【掌編400文字の宇宙】マジカル・ジョンスンの生涯
マジカル・ジョンスンの生年は不明である。スリランカ諸島のどこかで産まれたらしいが、母親は床屋で、ジョンスンを産み落としたあとすぐに神がかりになり姿を消した。
ジョンスンの名が歴史にあらわれるのはヴィーダ朝の歴史書の索引が嚆矢である。ここでは勿論詳細は語られていない。
当時の交易の記録にヴェーランダ人の奴隷30人とあり、その中にどうもジョンスンの名が記されている。中東から韃靼地方を経由して、ジョンスンは敦煌に入ったらしい。
調べうる限りでは、それだけである。
ジョンスンは孤児で、ヴェーランダ人、ヴィーダ朝に何らかの影響を及ぼし、中東と韃靼地方、敦煌にその足跡が微かにのこされている。
それだけである。
倫敦では、そのジョンスンが作ったといわれる流行歌が今に伝わっているが、おそらく違う人だと思われる。
ちなみにマジカルのマは「間」または「魔」に通じ、「マージナル」という動詞にも通じる。
以上。