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前途は来る悠々と

2023年の夏の賞与で、久々にCD音源を購入した。【師匠】こと平沢進さんのアルバム【BEACON】である。

平沢進さん(以下【師匠】にて統一する)については、今更ワタクシが此処で語らずともその才能は遍く知られているであろうから敢えて仔細な解説は避ける。
此処では師匠の音楽が凄まじく壮大な世界観の上に成り立っている事、そしてそれ故に一度聴くと虜になる人と、理解が追いつかず忌避してしまう人に分断されてしまう事が残念だ…と言うに留める。勿論ワタクシは前者だ。
因みにワタクシは葬送曲の候補として師匠の曲のひとつ【上空初期値】を念頭に置いており、遺言書への記載を失念しないようにせねば…と常々考えている。因みに同曲の収録アルバム【点呼する惑星】は既に購入済だ。

さて、【BEACON】の話に戻る。

このアルバムの存在を知り、そして心底惚れた切っ掛けは、YouTubeで公開されていたとある動画だった。
所謂【唄ってみた】系の動画で、Softspeakとか言う名前の音声読み上げソフトにヴォーカルを委ねた内容である。唄われていたのは同アルバムの収録曲のひとつ【記憶のBEACON】。

その動画を観て、その歌を聴いたワタクシは、激しく感情を揺さぶられた。
理由は、冒頭の台詞と唄い出しの歌詞にある。

物語はこれでおしまい
もう大丈夫ですよ
安寧の人

前途が来るBEACONの記憶に
前途を行け悠々と


この部分に、ワタクシは自分自身を重ねてしまったのだ。

【BEACON】を購入した当時、ワタクシの友人が我が創作活動を告知宣伝する為に作ったTwitterアカウントが重度のサジェストバンを喰らい、孤立の上に撤退を余儀なくされた。
一部親切な方がnote記事をシェアしてくれたものの、大多数の元フォロア諸兄はワタクシ(及び友人)がTwitterと言う【世界】から拒絶された事にすら気がついていない様子だった。そりゃそうだ、サジェストバンなんだから。

そして、この【事件】が起こるより一年程前、ワタクシはミドルユーザーにばかり当たりが強くなるTwitter運営のやり口に愛想尽かしをし、自ら管理していたTwitterアカウントを全て削除している(のだが、ひとつだけ何故か復活したアカウントがある。多分TwitterJPによる嫌がらせと思われる。このアカウントは削除した時にTwitterJPが復活させた事に気がつかず紐づけしたメールアドレスを解約してしまった為、今もこちらからはどうする事も出来ないままログが残されている)。

ワタクシは、友人のアカウントがサジェストバンを喰らって誰からも顧みられなくなった事を【Twitterと言う世界に居たワタクシと友人は、Twitterにより殺された(≒存在を抹消された)】と表現した。
Twitterでの一連のツイート、それにまつわるドラマ、そしてフォロア諸兄との交流をある種の物語と捉えるならば、まさにワタクシの【Twitterに置ける物語】は終わった事になる。
となると【安寧の人】はさしずめワタクシと言うイレギュラーを排し秩序を維持した(と向こうは思っているだろう)Twitter運営各位と言う事になるまいか。

そして、Twitterから消されたワタクシは、今や居場所を変えて新たなスタートを切っている。その居場所はInstagramでありnoteでありMisskeyでありタイッツーである。近頃は必要に迫られて【X】と名を変えたTwitterに再びワタクシ名義でアカウントを作ったが、昔日のような積極的な運用は行っていない。

言葉にすれば周囲は「そんな事は無い」と打ち消すかも知れないが、最早ワタクシはXに居場所が無い存在だと思っている。いつか、そんな気持ちを都々逸風にまとめた。以下に記す。

胸に懐きし栄光も
屍人の今は過去の翳
我知る者はもう居まい
修羅の巷のあの場所に


然し、【記憶のBEACON】はそんな打ちひしがれたワタクシに「お前にも生きる権利がある。もっと胸を張って生きて良いのだ」と強く背中を押してくれたのだ。
正直に言うと【記憶のBEACON】の歌詞全体について、ワタクシにはまだ理解が追いついていない箇所も多い。然し、同曲の唄い出しの台詞と歌詞だけでワタクシが何となく救われる思いを抱いた事は否定出来ない。
初めて師匠が唄う【記憶のBEACON】を聴き終えた時、ワタクシはぼろぼろ涙を溢していた。
大袈裟でも何でもなく、掛け値無しに「嗚呼、ワタクシはまだ生きていて良かったんだ」と思えたのだった。

今宵もワタクシは【記憶のBEACON】を聴いては己を奮い立たせている。自分はこれからも何も疚しく感ずる事無く胸を張って生きて良いのだ…と己に言い聞かせながら。

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