにすべきなのでしょうか?現代語訳には「厳しい直言や諫言を受け入れ、自分の間違いを知る/自分を正す」などの解説があるようです。自分の間違いを知る、正すことで、何かの得失が分かるということでしょうか。

以前にサステイナブル・デベロップメントを実現する東洋思想の方程式で書きましたが、四書五経の『大学』にこのような一文があります。

有德此有人 有人此有土 有土此有財 有財此有用 徳者本也 財者末也
徳あれば此(ここ)に人あり 人あれば此に土あり 土あれば此に財あり 財あれば此に用あり 徳は本なり 財は末なり

『大学』

いまの企業経営に置き換えれば、徳のあるリーダーのもとには良い人が集まり、良い人間関係のもとに調和のとれた組織が生まれ、売上を伸ばし、利益を得て、人材育成などへの再投資に用いることができます。つまりここでいう得失とは徳の得失を指しており、徳を起点として「徳→人→土→財→用→徳」のサイクルを回すことが、東洋思想における持続的発展なのです。

『弟子規』でも徳のある人を得ることが大切とされ、徳のある人が集まってくる原因と結果についても触れています。

聞過怒 聞誉楽 損友来 益友却 
欠点を指摘され怒り、誉められて喜ぶ、
(そのような人には)損友が近づき、益友は離れる
聞誉恐 聞過欣 直諒士 漸相親 
誉められて恐れ、欠点を指摘され受け入れる、
正直で誠実な人は、次第にお互い親しくなる

『弟子規』信

能親仁 無限好 德日進 過日少
仁徳ある人と親密になると、無限に善い、 
道徳は日々向上し、過ちは日々減る
不親仁 無限害 小人進 百事壊 
仁徳ある人と親密にならないと、無限に損害、
仁徳がない人が近づき、あらゆる事を台無しにする

『弟子規』親仁

2.得たい失いたくない徳ある人

「人の鏡」では、諫言(※)を受け入れることで自分を正すことを強調する現代訳が多いのですが、実は自分を正すというよりも、仁徳ある人と付き合うことが、より大きな目的です。

東洋思想において成功とは、財力や名誉、心身の健康、寿命、輪廻転生まで含むとすれば良い死に方まで含めていくつかの段階がありますが、その成功への第一歩は、『弟子規』にもあるように、善い知識を学び、徳のある人と付き合うことから始まります。その根源は、倫理が自身にあるかどうかです。

倫理という言葉は抽象的で、「道を外れない」「正しいこと」くらいのイメージしかないですが、本来は「人間関係の理論」という意味です。そして、人間関係を大きく5つに分けて「五倫」と呼んでいます。詳しくは弟子規研究所は子育てを頑張るパパを全力で支援します!①を参考にしてください。

なぜ「自分を正す」<「 仁徳ある人と付き合う」なのでしょう。それは、相手がいなくては「正しさ」が成り立たないからです。東洋思想では「礼」を重んじています。礼とは、適宜な距離:その時その場に具合よく適する丁度いい距離感を保ったコミュニケーションです。その時々や場面において相手が思うことや感じていることを想像し、そこを起点にして適度に、具合よく、丁度よい距離感で接すること。この行動が相手に対する敬意であり、礼なのです。それはやがて、自分を正す学びの材料になります。

ある程度の徳の基礎については、親の元で『弟子規』などを実践しながら学び、学校では自分よりも徳ある先生や友人と親しくし、社会に出れば徳才兼備の人材を惹きつけ、成長をしていけるよう「人の鏡」が必要なのです。

(※)諫言を受け入れる際の注意点
諫言をひたすら受け入れることが正しいわけではありません。諫言する人が多すぎると相手は混乱します。諫言をする人にも適性が求められます。重要な点は、諫言する人は相手の目標を正しく理解する必要があるということです。私たち二人がコーチングをする際にとても大切にしている点でもあります。

3.経典の一貫したメッセージ

たくさんの経典を読んでも、一冊の経典のみを深く読み解いても、そして今回の題材である三つの鏡の教えのような名言を解読しても、東洋思想には全て一貫したメッセージがあります。それは「五倫」「道徳」「因果」の3点です。

人生が始まる前、すでに胎教から始まり、生まれた直後からは親との関係性、つまり5つのうちの最初の倫理を学びます。そして、関係性の中から自身の徳を磨いていき、さらに因果の法則を用いて、自分の命に善因の種を植えて、努力の縁を育て、人生に良い結果を運びます。

もちろん人生の途中で悪い結果になることもあります。その時は悪因があり、努力の方向に誤りがあったのではないかと内省してみましょう。そして悪い結果が新たな悪因にならないよう、その種を自分の中から取り除きましょう。倫理と道徳の基盤を学ぶことによって、よい「因→縁→果」のサイクルを得られるようになっていきます。

車文宜・手計仁志

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