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【TEALABO channel_20】芯を貫いた男が拓いた温故知新な世界 -有限会社宮原製茶工場 宮原俊郎さん-
鹿児島のブランド茶である「知覧茶」の作り手を直接訪ねて、その秘めたる想いを若者に届けるプロジェクト「Tealabo Channel」。
日本茶は全国各地に産地があり、各産地で気候や品種、育て方が違います。そんな違いがあるから「知覧茶」が存在します。一年を通して温暖な気候がもたらす深い緑色と甘みが特徴である知覧茶の作り手の話を皆さんにおすそ分けします。
第20回目は、『有限会社 宮原製茶工場』(以下:宮原製茶)代表取締役の宮原俊郎さんにお話をお伺いしました。
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一つのことをやり抜く姿勢
宮原製茶は昭和10年に創業し、知覧茶の中でも早い段階から有機栽培に取り組まれています。
明治20年に宮原さんの祖父が村民と茶業組合を結成し、その後、村長として知覧のお茶を産業として奨励したのが宮原製茶の起源といわれているそうです。
現在の店舗に移転して30年。
自園自製で卸小売を軸に事業をされています。
宮原さんは長男として生まれ、大学は東京農業大学へ進学されました。
妹さんと2人兄妹だったため、長男として継業することはごく自然と頭にあったといいます。
そんな宮原さんが大学時代のすべてを注いだ応援団の話をしてくれました。
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「何を思ったのか、入学当時はスポーツ刈りにしていて、それで武道系のサークルに声をかけられ、逃げ回っていました(笑)。そんな中で応援団の勧誘をうけたんですが、とんでもない魔物がいるカオスな世界の匂いを感じて入団しました。でも、想像以上に大変で、体力的にも精神的にも鍛えられた4年間でした。」
所属していたゼミの先生は厳しいことで有名だったみたいですが、卒論発表の時、その先生から意外な言葉を言われてびっくりしたそうです。
「俺はこいつらみたいな人に先生になってほしいと思っている。一つのことを4年間一生懸命打ち込んだこいつらこそ、日本の教育には必要なんだ」
そんなエピソードをお話される中「応援団は人生だ!」と誇らしく言葉にされていたのが印象的でした。
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時代が経っても変わらないもの
大学卒業後、そのまま鹿児島へUターンし、家業を継業。宮原製茶のある知覧地区では農家がほとんどおらず、兼業しながらお茶を栽培されているところが主流だったといいます。
自園がなかったため兼業農家から生葉を買い取り、それでお茶を製造するスタイルで事業をされていたそうです。
平日に別の仕事をしている農家ばかりだったので、土日に二日二晩寝ずに作業をすることが多かったんだとか。
しかし、時代の流れとともに、その事業スタイルも継続が難しくなってしまいました。
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その後、茶畑を広げ、自園自製へと踏み出し、現在、自園では在来品種を無農薬栽培にて「ちらんほたる」という名称で販売しています。
何と在来種は樹齢が70~80年を迎えているものもあるんだとか。
樹齢がとても長い畑へのこだわりについて、伺いました。
「ひょっとしたら、もっと樹齢があるかもしれません。県内見渡しても、そんなに古いお茶はそんなに残っていないと思います。うまく言語化できないのですが、長く管理しているうちに「農薬を使わなくても大丈夫」と感じるようになりました。」
ネット通販もしているがほとんどが電話かFAXで注文を受けている宮原さん。それでもずっとファンとして購入し続ける方もいらっしゃるので嬉しい限りだと話していました。
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茶業以外の世界と繋がることで
継業後、様々な会に顔を出すようになった宮原さんは、茶業青年部や商工会青年部等、毎日のように何かしら活動をされていたそうです。
地域活動を通して、行政や農協、他職種の人たちと繋がり、交友関係が広がっていきました。
知覧エリアだけではなく、県の青年部の役員もしたので、県内のほとんどのエリアに友達がいるそうで、今でも続いている関係性は財産だと話されていました。
しかし、継業当初はあまり友達が居なかったと語ってくれた宮原さん。幅白い交友関係を持つきっかけを取材を通して聞いていくとあるきっかけにたどり着きました。
「交友関係が広くなるきっかけとしては、父が多くの会合に参加しなかったので代わりに参加したというマイナスな理由がきっかけだったのですが、結果として、青年団等の活動に参加してよかったです。」
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その青年団活動の一つの核として演劇活動が挙げられます。
それは宮原さんが所属されていた知覧の青年団も同様でした。何と45年の歴史があるというのです。
全国大会にも出場し、OGでプロの声優になった団員を輩出した功績もあります。
「私は現在も団員として演劇をしながら、広報としてもサポートしているところです。「演劇をしたい」という若い子たちが集まってくれるので、すごく活気があります。」
劇団活動を行政が重宝してくださり、知覧人会の関東・東海・関西といったエリアで演劇をさせてもら得たこともあったようです。
「演劇活動を通して、様々な年代や職種、エリアの方と交流できました。関係性が濃いので、新しい活動をする際に、それぞれができることで支援しあったりしていて、それが素晴らしいなと思っています。」
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古きものに新しい光があることを信じて
「実はね、小さな夢があってね…。」
嬉しそうに資料を取り出す宮原さん。
それは日本茶の歴史に関する資料でした。
「廃仏毀釈でお寺自体は無くなったのですが、川辺に宝福寺というお寺があって、そこに南九州市で一番古い木が植えられています。資料には1659年からそこでお茶が栽培されていた旨の記録が残っていたんです。頴娃も知覧もそこから100年以上後から栽培されているので、相当歴史が古いものだということがわかります。」
以前、講演会で学芸員の方がその木について話をしてくれたこともあり、歴史にロマンを感じたと語ってくれました。
「新しいことより古いことを知りたい気持ちが強いです。新しいことは若い世代がやってくれるので、そういった意味合いで古きものを検証していく人が必要なのではと思っています。」
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物価が高騰する世の中になり
小売されている商品を値上げするかどうか悩みを抱えているそうです。
「ウチのお客さんのほとんどはお得意様です。昔からの付き合いがある方が亡くなったと耳にすることも増えてきました。」
電話注文の際には、注文よりも世間話のほうが長いことが多いことも。それは悪い意味じゃなくて、商売的には大事なのではないかと考えている宮原さんには人との対話を大切にする強い意思が見えました。
「もちろん高く売れることはありがたいことです。でも、それ以上に製造したお茶が誰に渡っていくか。顔の見える商売をしているからこそ、値段ではなく、コミュニケーションを通した繋がりを大事にしたいんです。」
「少しでもリーズナブルにお客さんに提供したい気持ちも根底にあります。昔からこのスタイルでやってきて、お店として今でも続いているのは本当にありがたいです。」
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周りへのリスペクトを忘れない
知覧茶農家や青年部も世代交代が続き、宮原さんが若い時とは違った動きが出てきています。
そんな今の若い世代をどのように見られているのでしょうか。
「風通しが良くなってきていて、新しい活動もされているのも耳にします。素晴らしいことだと思います。」
「しかし、知覧茶というブランドがあるからこそ、のしかかってくるものは大きい。それを乗り越え、どのように変化していくか。そんな転機を迎えているのかもしれません。」
「知覧茶ブランドに統合されたことによって、一つにまとまりましたが、難しいことも多いです。ある意味、地域づくりそのものだと思います。一つになろうとすることで、越えるべき壁がたくさん出てくる。」
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結局、最終的に大事なのは人間関係のバランスだと宮原さんは力強く話します。
「劇団仲間から聞いた話が印象的でした。生きている間には、仕事や家庭、趣味といったサークルがあって、そのバランスがうまくいかないと人間は駄目になるんだと。」
「そのバランスをとるのは自分自身です。でも、自分のことばかり考えていると、どの世界でもやっていけないと思うんです。自分のことを大切にしつつ、周りの人たちへのリスペクトを忘れてはならない。」
「人間は一人では何もできません。今は想像もしないことが起こってばかりで生き残るのに大変な時代です。それでも、お互いに労いながら勝負していきたいと思います。」
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時代の変化に対応していかないと
生き残れないといわれる現代。
宮原さんの中には
商売を通して肌で感じてきた
古き温かみのあるスタイルが染みついていました。
それは新しいものに目がいきがちな
現代を生きる私たちが
忘れかけているもののように感じました。
今回の取材を通し
改めて自分を支えてくれている
誰かを大事にしよう、リスペクトしよう。
そう思えた時間でした。
【プロフィール】
宮原俊郎(みやはら としろう)
1960年知覧町生まれ。東京農業大学卒業。(有)宮原製茶工場 代表取締役。
昔ながらの製法で有機栽培のお茶作りを守りながら並行して文化作りにも力を入れ、「劇団いぶき」の代表としての顔を持つ。
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