200年以上守り続けた天草の潜伏キリシタンから学ぶこと
潜伏キリシタンの歴史から学んだこと
制限があってもできることに目を向ける。
知恵、アイデアで難局を乗り切る。
2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として崎津集落が世界文化遺産に登録されました。
なぜ、天草には潜伏キリシタンの歴史が200年も続いたか、実際に現地に行ってみて調査しました。
天草とキリスト教の歴史
1566年、ルイス・デ・アルメイダによってキリスト教伝来
アルメイダは医師の免許を持ち、西洋医学を日本に持ち込み、西洋式の病院を作った人物。無料で子供の診察を行うなど奉仕活動にも尽力しました
1587年、キリシタン禁教令配布
豊臣秀吉によって宣教師追放や信者の処刑など、キリスト教排除の動きを強めました。
1614年、禁教令
アダム荒川迫害、殉教。
1637年、島原天草の一揆
生活ができなくなるほど厳しい年貢を納められない農民、キリシタンに対し拷問・処刑を行った幕府に対する反発が原因。当時の幕府はキリスト教根絶を徹底し、日本人の海外渡航禁止、宣教師との接触を断つため、ポルトガル人隔離のため出島建設など、キリスト教弾圧政策を取ってました。ききん関係なく負担の重すぎる年貢制度が引き金になり、江戸時代最大の内戦に発展しました。
一揆軍対幕府軍
天草四郎率いる一揆軍3万人は、島原の原城(南島原市)に立てこもり、幕府軍を追い詰めましたが、4ヶ月で幕府軍が弾圧しました。
これを機にポルトガルと断交し、キリシタンの弾圧も強化されました。
ここから、天草の一部キリシタンは隠れて信仰を続けることになりました。
1805年、天草くずれ
1804年、クリスマスにお供えとして肉を捧げるための牛殺しが発覚の原因。 翌年、隠れキリシタンの取り調べが大江周辺で半年間続くことになりました。
その結果、住民の半分の5000人余りも発覚しました。しかし、踏絵と改心を誓わせて全員許されました。
これは、島原天草一揆の再来を恐れたからと思われます。
1875年のキリスト教禁止令解除まで、天草のキリシタンは信仰を守り続けました。
この歴史が、2018年の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録されました。
天草のキリスト教文化を知る
天草キリシタン博物館
天草島原の乱を中心とした天草キリシタン史を4つのテーマに分けて展示。
1. キリスト教伝来〜島原天草一揆
天草のキリスト教普及について展示。メダリオンなど
2.天草、島原の乱
天草島原の乱の背景、乱の激しさがわかる展示。
国指定重要文化財の天草四郎陣中旗。
旗には血痕や攻撃の跡が見られ、一揆の激しさがわかります。
3.一揆後の天草復興とキリスト教信仰
禁教令が厳しくなった乱後。乱により人口が25000→13000人へ減少した天草。移民政策により、40年後には回復し、その後も人口は増え続け、幕末には155000人まで増えました。
一部の住民は隠れてキリスト教の信仰を続けることになります。
開館時間 8:30~17:00
休館日 火曜日(祝日の場合は翌平日)、12月30日〜1月1日
観覧料 一般300円、高校生200円、小中学生150円
団体(20名以上)は2割引
天草ロザリオ館
下島中央部に位置する大江地区。禁教令廃止後、潜伏キリシタンが多数発見された地域。
そこに建てられた天草ロザリオ館
天草の潜伏キリシタンの生活、文化がわかる展示。
普段は仏教徒としてわからないように頭を使って信仰。
潜伏キリシタンの知恵
1.隠れ部屋
柱に十字架を書き、祈りの声(唱え言葉)
2.マリア観音
中国渡来の母子観音を聖母子像に見立てて信仰。
日本の神仏を仮の神として礼拝。
3.隠し十字仏
仏の頭に十字架。
4.帳消しのつぼ
キリシタンも仏式で葬儀を行わなければなりませんでした。
そのため、葬儀のとき、お経に合わせて、ひっそりと隠れ言葉を唱えながらお経を壺の中に閉じ込めて無効化しました。
5.唱え言葉(オラショ)
お経に寄せてカムフラージュした祈りの言葉。暗号にしか聞こえず、見つかりにくかったと言われます。
信心具
鏡
十字架の銭
アワビ、ヒイラギの貝殻
開館時間 8:30~17:00
休館日 火曜日(祝日の場合は翌平日)、12月
30日〜1月1日
観覧料 一般300円、高校生200円、小中学生
150円
団体(20名以上)は2割引
天草コレジヨ館
コレジヨとは、宣教師養成学校のこと。天正少年使節団の持ち帰った西洋文化についてわかる展示があります。
キリスト教とともに南蛮から伝来した印刷機、西洋楽器を日本風にアレンジ。
竹のパイプオルガンなど、豊臣秀吉を感動させたと言われてます。印刷機を用いて作られた天草本。平家物語、伊曾保物語など16作品が印刷されました。
また、イソップの生涯を描いた「ESOPO の宝箱」という人形劇も展開されてます。
2階には、「世界平和はこどもから」という思いを抱いた園田天光光さんの活動を称え、こどもたちの幸せと平和を訴える民族衣装に身を包んだ117体の人形を展示してます。
開館時間 8:30~17:00
休館日 火曜日(祝日の場合は翌平日)、12月
30日〜1月1日
観覧料 一般300円、高校生200円、小中学生
150円
団体(20名以上)は2割引
崎津資料館みなと屋
崎津集落の歴史、キリシタン信仰の紹介、キリスト教布教〜禁教期の資料を展示してます。貝殻や小銭など身近なものを使って信仰していた様子がわかります。
開館時間 9:00~17:00(最終入場16:30)
休館日 12月30日〜1月1日
観覧料 100円
キリスト教解禁後の歴史
昭和初期、崎津、大江にキリスト教会を設立。厚いステンドグラスがどちらも特徴。
崎津教会
1934年設立。
グレーの重厚なゴシック様式の協会で畳敷の珍しい教会。
禁教期に絵踏が行われていた庄屋役宅跡に建てられました。このときに尽力したハルブ神父。司祭として来日後、一度も帰国せず、崎津で尽力していました。今でも教会近くの墓地で眠っています。
周りにはシスターが寝泊まりしていた修道院も建っています。
また、崎津教会近くの岬に海に向かってマリア像が建っており、行き来する漁船の安全と豊漁を静かに見守ってます。
大江教会
1933年、大江集落の丘の上に創建。
白いロマネスク式の聖堂。教会内部では15枚もの聖画をみることができます。
教会の拝観
今でも、信者の方々が祈りを捧げる場所になっています。内部の写真撮影禁止、携帯電話使用禁止、肌の露出の多い服装禁止などルールを守って拝観する必要があります。
世界文化遺産、崎津集落
天草下島の南西に位置する漁村。アワビやヒイラギの貝殻の内側の模様を聖母マリアに見立てて祈ったり、小銭を十字架の形に並べて信仰したりして禁教期間を乗り切りました。
しかし、1805年、潜伏キリシタン発覚する天草崩れという危機もありました。
崎津教会から山側へ徒歩5分のところにある、崎津諏訪神社。ここでは、役人が異仏取り調べのため、信心具を設置した箱に捨てるように指示した場所になりました。
今でも住民が生活していますので、静かに散策、交通ルールを守る、ゴミのポイ捨て、歩きタバコなどマナーを守って散策しましょう。