#10.男性で良かったとか。

男女差というものは興味深いテーマで、のめり込みすぎると性別批判になるのでいけないが、考えておいて損をすることはない。

私はデザインの学校に通っていたことがある。大学の理系学部が9割がた男子学生で占められるように、デザインや美術の世界では女性が多数派になることが多い。特にデザイン専門学校では女子学生の占める割合は9割以上になる。

しかし、ではデザイン業界が女性の世界かというとそうではない。あれほどいた女子学生は嘘のように消える。世間話で有名デザイナーを上げるならやはり男性が多く、学校の講師も7割ほどが男性であった。それでもまだ他業界に比べて、女性が活躍しやすい業界とされる。この男女比率の極端な逆転は、学生時代から可視化されたもので、その理由を求めながら女子学生というものを見ていると、彼女らが「能力はあるのに働く意識が低い」ように見える。課題は優秀にこなすが、それでお金を稼ぐ意識が低い。なんであれば、いずれは誰かに養ってもらうという被保険者意識による気の抜け方が見える場合すらある。そんなものだから、入学時優秀だった女子学生が1年後には、センスもコミュ力も人数も足りなかった筈の男子学生に追い抜かれる光景は珍しくない。これが社会に出ればもっと顕著になるのだろう。

金に対する執着は男女問わず人間皆にあるものだが、競争によるという前提だと、男性の意識の強さが目立つ。それ故に、例えば能力で勝る相手を批判する行為は、男性の世界では情けない事とされる。しかし女性は、自分にできないことが出来る相手、能力に優る相手でも自然に批判できてしまうところがあって、これは男性には理解のし難い特有の意識と思う。実力というものに執着しない、といえばいいのか。ならば理系や技術職に女性が少ないことも得心がいく

男性のそんな競い合う姿、不器用で実直なところを見て、男性でなくて良かったと話す女性がいる。前述したような価値観の相違から、私は女性でなくて良かったと思う。これらは男性で良かった、女性で良かったと、自分の性別に対する満足の言い換えである。

自分の性(さが)に満足出来るなら、それが一番幸せなのだが、イデオロギーが先行して、これを蔑ろにすると不幸になる。それが現代に合わぬと批判するならば、そも人間に合わぬことの方が罪深いと考えるべきではないか。

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