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領域を横断して「これまでになかった仕事」を創るということ。

「新しい職業」はどうやって成り立つのか

一例として、茶道を仕事にするというと、茶道教室の先生になる流れは避けがたいらしい、というのは修論で触れた。修論の中で取り上げた人々は、茶道を習っていく中でそれが趣味以上のものになっていき、最終的には誰かに茶道を教え始めていく流れについて書いていた。

それを踏まえ、お茶とは関わり続けたいものの、将来的に茶道教室はやらないなと考えていた自分は、常に「お茶×何か別のもの」の組み合わせを考えていた。分野や業界の違う人からのお願いは受けるようにしていたし、自分でも分野を常に横断したいと思っていた。後述するが、究極は「自分×何か別のもの」でいい。

お茶は好きだけど、別に「好きなこと」だけで生きるのは至高の目標ではない。人生における好きなことの比重を自分で決められるなら、100%「好きなこと」だけの人生じゃなくても「自由」に生きられると、まだ個人事業をしていなかった4年前に既に書いていた。

主に会社員をしていた自分が個人事業などでもいい思いをさせていただけたのは、おそらく茶道教室以外の仕事を地味に広げたからだ。世間一般が思う「茶人」ではないが、「Teaist(私の屋号)」という肩書きの中身を増やしてきた。

たとえば「お茶×何か」を意識して他分野の人とコラボをして茶会をすると、飛び道具の人(変なことをしてる人)という印象になる。でも、それでよかった。

キャラや職業は作ろうとして作るものではなく、自分が実際にしたことに対する評価として、後からついてくるものだと知った。

そこから派生して、無理やりお茶を使う謎レシピや、お茶ブランド媒体での季節のエッセイなど、既存の仕事とはまた少し違うジャンルや毛色の、新しい立ち位置を小さく小さく作り出してきた。

そのことに対するご褒美を、仕事として得ていたのだと思う。あれは一種のボーナスタイムだった。周りの人々や業務委託先の方々に恵まれたこともあり、自分の仕事が評価されたり感謝されたりしていると実感できる経験を立て続けにした。

ボーナスタイムのその先

そんな経験を「ボーナスタイム=いつか終わる」と思ってしまっていたからこそ、そのままの仕事や状態を続けようとは思わなかった。勢いだけで怒涛のボーナスタイムを過ごしたが、30代を迎えるときにふと冷静になったというのもある。

より正確にいうと、周りが思う自分像と自分が向かいたい先がズレてきたので、仕切り直しが必要になったのである。だからこそ、何か別の仕事をしたり他分野にまたがったり、新しい専門性を作らなければと思っていた。

でもそれは単なる焦りや迷いというよりは、方向性を再調整する作業だ。他分野にまたがることで、茶道やお茶よりもっと大きな世界の分断に切り込めるようになりたいと、3年前にも書いていた。

しかし、これまでのボーナスタイムは、文字通りお茶によって巻き起こされたものだったのだろう。お茶以外の比重を重くしたら、これまでに立っていた地面は簡単にぐらついた。自分がこんなに「お茶ありき」の人間で、お茶がないと何のバリューもプレゼンスも発揮できないのかと思いかけて、最近ようやく気付いたことがある。

「既存の仕事とはまた少し違う立ち位置を作ったこと」によってたまたま運がよくなったのなら、業界や仕事がいくら変われど、また同じように立ち位置を作っていかなければならない。
何度でも「たまたま運がいい」状態を作り出すしかない。

ボーナスタイムの終了を嘆いていないで、地盤がグラグラのこの今もまた、「新しい立ち位置を作っている最中」で、運がいい状態を作り出す素地づくりの真っ只中だと考えるべきだ。

運の良さの理由を考える

つまり過去の幸運に対して思考停止せずに、そのボーナスタイムはなぜ発生したのかを考えたほうがいい。すべきことは2つだと思う。

・卑下するでも自嘲的になるでもなく、過大評価もせず、なるべく正確に立ち位置を把握すること。
・これまでしてきたことを商材や業界以外の言葉で説明すること。

たとえば私は業界で「浮いてた」のだが、別の言葉で言えば「周縁的」だったのである。ジャンルど真ん中の立ち位置などあり得ず、常に説明が面倒なポジションにいた。どこにも両足をつけないまま、片足はいつもジャンルを横断している。そんな不安定極まりない場所に立っていたからこそ、今までやってこれていた。

みんながみんな、ジャンルのど真ん中を目指して、何か一つの専門家になって成功するとは限らない一貫性さえあれば成功するわけでもない。3つ4つどころではない領域をまたいで、ようやく自分の立ち位置が出来上がることだってあるのだ。

中心部から遠い周縁的な人は、他業界の人には近い可能性がある。私はきっと、常に誰かと誰かの間にいる人だ。消費者と生産者の間、お茶の経験者と未経験者、理系の入り口とド文系の間とか。今は、アカデミズムと企業の間にも関心がある。

他分野の横断が向いているタイプとは

現時点の仮説だが、領域をまたいで新しい仕事を創るのに向いているのは下記の②のタイプである。

そもそも①のタイプはずっと同じことを極めていたらいいし、それが幸せに直結すると思う。

私がお茶以外の領域に手を出していたい理由は、「自分が死ぬまでの時間が最大限うまく使える」なら、お茶というジャンルじゃなくてもいいと思っているからだ。

お茶をしているときに時間を最大限うまく使えているならお茶をするけれど、もしそうでないなら他のことをしているほうが社会や自分のためになる。もしお茶でもお茶以外でも役に立つなら、その両方をする。

そしてそれが誰かの役に立っている間は、それがどんなに複雑なジャンルであれ、「仕事」および「職業」と呼ばれるのだろう。

周縁で働き続けるということ

長々と書いたが「自分が価値を発揮できそうなこと」ができたらいいだけだ。しかしこんな単純なことが全然通じないことがよくある。

お茶しかやりたくない人に思われたり、逆にお茶以外の仕事をしているとお茶から手を引いたと見られたり。どちらかにしか力を注がない、両極端な人だと思われることが多い。
人から依頼されるクライアントワークも多いので、周りからどう見られるかが仕事に直結する。他人の理解はどうでもいいとは大っぴらには言っていられないわけで。

会社員だけ、または個人事業だけを一生する人の割合は減っていくだろうし、この領域が専門だから他の領域はそこまででもない、などと全てを二項対立で捉えていると、大事なものを見落とす。

新しい職業が勃興していくのと同時に、増やさなければいけないのは職業的な立ち位置だとも思う。周縁でぐるぐるしているようにしか見えない、どっちつかずで季節労働者みたいな立ち位置も、いつかは一般的になるかもしれない。

↑以前書いた上記のnoteの補足として書いてみました。どういう心境の変化があって次の領域にまたがったのかを、書いています。


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矢島 愛子 / Teaist🍵
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