#2.美人は良い性格にならぬ。

容姿の良い者は周囲に尊重されるので性格よく育ち、不細工は周囲に冷たくされて性格が悪く育つ。そんな「容姿と性格は比例する」と唱える輩が現れ始めた。その前にあった、「不細工ほど内面が美しい」という考えに対する反論でもあるのだろう。

これは一見、愚者には尤もらしく聞こえるが、つまりは外部要因で性格が変化して当たり前という考えに則る。語られている美人も不細工も、その点で既に性格が悪い。何せこの考え方は、「周囲が悪ければ自分の悪性も許される」という結論に至る為である。周囲が自分にとって都合が良ければ性格がよくなるし、そうでなければ悪くなるのも仕方がない、という他責思考など、性格の良い者は絶対にしない。

真に性格の良い人物とは、例え自らが苦境にあっても、他者に優しくできる人物のことである。確固たる自我と道徳心を持って、周囲の悪性に同調せず、内面を磨き、他者の尊敬を得る賢者のことである。配られたカードが不利であっても堂々と胸を張り、何であれば不利を楽しむ酔狂や、短所を長所に変える知恵を持つ者こそ、人格者と呼ばれる。

そのような考え方のもと、私は、人の性格の良し悪しは、その人物が苦境にあった時に決まると考えている。容姿という一点で議論するならば、周囲に冷たくされる不細工で初めて、人格者となる機会を得るのである。不細工ほど内面が良いというのは、その苦境において自らを見失わなかった聡明な者達を示す。苦境のまま性格のひねくれた不細工はそれまでだし、そもそもその苦境を体験しない美人は審議の外だ。あくまで容姿のみを議題に挙げるならば、美人に性格の良い者はいないということになる。

価値観は時代と共に二転三転とするもの。ルッキズムを否定もしない。但し、容姿しか取り柄がなかったり、容姿でしか他人を判断できない愚物が、自己肯定の為に撒き散らす毒を飲み込んではならない。あまりに浅ましく、酒の肴にもならない。

いつか自分の苦境すらも笑って、酒を飲める人間になりたいものだな、と。

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