【問いフェス】第1回:トイガーデン ビアガーデン編
夏だ!問いだ!概念だ! 🎆真夏のトイガーデン2024🍺の思い出
今回の舞台はビアガーデン。仄かに秋風を感じる夜の渋谷PARCO屋上、提灯の灯るComMunEを貸し切って開催された「問いフェス」。ビールやブリトー、ピンチョスを片手に、「問い」と「概念」について発表したり、質疑応答したり、歓談したりとあっという間の4時間の夏が過ぎていきました。
この記事では、当日の様子をダイジェストでご紹介します!
問いフェスとは?
問いフェス:問いと概念のフェスティバル
日々の生活や仕事の中で、ホットな問いや気になる概念はたくさん生まれてくるけれど、それらを論文にしたためて、学会発表のようなアカデミックな場で発表するのはちょっとハードルが高い……。問いフェスは、哲学の研究者だけでなく、デザインや編集、科学など、さまざまな分野の人が集まって、こっそり温めていた問いや概念についてカジュアルに発表し合う場所です。
昨年、試しに小さな屋形船を貸し切って第0回目を実施してみたところ、手応えを感じたため、今年はオープンに参加者を募り、より大きな会場で開催する運びとなりました。
「問いフェス」ならではの謎の(?!)慣習として、登壇者は赤いお祭りはっぴとハワイアンレイを身に着け、あたかも商店街の福引きでハワイ旅行を当てたような浮かれた出で立ちで順番に登場していきます。それぞれの日々の経験や興味から生まれた問いや概念 「半熟の思考」は、どのようなものだったのでしょうか。さっそく見ていきましょう!
当日の発表
問いと概念のプレゼンテーション
【概念】清水淳子さん「 マミーブレイン中に考えてみた言語化ではタッチできない概念にたどり着くための新しい言語の概念」
オープニングを飾ってくれたのは、『ニューQ エレガンス号』で「半熟の思考」という概念を提案してくれた視覚言語研究者 / インタラクションデザイナーの清水淳子さん。問いフェスを開催するきっかけにもなった方です。
最近出産を経た清水さんは、マミーブレイン(出産前と比べて記憶力や集中力が落ちた、判断力が鈍ったと感じる状態。シンプルにぼーっとする状態)に陥ったそうですが、そのじわっと痺れたような、水の中にいる時のような状態だからこそ見える世界もあるのではないか?という問いを出発点に、「『言語化』だけでは届かない領域にたどり着くための新しい言語」という概念について発表してくれました。
清水さんは「生卵のようにドロドロして扱いにくい感覚は、言語化すると目玉焼きのように扱いやすくなるけれど、もう元には戻らず固定化してしまう。言語化を仕事にしていると、なんでもかんでも固め過ぎてしまう」という悩みに対し、マミーブレインの状態をヒントに、感覚と意識をもっと柔らかく行き来するための言語を作れたらと話します。
言語化によって、焼きすぎた目玉焼きのように思考を固めてしまうのではなく、半熟の状態を楽しむような新しい言語概念とはどのようなものか?という問いかけに、多かれ少なかれ言語化を生業にする人が多く集まる問いフェスの会場は興味津々でした。特に半熟の思考をどうアーカイブするか?という問いは、このレポートを書きながら、まさにいま直面している問いでもあります。
生煮えの状態の問いや概念を楽しむ問いフェスのはじまりに、ぴったりな発表でした!
【問い】村山正碩さん「自己表現がもたらすもの」
2人目は、美学研究者である村山正碩さんの発表です。
村山さんはピカソやマティスの作品を取り上げながら、「自己表現(自分が思っていることや感じていることを表現すること)は私たちに何をもたらすか?」という問いについて考察を深めます。晩年のマティスは手術を受けた結果、運動能力が大きく衰えてしまいますが、創作意欲は衰えず、 新たな表現技法として切り紙絵に取り組むようになったという事例を紹介してくれました。
その時代の作品に対する複数の批評を取り上げながら、「自己表現は自己理解の深まりに加えて、自己変容の機会を与えてくれる」と村山さんは答え、その上で「では、それ以外に可能性はないだろうか?」と新たな問いをみんなに投げかけます。果たして、自己表現をするとき、私たちは何をしていることになっているのでしょうか?
村山さんの発表を聞くと、自己表現がもたらすものは、自己理解や自己変容の他にももっとあるような気がしてきます。クリエイターも多く参加する問いフェスにおいて、とても興味深い問いの発表でした。また、「身体能力が落ちている中での表現」を議論の起点にしているところに、どこか清水さんの発表とのつながりを感じました。
【問い】Edward Masuiさん「アクセス不可能な『過剰 excess』は知覚可能なのか?」
サーキュラーデザインとシステム移行のためのデザインを実践しているエディーさんは、最近提出した論文「One Thousand Years of Infrastructuring Katsuobushi:
Aligning Temporalities within More-Than-Human Entanglements」をもとに、約千年にわたる鰹節の製法の進化を例にした「『人間以上(More-Than-Human)』な関係性の中で、非人間とともにデザインするとはどういうことか?」という問いを発表してくれました。「人間以上な関係性」とは、人間と非人間(自然環境など)の相互依存的な関係性を指します。
鰹節の香りが一切しない発表のタイトルから、突然はじまる風味豊かな事例に気を取られながらも、本枯節の製法が生まれるに至った時間(性)の説明に聞き入ってしまいます。人間中心の視点から見ると、鰹節のカビは「事故」 と捉えられるのですが、その「事故」がどのように本枯節という新しい製造方法につながったのか。そのときの人間の振る舞いや姿勢についての考察が続きました。エディーさんは、この「事故」を新たな創造の糸口と再解釈する際に求められる態度を、「『人間以上』の世界との時間的ズレに対する感受性」と表現し、「われわれ現代人は『事故』を『事故』以上の何かと捉えることができるのか?」と会場に問いかけました。
最後にエディーさんが紹介してくれた、鰹節にクラシック音楽を聴かせる製造現場の映像は、傍から見ると少し不思議な光景に映るかもしれません。しかし、この状態こそが「人間以上」の世界にアクセスしている瞬間なのかもしれません。
【問い】三野新さん「物語、冷めてもなお」
前半のラストを飾ってくれたのは、写真家で舞台作家の三野さん。物語における「冷める」という事象について、探究していきます。
発表は、まず「冷め」に対比される「没入」という事象について、フリードの議論をもとに説明されました。絵画作品に対するフリードの主張とは「リアリティのある作品が、観者自体の絵画への没入をもたらす」というもので、絵画に描かれるモデルのわざとらしい演劇的な身振りやポーズは、没入を阻害するとされます。
フリードの議論によれば、鑑賞者の没入を阻害する(冷めさせる)ことは作品の価値を下げることになるのですが、果たして本当にそうなのでしょうか?三野さんは、続いてドイツのベルトルト・ブレヒトが提唱した「異化効果」という概念に注目します。「異化効果」とは、あえて鑑賞者を「没入」から切り離し「冷め」 させることで、逆に目の前の舞台の現実性や問題を意識させる、という演出技法です。
ブレヒトの試みは、旧来の「作品対鑑賞者」という二項対立的な考え方から外れ、作品と鑑賞者がお互いの努力によって物語を存在させ続けることを求めるものです。「異化効果」を考えると、「冷め」は必ずしも作品の価値を下げるものではなく、作品と鑑賞者の新しい関係性を見出し、そこに価値を与えるものとして捉えることも出来そうです。
最後に三野さんは「蛙化現象」を「冷め」の類型として挙げ、「『蛙化現象 / 異化効果』ののちに現実を持続させる技術をこそ、考えていくべきである」と提案し、「『冷め』を超え、それでもなおどのように現実を続けることができるのか?」と問いを立てました。
冷めたあとの現実をどう生きていけば良いのか?熱気冷めやらぬ問いフェス会場においてもなお、私たちにとって非常にアクチュアルな問いを投げかけてくれました。
【問い】三浦隼暉さん「政治は労働でありうるのか?」
後半のスタートを切ったのは、17〜18世紀の形而上学と生命思想史の研究をしている三浦さん。ハイボールで舌も滑らかになり、良い調子で発表が行われます。
三浦さんはシモーヌ・ヴェイユの『自由と社会的抑圧』を読んでいるときに、「政治は労働でありうるのか?」という問いに出会ったようです。シモーヌが「〔抑圧のない社会の条件の理念を規定し、どんな手段で、どこまで理想に近づけるかを探求し、そうした社会組織を発見し、その組織における個人の行動と責任を考えること〕そのうえではじめて、政治的行動は従来のように遊戯や呪術の分枝ではなく、なにかしら労働に似たものとなるだろう」と書いているのを読んだ三浦さんは、「いままでの政治は遊戯や呪術の分枝だったのか!」と驚きつつも「いや...よく考えるとそうかも...だとすると、政治が労働であるとはいったいどういう事態なのだろう?」と考えはじめたそう。
発表では、マックス・ウェーバーやハンナ・アレントを引用しながら、「政治」とは何か、また「労働」とは何かについて考察が続きます。近代において、「労働」は「生産力」を主な指標としてきました。マルクス的な発想をすれば「生産力の発展が社会の発展である」とも言えます。しかし、政治は生産性とどのように関係するのでしょうか?
政治を労働と捉えようとするならば「労働の概念を生産力から切り離す」もしくは「政治を生産的なものに近づける」という戦略が考えられますが、三浦さんはここで、「政治が労働であり得ないと困るのか?」と新しく問いを立てます。
キャッチーな問いかけで、難しいながらも考えてみたくなる発表をしてくれた三浦さん。誰しも一家言ありそうな話題に、質疑応答も大変盛り上がりました。
【概念】今井祐里さん「もっと『超越』について話そうよ いまはじめる哲学的神学」
newQからは今井さんが、「超越」という概念について発表しました。
「超越」は、ともすると聞く人をギョッとさせるような、日常的な言葉遣いからは縁遠い概念かもしれません。実際、今井さんは「超越」という概念を、「神」や「無限」、「絶対性」や「完全性」といった言葉たちと言い換えても良いものとして提示しています。
今井さんは、大学時代に受けた自然神学の授業で使っていた教科書である『旅する人間と神』(R・ロペス・シロニス著)を引用しながら、人間には「絶対的なもの」についての根本的な要求があると言います。真に絶対的なものを見出すことだけが、相対的なものを絶対化するという偶像崇拝(現代では思想やイデオロギーが崇拝すべき偶像としてでっち上げられている)から逃れる道なのだとしたら、ギョッとしている場合ではなく、「もっと話す」ことが大事なのではないかと提案しました。
「わからない」という仕方でしかわかることができない「超越」をどうともに語っていくのか、トピックのアイデアなどについても議論が交わされました。
「これは決して怪しくないのですが...」という枕詞とともに「超越」概念について話しはじめる参加者も多く、問いフェスは決して怪しい会ではないのですが、非常に盛り上がりました。
【概念】田代伶奈さん「根回し」
今回のイベント運営も担当してくれたFRAGEN代表の田代さん。政治関係の仕事の経験から、「根回し」についてのモヤモヤを発表してくれました。
とかく政治の現場で求められる「根回し」。しかし、田代さんは「根回し」や「根回し」に付随する空気、また、それを是とするカルチャーが嫌いであると言います。なぜ、「根回し」に嫌悪感を抱くのでしょうか?もしかしたら、そこに倫理的な悪さがあるからかもしれません。
田代さんは「根回し」を「ある目的を実現しやすいように、関係者にあらかじめ話をつけておくこと、とりわけ意思決定者(と思われる人を)を味方につけること」と定義付け、そこにある悪さとして男性・健常者中心主義、ジェンダー不平等、非民主的、ハラスメントを温存する構造などを挙げ、分析を続けます。
そして、これらの倫理的な課題をもった「根回し社会」が生まれる背景として、「『コミュニケーション』は不可能である」という言説の安易な受容があることを問題視しました。そして、その問題に対して「『哲学的な態度』でいかに反抗できるか?」と問います。
みんなで議論をすることを諦めて一部だけで話を進めようとしている人に対しても、コミュニケーションを諦めたくないという田代さんは、「それ、いつどこで決まったんですか?」「もっと話しましょうよ!」といった、根回しカルチャー撲滅に効くキーワードを教えてくれました。
ディスカッションでは、根回しをするためにさらに根回しをするといった混沌とした状況を経験した人に共感が集まったり、「根回しの中にも良い根回しと悪い根回しがあるのではないか?むしろ、状況によっては必要なこともあるのではないか?」と疑問がでたりした他、「これまで『根回し』をポジティブワードとして使っていた」という反応も出てくるなど、とても盛り上がりました。
【概念】秋山福生さん「ホワイトノイズ社会」
トリを飾ったのは、行政系のサービスデザインをしている秋山さん。
秋山さんは第0回の問いフェスで「概念のデザイン」を提案してくれたのですが、今回は「生活のための概念デザイン」の実践として、より多くの人が日常生活を生きる上で役に立つ「ホワイトノイズ社会」という概念を発表してくれました。「ホワイトノイズ社会」という概念は、秋山さんが過去に受けた偏見に抵抗する中で見つけたと、自身の経験をもとに説明を始めます。
ホワイトノイズは、一見グレーに見えるものの、良く見るとさまざまな色がバラバラに表示されていることに気づきます。秋山さんは「ホワイトノイズ社会では、人々は一色のように調和するが、均一ではなく、おのれの色を保つ。ときには固まり、また散開し、蠢き続け、動的な模様を描く。個性はあるが、境界も偏見もない」と、グラフィックとともにイメージを伝えていきます。
最後の一文にある「みんな、溶けずに混ざろう」という言葉は、ただ闇雲に「多様性」と謳いつつも平均化されていく世の中の窮屈さを解いてくれるような、ただ調和するのではなく自分の個性はきちんと残せるような、そんな社会のあり方を想像させてくれました。
問いフェスの会場も、参加者同士が半熟な思考を抱えたまま溶けることなく語らっている状態がまさに「ホワイトノイズ社会」が体現されているようでした。
終わりに
ここまで、「問いフェス」ビアガーデン編のダイジェストをお送りしました。参加者および発表者のみなさま、改めてお疲れさまでした!
運営をはじめ会場スタッフの方たちの協力のおかげで、スムーズに進行することができました。
イベントオーガナイザーを務めてくれたFRAGENの田代さん、瑞生さん。
おしゃれなTシャツを作ってくださったsuper-KIKIさん。
会場の撮影をしてくれたカメラマンの市川さん。
ディスカッションが盛り上がるBGMをセレクトしてくれたDJの橋本さん。
素敵な料理と飲み物を提供いただいたTAKOBARさん。
そして、ComMunEスタッフの皆様。
ありがとうございました!
まだまだディスカッションし足りない!という方や、この記事を読んで関心を寄せてくださった方は、問いフェスのスピンオフとして「問い鍋」や「概念の忘年会」を開催できたら良いなと考えていますので、ゆるりとアナウンスをお待ちください。
「問いフェス」が夏の終わりのささやかな思い出になれば幸いです。次回は、どんな会場が私たちを待っているのでしょうか……?
また、newQでは現在制作している「大人の教育番組」や、「ニューQ」新刊のプロジェクトも進行中です。皆さまにお届けできる日を楽しみに、頑張ります。
仕事の現場でも、みんなで半熟の問いや概念について考えてみたいと思う会社や組織に向けて、「出張・問いフェス」なども行います。「うちの会社でも問いフェスをやってみたい!」という方がいらっしゃいましたら、ぜひお声がけください!