第10回 村長散歩日記【日常編】 230413(毎週ほぼ木曜配信)
(島田啓介マインドフルネス・ビレッジ村長による村長日記です♪)
回覧板代わりの村長日記。第10回記念は、リクエストに応えて今日の気づきから。マインドフルネスは何気ない日常の気づきによって急に広がったり、深まることがあります。いつもそう思ってアンテナを張っているといいですよ。ワクワクする探索になります。
ビレッジは村外向けの参加自由のイベントもあります。興味を持ったらぜひいらしてくださいね。
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【第10回:日常の空白にマインドフルネスの天使が訪れる】
*おもしろいタイトルになっちゃったなあと思う。あらためて座るのも大事。そういった積み重ねがやがてふと訪れるマインドフルな瞬間をプレゼントしてくれることがある。ぼんやりしているのとは違う、明らかに。耳を澄ませながら森を歩くとき、何かを一心に見つめるとき、体をほどいて草の上に寝転ぶとき、小さな子どもに微笑むとき、訪れる瞬間。
今日のぼくは、森の入り口で腐葉土をかき集めながら一輪車を押していた。行ったり来たりしながら、庭の隅の苗床まで大量の土を運ぶ。昨今の社会情勢から、肥料の値は二倍ほど値上がりした。この際、骨が折れても土づくりは自然素材だけでやってみようと思った。
平日昼間、まだ陽は高い。誰一人いない山の中、新緑がすべての空間を埋め尽くし、みっしりとした輝きで包み込んでくる。そんなときふと思った。「一体ぼくは何をやっているのだろう?」と。この時代、この社会の中で、今やっていることに何らの意味づけもない。ふいに梯子を外されたような浮遊感とともにそんな考えが浮かんだ。
普段ぼくらは、行為に対して当たり前のように整合性を感じている。歩くのはトイレに行くため、食べるのは栄養とエネルギーを補給するため、働くのは今月の生活を確かに保障するため、話すのは相手をより深く知るため、瞑想するのは、瞑想は何かのためなのだろうか? 意味をはぎ取られた行為は、そこに方向性を失った運動としてあるだけだ。それでも体は動き続ける。手はしっかりと一輪車の取っ手をグリップし、息は忙しなく深くなり、目は前方数メートルを見つめている。そうして鼻は腐葉土の馥郁とした湿り気のある香りを楽しんでいる。体は生きることをそのようにきちんと遂行している。
それだけ、ただそのことが心を安堵で満たしていく。癒しのためのプログラムをわざわざ求めて出かけなくても、知らずに心はほどけてくつろいでいる。そのとき、物事がよく見える、聞こえる、感じられる。世界は鮮やかにその瞬間に息づいている。自他不可分の春の呼吸が感じられる。そう、今は春盛りなのだ。 あらためて見まわせば、すべては今ここを生きている。ぼくが山を見るとき、山もまたぼくを見ている。お互いに視線を投げかけながら、山の小道は春の祝祭にあふれているのだった。それに気づいたことが、他の何よりもかけがえのないこのとき。「本当の豊かさとは何か?」それが今朝の問いだった。そして、マインドフルネスの天使は、すでにその答えをあらゆる空間にまき散らしながら喜ばしげに踊っていたのである。
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※講座情報
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*毎月のスケジュールはこちら(ときおり変更もあるので、必ず以下から確認してください)
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