トマト事件の再検証
正しさは、ときに自分のことも人のことも追い詰める。誰もが認める正統派でなくたっていいじゃない。みんな、懸命に生きている。
1.給食がないと栄養が不足する?
「ねえ。これってさ、親に失礼じゃない?」と息子。
ふむふむ。アメリカンな朝食の定番、シリアルの外装に記された文言に反応したようである。我が家は基本的に和食寄りだが、たまに息子がシリアルをつまみたがるので購入する。
「給食がないときは、給食があるときよりも、必要な栄養が不足する子どもが多くなるって書いてある」
なるほど。シリアルの販売側としては、『手軽で栄養バランスのよいシリアルを常備しておけば、親も子も楽で安心でしょ』って言い分だ。
息子の言い分は、「この書き方じゃ、まるで親が家でろくなご飯を食べさせてないみたいで失礼じゃないか」というもの。
ふうむ。なかなかの視点だ。彼にとって親というのは、栄養満点のご飯を食べさせてくれる信頼できる存在ってことだ。給食を抜くと、たちまち栄養不足になる子がいるってことを想像できないくらい、彼自身は『食』に関して困ったことがないわけだ。
給食以外を欠食しやすい、もしくは栄養が偏りやすいと思われる例を挙げてみる。
〇親が早朝・深夜帯の勤務のため、朝食や夕食の時間に不在もしくは寝ている。
〇親が仕事や介護等の諸事情で不在がち。すべての食事を作り置きするのは難しい。
〇親が心身の不調により食事を作れない状況が続いている。
〇親が食に無関心、または料理が苦手。
〇子ども自身が小食もしくは偏食。
〇明らかなネグレクト。
などなど。
事情は人の数だけあるだろう。
寝る前には、『明日の朝ごはん、なに食べよう』と夢想する息子。
朝起きてリビングに入ってくるなり、『おいらのご飯は?』と期待の眼差しを向ける息子。
夜に一人で眠るとか、朝を一人で迎えるなんてことを、想像だにしなくてすむ環境にいる息子。
みんながみんな、君みたいな朝を迎えているわけではないのだよ。
と思ったけれど、君にも欠食のリスクが高い時期があったんだよってことを唐突に思い出して脇汗をかく母であった。
2.正しさにとらわれるという闇
息子が二歳くらいの頃まで、朝起きるのが辛くて辛くて仕方ない時期があった。
個人事業主の状態で出産したため、保育園がなかなか決まらなかった頃だ。
おまけに出産と夫の病気が重なった。夫の予想外の人事もあり、一年のあいだに三回の引っ越しをした。
はじめの赴任先の関西で母子手帳をもらい、数ヶ月後に九州で出産し、その数ヶ月後には東京で保育園を探すことになった。
当時、正規雇用の共働き世帯でも待機児童となってしまう状態だった都内では、フリーランスでの保育園獲得はかなり厳しかった。
フリーランスには産休・育休という概念も手当もないゆえに、仕事を長期で途切れさせる勇気はなく。かといって、働こうにも保育園には入れず。今さら正社員で就職しようにも、まず保育園が決まらなければ雇ってはもらえず。
なにかと世の中の決まりごとに正しく適合しない私は、八方ふさがりになってしまった。仕方なく息子は待機児童のまま、できる限りの仕事を入れることにしたのだ。
日中は、一時保育の空きと仕事のスケジュールをすり合わせながらの育児。夜は、息子を寝かしつけてから数時間、オンラインのカウンセリングや連載していたコラムの執筆。締め切り前になると朝方4時頃に床につく生活が続いた。
独身のときなら、徹夜をしても数時間眠ればリカバリーできた。しかし母親という仕事は、自分のリカバリーのためのほんの数時間がとれないのである。自分の不注意が幼子の命に直結する重圧は、相当なものだった。
子を産む前は、そこそこ自由で自立した生き方をしていたはずなのに。産んだ途端、とうの昔に脱出したはずの古くさいレールに引き戻された感じがしていた。悔しかった。
『正しい大人』とは、『正しい親』とは、『正しい働く母とは』、『正しい家庭と仕事の両立とは』。毎日、毎日、正しさとかけ離れている自分の現実を突きつけられているような気分。こんなに不自由で選択肢がない状態に陥るなんて、想像もしていなかった。
思い返すと、闇の時期だったと思う。闇から抜け出すために必要だったのは、『正しい〇〇』を手放すことだった。
3.息子、サバイバルの日
朝八時くらいだったと思うが、その日は累積した疲労によって起き上がれなかった。息子にいくら呼ばれても揺さぶられても、身体も瞼も鉛のように重い。
息子が目覚めてから一時間は経っただろうか。さすがに身体を起こし、「取りあえずなにか作らなきゃ」と這うようにキッチンに向かうと、妙な物体が目に飛び込んできた。
キッチンの床には、緑色の足が生えたような丸くて平たくて赤い物体が四つある。そして冷蔵庫の前には空のビニール袋。なんじゃ、こりゃ。
私は強度の近視で、そのときは寝起きでコンタクトを入れていなかった。床に鼻がつくほど顔を近づけ、謎の赤い物体を解析した。
もしかして、これは。
ひょっとして、これは。
『トマト』ではなかろうか。
お腹を空かせた息子が、冷蔵庫からトマトを袋ごと引っぱりだして食べたのだ。みごとに丸くかじり取られたトマトのヘタを拾いながら、私はぼろぼろ泣いた。
世の中の“正しい”仕組みに適合しきれない情けなさと、母親としての“正しい”在り方ができない申し訳なさと、目の前の意志をもつ生命体への畏怖で泣けて仕方なかった。トマト四つを食べきって満足げな息子は、母の涙にきょとんとしている。
それから、器用にヘタをよける『かじりの技術』にいたく感心し、「すごいなあ」と息子の頭をぐりぐりなでた。
この話を、子育てを終えた世代の知人に話したときも、また泣いた。
『トマト事件は、ネグレクトなんじゃないか』という罪悪感がくすぶっていたのだ。そんなに自分を追い詰める必要はないんだけど、すべては闇の為せる技。
カウンセラーである友人は、至極真面目に耳を傾け、最後にひとこと。
『あのね。ネグレクトを心配しておいおい泣く人は、ネグレクトしないんだよ。自分で食べられるものを見分けてお腹を満たすなんて、たくましい息子に育っているじゃない』
『そうなのよー。ヘタのとこだけ、まんまるに残してさあ・・』
おいおい泣きながら、そのときの満足げな息子の表情を思い出しておかしくなって、ゲラゲラ笑った。闇の時代は、子育てを終えた世代の友人たちに助けられた。
4.親と子が追い詰められない社会に
そんな息子も小学生になり、いっちょ前に先の台詞である。
トマト事件についてのコメントを求めたら、「覚えてない。ヘタを残すとか、頭いいじゃん」と他人事。
なんか、私がいちいち見当ちがいのひとり相撲をしている間に、勝手に大きくなっちゃった感じがするなあ。
親だって、ときどき『役割』の重さに押しつぶされそうになる。
親としての『役割』をもつ前の自分を、見失いそうになるときもある。
命を預かっている身だけど、自分も人としていっちょ前になる途中だし。
生きてるだけで精いっぱいで、今日のごはんのことすら考えられないこともある。
様々な状況下で懸命に生きている親と子がいて、社会があって、そのはざまにお手軽なシリアルやら、冷蔵庫のトマトやら、庭のキュウリやら、近所のお節介さんのお惣菜やら、フードバンクやら、子ども食堂やらがあって、それで子どものお腹が満たされ、親が追い詰められなくて済むのなら、そういうのもありなんじゃないかな。
陽気なシリアルの外装を見つめながら、しばし思いを馳せたのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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