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学校現場と丁寧に対話しながら一緒にやっていく

文部科学省に入省してから3年目の頃の話です。総合職で3年目になると係長のポストに配置されるため、局長の随行として大臣レク(大臣に重要な案件を説明すること)にも同席するようになります。
その日も、生涯学習政策局長と一緒に大臣レクに臨んでいました。大臣への業務説明が終わった後、雑談に近い形で大臣と局長との会話が始まります。

その頃、ある学校でいじめに関する重大な事件が発生していて、影響がその地域の教育委員会のみならず、文部科学省にまで及んでいました。
学校現場で事件が起きたときに、「この問題に文部科学省はしっかりと対応すべきだ」という世論の声もあれば「学校のことは、教育委員会や学校に任せるべきだ」という現場の声もあります。

私自身、教師をやっていた頃、何か事件がある度に文部科学省が全国に通知を発出したり、大臣がコメントを出したりすることを冷ややかに見ていました。現場を知らない国の上から目線のいわゆる「指導・助言」に反感を持っていたのが正直なところです。1つの学校の事件に対して、全国にある3万の学校に通知を出すことの効果に懐疑的だったのだと思います。
今、振り返って考えてみると、若手教員の独りよがりでしかありませんが、その当時の私は本気でそう考えていました。

学校現場で大きな事件が起きれば、全国の教育行政を司る文部科学省として何もしない訳にはいかない。その一方で、文部科学省ができることには限界があるのも事実であり、そんな状況を踏まえて、当時の文部科学大臣が局長に「文部科学省は学校現場に対して出来ることは多いようでいて、実は意外と少ない。見えないバリアがあるようだ。国と地方との関係だが、ここまでは国がやるが、ここから先は教育委員会がしっかり責任を持ってやることですよ、と言っていく必要があるのではないのか。」と投げ掛けます。

ここでいう見えないバリアとは、何か学校で問題が発生した場合に、文部科学省ができることは、あくまで指導・助言の範囲内であり、学校の管理運営に責任を負っているのは設置者、義務教育であれば市町村教育委員会なので直接文部科学省が学校現場に対して何かをできるわけではない、という意味です。
文部科学省ができることには限界がある中で、それでも学校現場で何か事件事故がある度に、文部科学省が何もしなければ強く非難される。けれど、できることが限られている中で効果的でないと非難される。
大臣の言葉は、そんな板挟みにあう文部科学省の職員を気遣っての言葉だったと記憶しています。

それは、文部科学省に入省して3年目の私自身が痛感していたことでもあったので、大臣の言葉に対して、局長がどう返答するのか、とても興味がありました。
もっと文部科学省に権限を持たせて、ここまでは国が主導してやるべきだと言うこともできます。また、ここは現場や教育委員会に委ねて文部科学省は何もしない、と割り切ることもできます。
その頃の私は、学校現場に権限を移譲して、文部科学省と学校現場の役割分担を明確にすべきとの立場だったと思います。

大臣からの問いかけに対して、局長は言葉を選びながら、「いじめなどの問題が学校現場で起きたときに、文部科学省は関係ないとは言えません。しかしながら、国に出来ることは限られています。教育については、学校現場が色々と考えてやっていくことが何よりも大切です。けれど、教育は国益に直結することなので、国としてもやっていかなくてはいけません。文部科学省が方向性を示し、学校現場と丁寧に対話をしながら一緒にやっていく。若い職員がどのように考えているのかはわかりませんが、これが局長クラスの者達が辿り着いた結論です。」と大臣に伝えます。

まだ入省したばかりの私は自分が文部科学省の官僚であることを忘れて、1人の教師としてこの言葉を聞いていました。
私は、この時の局長の言葉には、私が生まれるよりも前から文部科学省で官僚として働き、現場との板挟みに葛藤しながらも歩み続けてきた文科官僚としての本音が宿っていると感じました。

学校現場に対して直接の権限のない文部科学省としてのもどかしさを抱えつつも、教育委員会と役割分担の線を明確に引いて分断するのではなく、全国の教育に対して責任を持つ文部科学省としてできる限りのことをやり、上から目線ではなく現場目線で丁寧に現場と対話を重ねていく

あれから10年以上が経過し、文部科学省の立ち位置やそこで働く職員の考え方、現場との距離感や関係性も大きく変わってきています。
それでも、文部科学省として「学校現場と丁寧に対話をしながら一緒にやっていく」という根本のところは不変なのだと思います。

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