ネット上での助言・指摘・意見は…
年明け早々、全く思いのよらない自然災害。
ここのところ「未曾有の…」と、本当なら滅多に使わないはずの言葉が毎年毎年躍っている気がします。
テレビやネットから流れてくる被災地の状況の映像に心を痛める…そこまではいいのだ。
それを見てあ~でもないこ~でもない、あ~いったのが気に入らないからこ~返す、こ~返したのが気に入らないからあ~被せる…あ~ぁ、心がイラつく。
何か起こる度に繰り返すこのネット上でのやりとり。
そのやりとりを見ると、コミュニケーションを割りきれていない方々が意外と多いのかなぁって思ってしまうんです。
実社会で直接的に顔を見て行う人と人とのコミュニケーションは、そのやりとりの前に「信頼関係」という大前提があります。
嫌いな上司から自分がしていることに対して何らかの指摘をされれば「うるせぇな、このやろう。」と心の中で思う。
好印象を抱いている異性から何らかの指摘をされると「○○さん、俺のことを心配してくれている。嬉しいなぁ。」となるのである。
ネット上、特にSNSでの関係は、中にはオフの状況でも顔を会わせていて既に実社会(もちろんネットの世界も「実社会」なのだが、ここで話す「実社会」とは面識というコミュニケーションで繋がっている人々の集まりを指している)での関係が構築されている場合を除き、その人の価値観は見ている他人には半分も伝わっていない。
特にSNSにおけるたった1つの投稿が何らかの形で広まってしまった時、しかも投稿文字数の制限があるコンテンツの場合はその投稿の真意というのは一見で伝わっているはずがないのだ。伝わっていないどころか、伝えたいことの真逆の考えとして捉えられてしまうことも少なくない。
相手の助言が…例えば助言の内容が100%正しくても「信頼関係」がないからとにかく頭に来るのである。いや、逆に正しければ正しいほど頭に来るのである。
つまり、見ず知らずの他人、気心知れていない人に対する「助言」「指摘」「意見」は相当な覚悟を持っておこなわなければならないということ。
「間違っていることを間違っているというのが何でいけないの?」「嫌ならそもそもSNSなんてやらなければいいじゃん。」…このご意見はおっしゃる通りなんです。
でも、忘れちゃいけないのが、ひろゆきさんではありませんがそのご意見はあくまでも「あなたの感想」なんです。
そういうと「だって私のいってることの方が正しいもん。」…それも「あなたの感想」なんです。
「あなたが何といおうと私の意見が正しいんです。」…あなたが100%正しいかもしれません。しかし、それを相手に「納得」してもらうということは、理路整然と話をして相手を「論破」をすることではないのです。
相手と一定の「信頼関係」がない場合、どんなに理屈が合っていても相手は納得するどころか憎悪が増してくるだけ。
「そんなことはない。面識のない方に意見をしたら『分かった』といっていた。」とおっしゃるかもしれません。
これはあなたの「言い分」が「分かった」だけ。「納得した」わけではないんです。
ひょっとしたらあなたにこれ以上話しても無駄だということが「分かった」のかもしれません。
今日、私がいいたいこと…
「信頼関係のない人、薄い人への助言・指摘・意見は相手を必ず怒らせると思ってすべし。」