【スケッチ】不登校ここの部屋⑮子どもたち...speak like a child
子どもたちを観察すると、自分とその他の境界が曖昧である。彼ら彼女らは常に他に触れたがる。べたべたとして、手や肩や腹、背、足を他人とくっつけている。暑苦しい。が、それが人間の本来の姿なのだろう。
マージナルが曖昧な期間は二次性徴を経て、性で分かれる。が、べたべたするのは変わらない。
男の子たちはいきなり肩を組んだり、ヘッドロックやタックルをしたり、殴ったり殴られたりしてくっつき合いたがる。暴力は排除ではなく、この点から、混淆(こんこう)への意志であることがはっきり分かる。人はひとりきりではいられないから戦うのである。戦(イクサ)も同じで理由で起きる。
人はひとりきりではいられない。
女の子たちは、手を繋ぐ。意味もなく相手の身体を触る。「あなた、熱があるようよ」といって額に触れる。誰も熱などない。接触することのみが目的である。そして意味もなく抱擁する。「泣かないで」という。誰も泣いてなどいなくとも。
人はひとりきりではいられない。
🎤
男は泣くなと教えられて育つので、中々泣かない。女はそういうことは言われず、すぐ泣く。何かあるとすぐ、ぽろぽろ涙をこぼす。
うちは、父も母も仕事をしており、貧乏をしたという経験がない。凪子ちゃんの家のように、欠けているピースが無いので、裕福である。にもかかわらず、うちは不登校。
それはうちが甘えているからなのだろうか。
うちはよく、弟がいたらと想像する。何でも言うことを聞く弟。
小学校のときに、T兄弟というのがおり、弟は兄に絶対的に服従していた。ある日、兄は弟の指をハサミで挟んで、
「3秒以内にジャンプを買ってこい、いち、にい、」
とカウント・ダウンを始めた。小学校から一番近い「みち文房具店」までは2百メートルほどあり、3秒以内は絶対に無理である。
「うわーっ」
と弟は絶望して大泣きする。
ぎゃはははっ、と兄は哄笑する。
兄弟というものはいいものだと思ったが、あまりにも弟が可哀そうだともおもった。
うちにも、ああいう弟がいればと考える。盲目的に従う子ども。ワクワクする。
うちなら、つねに傍に控えさせ、「あれを取っておくれ」「これをひらって(拾って)くだされ」という風に使うだろう。うちは姫だ。絶対的権力者。箸より重いものなど持たない。
団扇を持たせてあおがせる。
「あついのう、おとうとよ」という。
「へえ」といって弟は汗まみれで団扇を煽いでいる。
いい気分。
本稿つづく