これから茶道教室に通われる方へ。
そして茶道教室をお探しのあなたへ。
本日より全国公開された映画『日日是好日』は,日常に気づきを与えてくれる場として茶道教室を描いていました。『日々是好日』のエッセイや映画にあるような体験は,茶道教室に通い続けたら得られそうな気もします。実際,得られることもあります。(あの作品に大いに共感するということは,私もそのような体験をすることがあったのだと思います)
これまでの茶道の醍醐味は,何十年ものお稽古を積んだ先に見えるはずの世界だったように思います。だからこそ,何十年も経験を積んでいる方々が敬われてきました。それは,何十年と稽古をしても,まだまだ勉強することがあるという深遠さへの敬意とも言えます。
そのような深遠さはつまり,「茶道教室に通った期間の長さ」に表れていると考えられてきました。茶道教室にずっと通っていると,一つの分野を突き詰めた博士課程後期の学生のように,何かに辿りつくかもしれません。
ただしある明確な根拠を持って,茶道教室という形態は,今後みるみる変化していくことは確かです。いつか何か得られるかもしれないと,何十年も先に期待して茶道教室に通うことは,今後は困難になります。何十年も先には,現在と同じ形式の茶道教室は,おそらく残っていないからです。(その根拠と今後増える茶道教室の形態は,拙著の修士論文に記載しております。本記事の末尾にリンクを掲載しております。)
通ってみないことには良し悪しは分からないけれど,長く通っていたらいつか分かるという淡い期待がしづらい世になりました。これまでのように,教室に通い続けた期間の長さを,自分が達しているであろう深遠さの根拠にすることはできません。
だからこそ,茶道によって何十年も先に学びを得ることを期待しつつも,教室がなくなってもその後続けていける「お茶」の在り方を見つけなければなりません。
それは,博士課程に在籍しているだけでは博士号が取得できないのと似ています。
『日日是好日』の主人公は恋愛も仕事も頑張っていて,そこに週一回のお稽古が挟まり,一つひとつ気づきを得ていました。仕事だけでもお茶だけでも,きっとあの気づき(悟りのようなもの)には達しなかった。それだけは確実そうです。
だからこそ,茶道教室以外の日常をどう生きるか,日常にどのようにお茶が存在するかが大事になります。
同時に,教室に通うだけではダメだとも,自らお茶会を催すべきだとも思っていません。
例えばお稽古以外でも「毎日家でも点てたらいい」と考えるのも,「茶道教室に通い続けていたらいい」と考えるのと大差ないと思います。(過去4年9ヶ月以上毎日点て続けてきた身としては,「毎日点ててるだけでは何も変わらない」ということが分かっています。)
なぜこのような主張をするのか,私自身の茶道教室の経験は以下の記事にまとめております。茶道をされている方,されていない方の双方からご感想をいただきました。
下記の記事のような経験があり,私の茶道教室に対するイメージは変わりました。ただしそれは,「お茶」そのものの問題ではありません。
茶道教室でお茶を習うことが楽しい人,違う楽しみ方をする人。各々が楽しくお茶をする方法は必ずあるはずだと信じています。その選択肢は,今や茶道教室だけではなくなりつつあるということは,触れておきたいです。
茶道教室の中だろうと外だろうと,皆さまがご自身に合った方法でお茶を楽しまれることを,心より願っております。
補足資料
茶道教室の現状を20代〜30代の茶人がどのように捉えているかについては下記の記事を参照ください。
以上を踏まえ,30代の茶人がどのような茶道教室を運営するのか,運営方法と教授内容をまとめました。現代人のライフスタイルに合わせ,こちらの方式が今後増えていくと予想しております。同時に,「古き良き」茶道教室はここにある形式ではない可能性があります。どちらが正しいということではなく,どちらを選択するかの問題であり,それは皆さんに委ねられています。
その他,茶道教室に通う他にも,お茶を楽しむ方法はあると考えております。茶会を催す,茶会に参加する,どちらももちろん可能です。一例は第4章にいくつか掲載しております。修論の中でも反響のあった章です。
その他,第3章では茶道教室の教授者について,実際の茶道教室の生徒の生の声を引用しております。いくつかページを抜粋しましたが,修士論文の目次からお好きなページを読んでいただくこともおすすめしております。