第30回 村長散歩日記【日常編】 230930(週末配信)
(島田啓介マインドフルネス・ビレッジ村長による村長日記です♪)
夏の疲れがどっと出てきた秋の入り口、気功師の友人が家に訪ねてきました。久しぶりの邂逅を楽しんだあと、頼むつもりはなかったのですが彼に気功整体をしてもらいました。施術後は全身が慈悲の雲で包まれるような温かい安心感に満たされました。まず何より安心があること、それほど幸せはありません。体と心がゆるみ、声がすっきりと通るようになったのでした。久しぶりに話すだけでなく、何倍にもありがたい再会となりました。
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【第30回:一日暮らし~一瞬一瞬を大切に生きる】
*今日SNSで友人の誕生日のお知らせが来た。ぼくと同い年の女性である。しかし気づけば、すでに2年ほど前に亡くなっているのだった。共通の友人である彼女の夫から知らせが来た。お墓参りにも行かないうちに年月が過ぎたことをかすかに悔いた。
最後にもらったメッセージはホスピスからだった。自分との和解がまだできないでいるという言葉だった。思えば晩年、ぼくは連絡を受けて彼女の話をよく聞いていた。そのとき人との和解、自分との和解について話したことを憶えている。彼女は思いを抱えたまま亡くなったのだろうか?
虫の知らせというのか、昨晩はいったん起きたらなかなか寝られず、まだ暗いうちに目が冴えて、じっと横たわったまま瞑想していた。雨の降り続く中、ジャングルのように樹木が道の両側からかぶさってくる道を、故郷の実家へ向かうという夢を見た。そのあと、歳をとること、このまま体が動かなくなっていくことが急に恐ろしく思えてきた。
65になる今でも、ぼくは年齢について悩むことはほとんどない。実際身体的には元気だし、衰えを感じることもあまりない。しかし今朝はどうだろう? 魔が差したかのように、天井をぼんやり眺めながら差し迫っているわけではない老いを恐れた。
遠くないうちにそれは必ずやってくる。老いやその先の死を避ける手立てはない。あれ?どこかで聞いた言葉だ。そう、何度目にしたかわからない「常習観察経」の中の言葉だ。避けられないのに考えて苦しむ、人間の業を描写している。まったくぼく自身も多分に漏れない。経文を読みながら、さらに解説さえしながら、自分で身に沁みていなかったのだ。
夜が明けてきて、早朝瞑想会のリードをした。多くの仲間が画面で一緒に瞑想している。今生きてつながっているということ。その素晴らしい瞬間に微笑みは自然と浮かぶ。朝一番の瞑想はいい。こうしてまた生まれ直したのだから。
江戸時代の禅僧、正受老人として知られる道鏡慧端は、「一日暮らし」という言葉を残した。一生ではない、この一日を生き、一日に死ぬ。我を捨ててただ一心に一つのことに集中する、それを正受と言う。振り返れば、ティク・ナット・ハン師の漢名である釈一行の「一行」も、正受と意味を同じくしている。
大切なのはこの一日、この一瞬だ。心を込めてていねいに、ここにある必要な務めに集中すること。それ以外明日に何が待つかはわからない。老いや死が確実であっても、今私はその中にいないのだ。聖書には「明日のことは明日が思い煩う」とある。
先日来宅された養生の先生は、「寿命通りに死ぬことができたら、悔いは残らない」と言われた。自身70を過ぎて体もあちこち痛みながら、ご自分の父上を見送った心境を重ねてのことだった。寿命が尽きるまで生きるには、今日を生きる他はない。一歩一歩の結果が寿命になるのだ。それは怖れではなく、感謝の道行きだろう。どう生きるのかが死に方になる。
詩人坂村真民は、たえざる苦難に会ってこう書いている。 この弱さよこの不信よああいつの日かこの試練に心から手の合わされるのは 病苦や老いや死は最大の苦難であろう。今朝は自分の弱さをつくづく知らされたが、だからこそ本来に戻る道が示されているのもまた恵みである。
今、三年前に亡くなった親友水城ゆうの晩年のピアノ演奏集を聴きながらこれを書いている。亡くなったからなおさら照れずに「親友」と呼べる人がぼくにはいる。このようにして今も死者たちは、見守ってくれているのだ。 彼らの静かな視線のうちに、安らぎは育まれる。死への歩みは今ここに集約し、生死ともに大丈夫の微笑みがやってくる。今日はこうして始まった。
ぼくはぼくの今の仕事である「言葉を紡ぐ」作業に戻ろう。言葉こそ、いつまでも続いていくものだ。
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