自分史という視点の楽しみ方02
みなさんこんにちは。今年は梅雨らしく雨の日が続きますね。
ここ近年は空梅雨でいきなり猛暑だったので、ちょっとありがたい気分もありますし、年齢からか、梅雨を楽しめる感覚というのも分かるような気がします。
さて、先日の自分史という視点の楽しみ方01では、自分史ということばが生まれた経緯や、社会での認知についてお話しました。
そこで2回めの今日は、そのもの「自分史とはなんぞや?」ということについてお話したいと思います。
自分史の肝は「視点と作品性」
いきなりのっけから、分かるような分からないようなことを書きましたが、お分かりになりますでしょうか。
私がこれまで行ってきた自分史の講座では、まず最初にこの「自分史とは?」ということをお話しさせてもらっています。
なぜならそれはある意味、前回お伝えしたような「自分史」のイメージをまず変えてもらいたいというところがあるからです。
自分史は庶民の戦争体験を伝えるところから出発し、戦後はそうした年配の方が遺産の一つとして書き遺すという色合いが強かったため、自分史はシニアの方を中心にして拡がってきました。
しかし時代の変容とともに、自分史というもののもつ価値も多様化し、もはや年代を超えた、心理学や社会学的要素の強いコミュニケーションツールになっている、そしてこれからの心の時代になり、さらにこのニーズは高まると私は考えていました。
そこで私なりに考えた自分史の肝が「視点と作品性」という言葉です。
私の自分史講座では、自分史について
とお伝えしています。
どういうことかを説明しますね。
「自分史」という言葉を聞くと人はとかく「自分のこと」だけにフォーカスしがち。
まあ自分史ですから当たり前なのですが、大事なのは「自分は他者(社会)と生きている」とどこまでイメージできるか、そして自分の人生でありながら、それを一つの映画作品のように監督や脚本家として作品化する視点があるからこそ自分史になるということなのです。
この客観的な視点で人生を生きることで、自分の人生を主体的に決めている実感と同時に、それを楽しむ自分自身の軸のようなものを自分のなかに形成できると思います。
いろいろな人との関係で形成された自分の過去を一旦は整理し、向き合い、受け入れたうえで、まさにいま、現在の自分からはじまる未来をどう演じて、どう作品として見せていくか、という自己プロデュースの楽しさが自分史のもつ素晴らしい価値の一つなのです。
だから、みなさんがこの投稿を読んでくれているこの瞬間も、みなさんの自分史の1ページ。
これを読み、何かを感じているならば、それはみなさんの過去や現在、未来の自分史に関係、影響するなにかがあるということなのです。
そんな感覚で、ちょっとワクワク、ドキドキしながら自分史というものを捉え、よりよく楽しく幸せな人生を送るツールとして活用してもらえたらと思っています。
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映画監督松井久子が編集長となり、生き方、暮し、アート、映画、表現等について4人のプロが書くコラムと、映画づくり、ライティング、YOGA等の…
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