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神話の聖地巡礼、淡路島編

結論

  • 神武天皇が即位したとされる日に建国記念の日を制定した。

  • 淡路島は最初にイザナミが産んだ島であり、周辺にイザナギとイザナミが造って降り立ったオノコロ島があるとされている。

  • 淡路島には、古事記の国生み伝説に基づいた場所がある。


2月11日は建国記念の日

建国記念日は、世界各地でも祝日とされています。植民地にされていた国々は独立した日を建国記念日と設定する国が多いです。

日本の場合は、神武天皇が即位したとされる日が元になっています。旧暦の紀元前660年1月1日と伝わっており、明治政府が現在のグレゴリオ暦に変更するときに、換算した結果、2月11日になりました。

戦前から2月11日は、紀元節として祝日とされていました。しかし、GHQ によって1948年一旦廃止されました。1963年、「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」として建国記念の日が復活しました。日本国として独立を回復した日にするかなど、複数の案を議論した結果、戦前と同様に紀元節を祝日としました。建国記念日としなかった理由は、神武天皇が即位した日について確かな記録がないためです。

古事記

古事記には、日本の国土が誕生してから、初代天皇神武天皇が即位するまでのストーリーが書かれています。戦前までは、日本の義務教育でも扱われていました。しかし、GHQによって国家神道を否定され、教育で古事記の内容に触れることを禁止にされました。現在では、授業で内容を扱われることがほとんどありません。歴史の授業では、覚えるべき単語と作られた背景を学ぶだけで、サラッと流されていました。
ちなみに、戦前の小中学校の歴史の教科書には、神武天皇が誕生縄文弥生時代は飛ばされており、神話から始まり、古墳時代へ入ります。道徳の教科書にも、神話に基づいたエピソードは登場します。

今回は、神話の世界では最初に誕生した淡路島を訪れたときの話を書きます。 淡路島は古事記の序盤、国生みの話に登場します。

国生み

昔々、天界から下界を見下ろすと、海に脂が浮いているようなもやが見えました。イザナミとイザナギという二人の神は、巨大な矛を使って天から海をかき混ぜて、引き上げ、矛先から滴り落ちる潮のしずくを積もらせて、大阪湾付近に小さな島、オノゴロ島を作りました。そこに、イザナギとイザナミが降り立ちました。降り立った理由は、まだぼんやりしていた国をしっかりとしたものに整えるため。オノゴロ島に宮殿を造って降り立ち、イザナギとイザナミは他の神様のアドバイスを受けながら、何度もお見合いをして、島を産みました。最初に淡路島を産み、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州の順に8つの島を生みました。その後、神も生み出しました。海、山、風、岩、最後に火の神(カグツチ)を産むときに大火傷を負い、亡くなります。

イザナギはショックで泣き、涙からも神様が誕生しました。イザナギも顔をこするだけで神様を生む特殊能力をもっており、スサノオ、ツクヨミ、アマテラスが誕生しました。アマテラスは弟のスサノオに手を焼くことになります。アマテラスとスサノオの関係について、高千穂編で書きましたので、お読みください。

淡路島には、国生みに基づいた神社があります。今回は、古事記に関連する神社を話します。

淡路島

明石海峡と鳴門海峡に挟まれた島。人口は12.4万人(2023年)で本州、北海道、九州、四国、沖縄本島に次いで6番目に人が住んでいます。明石海峡大橋、鳴門大橋によって関西と四国を結んでいます。

神戸側から明石海峡大橋で上陸
四国との玄関口、鳴門大橋

古事記に登場する聖地

鳴門海峡の渦潮=矛でかき混ぜた姿

淡路島の四国側にある鳴門海峡は、渦潮が有名です。10~30mもの大きな渦が海面を白く泡立てながら、発生していきます。淡路島側、四国側から観光船が運行されています。特に、春と秋の大潮という時期の満潮か干潮の時間は、渦潮の見られる確率が上がります。詳しくは、別の機会でお話しします。

イザナギとイザナミが巨大な矛を使って海をかき混ぜた様子が、鳴門海峡の渦潮と関係あるのではないかと考えられています。

沼島=オノコロ島?

イザナギとイザナミが矛でかき混ぜた後、潮を積もらせて造った島がオノコロ島。現在の絵島、沼島、友ヶ島など、諸説ありますが、淡路島の東岸にあったと考えられています。

特に、沼島はイザナギ信仰が強いです。沼島は、淡路島の南側にある島で、上から見ると勾玉のような形をしています。

天に突き出すように立つ上立神岩はイザナギのシンボルと言われ、丸い穴の空いた巨岩、下立神岩はイザナミのシンボルと言われています。沼島の名前の由来は、沼矛の島に由来すると言われています。

伊弉諾神宮=イザナギとイザナミ

淡路島で一番格の高い神社とされています。806年には存在し、平安時代末期〜鎌倉時代初期には、神様と仏様が同居していました。1280年、地頭の田村仲実によって再興され、江戸時代、徳島藩蜂須賀氏によって社殿の造営、修復が行われていました。1885年、イザナギの陵墓と伝えられる自然石が積み重なった神陵に本殿が移されました。

境内にあるクスノキは、イザナギとイザナミのように見えます。樹齢900年、高さ30mあり、途中から2つに分かれています。

夫婦大楠

淡路島が古事記の舞台になった理由

淡路島は、弥生時代から金属器が用いられ、金属器をつくる施設もありました。漁師は、渦潮を避けながら、漁を行い、朝廷に海産物を運んでいきました。

淡路島は、優れた航海術、製塩技術をもっており、古代国家の形成に影響を与えたと考えられています。

古事記を作るように命じたのは、天武天皇。朝廷との結びつきが強かったことから、淡路島が舞台となったとされています。

平安時代、淡路島で作られた塩は朝廷の儀式である月次祭ツキナミノマツリに、用いられていました。


今回は、古事記によると最初にできたとされる淡路島の話をしました。淡路島といえば古事記だけではなく、タマネギなどもありますが、これは別の機会で話します。

参考文献


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