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【2015読書感想】見えない最貧困女子を目の前に書くラブレター

 『最貧困女子』鈴木大介を読んだ。昨今拡大する働く女性の貧困層に取材したノンフィクションである。

 著者は、貧困に陥る要因として「家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁」の「三つの無縁」、「精神障害・発達生涯・知的障害」の「三つの障害」をあげている。 「三つの無縁」、「三つの障害」のうちのどれか一つではなくいくつかの要因が絡み合って貧困を生み出していると考察している。

 なかでも「三つの無縁」をすべて背負っている少女たちは地域から逃げ出すように大都市に出る。頼るものは何も無い。警察や行政に保護されたとしても彼女たちは貧困や凄惨な虐待が待つ家に戻されるだけである。

 大都市の路上には私的なセーフティネットがある。ホストやスカウトなどのセックスワークの周辺にいる者たち、買春目的の男たちである。セックスワーク周辺では少女に住むところや携帯、健康保険などを用意するフル代行業者という存在まである。かれらは低金利で少女たちに融資もする。そして少女たちが18歳になったらセックスワークに従事させ、出資を回収する。青田買いである。私的セーフティネットは少女たちをセックスワークに捕捉する。

 この私的セーフティネットからも洩れる少女もいる。容姿の美醜によって、あるいは 「精神障害・発達生涯・知的障害」の「三つの障害」を負って社会生活を営む能力が低い少女たちはさらに堕ちていく。少女たちは売春ワークをおこない、ネットカフェやカラオケなどで寝泊りしながらギリギリの状態でサバイブしていく。 貧困は固定化し、最貧困女子となる。

 読んでいて目まいを感じる。

 著者は同じ売春または風俗業労働にしても、セックスワークと売春ワークと定義を分けている。セックスワークは18歳以上で業者と正式に契約を結んでいるもの。売春ワークは生きるためにとにかく体を売っているもの。売春ワーカーは収入も安定せず、容赦なく搾取される。

  地方都市で事務の正社員として働きながら週に一度デリヘル嬢として働く愛理さんが印象的だった。正社員としての愛理さんの年収は150万円程。低所得層だが彼女は「地域の縁」に強くつながっており、同じ低所得層と協力しながら満足度の高い人生を送っている。いわゆる「マイルドヤンキー」系生き方である。愛理さんは風俗で働いてることにまったく後ろめたさを感じていない。それどころか女を売ることに対して誇りさえ感じている。商品としての女を磨くことも怠らず、プロ意識さえある。低所得でもたくましく、人生の満足度は高い。

 著者は、愛理さんにある最貧困女子のことを話す。子どもを2人抱えDV夫を追い出し、精神を病みながらセックスワークの底辺売春ワークをしている女性のことをどう思うのかと聞いてみる。すると愛理さんの反応は「子供生んで出会い系で売春とかは、やっぱ意味分かんないですけど。ブスでもデブでも行ける風俗あるじゃん?」「単にズボラ」「我がまま」「そういう人が子供産んじゃヤバくね?」というものだった。

 貧困層が拡がると最貧困女子は見えなくなる。低所得でも地縁や自らの努力でそれなりの幸福な人生を送る愛理さんたちから最貧困女子は批判の対象となる。セックスワーカーからでさえこうである。売春や風俗に根強い差別意識をもつ社会全体からは攻撃対象になる。この差別意識や糾弾が最貧困女子たちが生活保護を受けるのを思いとどまる理由にもなっているだろう。

 著者は最貧困女子がどうやって生まれるかの過程を丹念に綴り、複雑化するセックスワークのなかで見えなくなった最貧困女子の可視化を試みている。そして、貧困や虐待の連鎖にからめとられていく少女たちをどの時点で救うべきか、セックスワークと売春ワークを明確に分けるためにセックスワークの「社会化」などを提言している。 セックスワークの「社会化」については実現性も含めて首を傾げざるをえないところもあるが、この著者の問題を放ってはおけないという熱意は伝わってくる。暗い話ばかりで救いのない本書で、この熱意だけがあたたかい。

 貧困女子たちの恋愛依存体質をケアするための「恋活のシステム化」は興味深かった。著者はこの提言をフェニミズムを念頭に「炎上覚悟の爆弾」と書いていたが、「システム化」をどのように行うかによるだろう。というよりも、この分野に関してはフィクションで語られるものだと思う。議論云々よりも創作者が仕事をするべきだろう。

 以下雑感。

 ハンナ・アーレント『人間の条件』に「苦痛には単位が無い」ということが書かれている。苦しいとき、痛いとき、わたしたちは「苦しい」「痛い」あるいは「悲しい」と言葉で伝えることができる。しかし、それが実際どれほど苦しいのか痛いのかを示す単位は2015年現在まだ確立していない。

  「EGS-zs8-1」は、地球からもっとも遠い銀河として最近記録を更新した。地球を離れること130億光年、宇宙が生まれたばかりのころから存在する銀河である。130億光年というのは、光の速さで130億年かかる距離である。光速は、毎秒30万キロメートル、である。と、いったいそれがどれだけの距離なのか、想像することすら困難であるが、それでもいちおう、うしかい座の方向の遙かかなた 「EGS-zs8-1」とわたしたちとのあいだの距離は単位であらわすことができる。一方、わたしたちはすぐ傍にいる人の苦しみ、痛み、悲しみをはっきりと知ることはない。知る方法が無い。

 グリーンゲイブルズに住む少女の「想像力よ、なによりも大事なのは想像力なのよ」という言葉をわたしはいつも胸にしまっている。このつらい現世を生きていくのに、130億光年を超える途方もない距離をそれでも歩いていこうとするときに、圧倒的な無理解・無関心を前に思考が停止してしまうようなときにも、赤毛の少女の声にしたがってわたしは「想像力」を捨てない。わたしは生に、老いに、病に、死に手紙を書く。また、別れや憎悪や貧困や、思い通りにならないあらゆる苦しみと痛みに向けて恋の手紙を書く。

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