第7回 村長散歩日記【村内編】 230323(毎週ほぼ木曜配信)
(島田啓介マインドフルネス・ビレッジ村長による村長日記です♪)
回覧板代わりの村長日記。第7回は、最近の対談、講座を振り返って。ビレッジ&カレッジでは、通常のレギュラークラスのほかにも、多彩な講座や会があります。最近は5月から開始するマインドフルネス・カレッジ応援企画としての対談が多く、ぼくも3月にふたつの対談を行いました。
ビレッジは村外向けの参加自由のイベントもあります。興味を持ったらぜひいらしてくださいね。
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【第7回:村内編~対話で深めていくマインドフルネス】
マインドフルネスの要は「対話」である。自分との対話、呼吸、身体、感覚との対話、他者との、社会との、世界との対話だ。大いなる存在とも言える神や仏、宇宙の根本原理なども加えられるだろう。一方的に観察するのでも観察されるのでもなく、双方向の対話をするとき、そこに気づきが生まれる。
与えることと受け取ること、話すことと聴くこと、布施することとされること、癒すことと癒されること、愛することと愛されること。それらのやりとりを包む大きな眼差し~それが気づきのフィールドだ。大きな気づきに包まれているとき、ぼくたちは安心して生きることができる。苦しむことさえも。
心が苦しいとき、しばしば自然の中へ行くという話を聞く。自然に包まれ、自然に問いかける。そうして言葉にならない応答を続けているうちに、癒しが地湧してくるのかもしれない。人と話すことでは解けなかった心の「結ぼれ」が、ゆるんでいくのを体験したことが二度三度ではない。 しかし最終的には、やはり人との対話に帰ってくる。ぼくは人と話すのが好きだ。とくに対談という形で、あるテーマをめぐって話すことに魅力を感じる。最近は「ときめき」「運命」「絶望」などが話題に上った。相手は同業者?(瞑想の実践者や心理、宗教などの専門家)のときもあるし、対談後に設けるシェアリングの時間で発言する参加者とのときもある。
あらかじめ打ち合わせはするものの、そのとき出てくる言葉は準備不能な地平から湧いてくることが多い。ライブ感こそ対話が好きな理由だ。自分ひとりが話者となる講演では、その振り幅はどうしても限られる。予想もしない角度で相手から投げ込まれた言葉に、自分がどう反応するのかにも興味がある。 結局はそんな他者の予想不能さが好きなのだ。すべてがコントロールされ、思いの範囲に収まっては面白みがない。揺さぶられることにはリスクも伴うが、思いがけない自分との出会いも待っている。他者を思い通りにしようとする究極は戦争だが、他者との出会いがわくわくに変わる対話はマインドフルネスだ。その先に何が待つかわからない、その探求心こそマインドフルネスである。
最初に書いたように、対話の相手はまず自分自身であり、呼吸、身体、感覚、他者、社会、世界へと広がっていく。未知だからこそ問いかけがある。応答が成り立つ。「知らない」ということにわくわくできる。対話は、大いなる〈unknown〉に入ってゆくきっかけだ。
対話のあとには、新しい問いが生まれる。わかることとわからないことがセットでやってくる。それがおもしろいのだ。
そして、身近な自分がいちばんの謎である。だから最初に「息を吸いながら入ってくる息に気づく、息を吐きながら出ていく息とともに微笑む」のである。呼吸による呼吸との対話だ。
そう思って自分と親しく対話してみよう。瞑想を始めたころ、ある先生から言われた。“How do you feel?”と自分に問うことを習慣にしなさいと。ティク・ナット・ハンは“Are you sure?”を自問せよと言う。
自分と親しく対話する人は、人ともそうできる。
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