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自ら学ぶ「動機づけ」の真実~自己決定理論①内発的動機づけ最高ってホント?

しばらく「自己調整学習」について解説をしてきました。
この「自己調整学習」には3つの要素がありまして、
「動機づけ(やる気)」「学習方略(学び方)」「メタ認知(客観視)」それぞれをフル稼働させて学習に向かうことこそ自己調整学習なのだという定義になっております。

そのうちの1つ「動機づけ」が極めて重要であることは言うまでもないと思いますが、
「動機づけ」と言えば「内発的動機づけ・外発的動機づけ」が特に有名なのではないでしょうか。

この「内発的動機づけ・外発的動機づけ」には結構誤解があるもんで、今回はその誤解を解くことを含めて、子ども達が自ら学ぶための「動機づけ」について考えていきたいと思います。


「内発的動機づけ最高!」ってホント!?

 ご存じの通り、「外発的動機づけ」は罰から逃れるために嫌々やったり、ごほうびをもらうためにやったり、と「外からの強制力」でやる気を(無理やり)出してる状態です。

一方「内発的動機づけ」は、そのことをやること自体が楽しい、人から言われなくても自分からやる、といった「内からのやる気」があふれている状態でして、これこそ理想の状態とされているわけです。
それで教育界でも「子どもたちに内発的な動機づけを!」と叫ばれたりすることも。

でも、本当に「内発的動機づけ」こそ素晴らしいのでしょうか?
「外発的動機づけ」は絶対にダメなのでしょうか?

実はそれにはいくつかの疑問が指摘されています。

たとえば、
”最初はいやいややってたけど、そのうち好きになることってあるよね?”
こういう経験はおそらく多かれ少なかれ皆さんお持ちではないでしょうか。

ということは「入り口が外発的動機づけだったとしても、しだいに内発的動機づけに変わっていくこともあるんじゃないの」という仮説が芽生えますよね。
だったらなんでも最初から「内発的動機づけ」っていうことじゃなきゃいけないわけではなさそうです。

また
”ほんとに100%内発的なんてことある?”
という指摘もあります。

我々が日々やっている仕事で、100%内発的動機づけだと思えることってどれくらいあるでしょうか?

別にご褒美をもらえるわけじゃないけど、やらなきゃいけないから当たり前のようにやっていること、
大好きとかそこまでではないけど、まあ大切だしやったほうがいいよなとは思ってやっていること
などなど、、、

要するに我々の動機づけにはいろんな要素が入り混じっているんじゃないかというわけです。

例えばある子が授業でやった内容を、宿題に出したわけでもないのに「先生、家でも続きやってきたよ!!」と自分から取り組んできた。
これは「内発的」な感じがしますよね。「これ楽しい!」「もっとやりたい!」と思ったのでしょう。
でももしかしたらその子には「先生にもほめてもらいたい」という気持ちがあったかもしれません。
「ほめられる」というのはどちらかというと報酬を得ることに近いですからやや外発的です。

だからこの子は、内発的な気持ちと、外発的な気持ち、両方もっていたとも解釈できるわけです。
どちらかというと、内発的な気持ちが強かった、というイメージなら妥当かもしれないですよね。

じゃあ、そもそも動機づけには「内発的」と「外発的」の「2つ」しかないのか?という話になります。
結論から言うと、「外発的動機づけ」だけでも4種類あるんです。
そして、「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」は「1つながり(連続体)」なんです。

これについてはちゃんとした研究があるのですが、学校現場では実はそこまで知られていないのが現状。
そこで自己調整学習のみならず、すべての教育活動に必須の「動機づけ」について解き明かしていこう~という連載です。

まずは全体像の理解を

今回取り上げるのは、心理学の世界で「動機づけ」研究者としてかなり有名なデシ博士とライアン博士の「自己決定理論」です。(よく「デシ・ライアン」ってセットで呼んじゃったりします)
図で添付しましたのでご覧ください。

先ほど指摘したように、
「完全に100%内発的とは限らないよねえ」という点を明らかにした理論で、
「外発的動機づけと内発的動機づけはグラデーションなんだ」ということを示しているわけです。
要するに「中間の動機づけがあるんだよ~」ということですね。

そしてもう1点の指摘、
「最初は外発的だったけど、だんだん内発的になっていくこともあるんじゃないの」
ということもこの理論では示されております。

最初は強制的にやらされていたことが、だんだん自分の中にその重要性が腹落ちしていって、価値観ともマッチしたり、本当に心から楽しいと思えるようになっていくプロセスがあるってことなんですね。

このように考えると、
「いずれ内的調整できるように」とちゃんと見通しをもっているのであれば、やや強制的な状態からスタートすることも悪いことではないと言えます(それでも極端な罰やご褒美はNGなのは言うまでもなく)。

そもそも学校教育はある意味子供たちに色々なことを「強制」している面が多かれ少なかれあるわけでして、それをいかに内的調整までもっていくかというのが教師の腕の見せ所なんだろうと思うわけです。

各動機づけの概略

0.非動機づけ

実は「動機づけされてない」=「やる気ありませ~ん」状態にもちゃんと名前があるんですね。
非動機づけは、無気力だったり反抗的な態度で拒否したりと、そもそも「やらない」状態を指します。

1.外的調整

外からの強制力、特に「アメとムチ(ご褒美と罰)」による強制でむりやりやらされている状態です。
「外発的動機づけ」として一番有名なのがこれですね。
「これやった人は給食おかわりできるよ!」「ちゃんとやらないと掃除してもらうぞ!」のように、本来の目的とまったく関係のないご褒美を得ることや、罰を避けることが目的になってしまっているので、ご褒美や罰がなくなればすぐにやらなくなってしまう状態です(アンダーマイニング効果)。

2.取り入れ的調整

ご褒美や罰よりも、「人の目」を気にしている、プレッシャーを感じている状態です。
「やらないと友達から『あいつちゃんとしてねえな』と思われる」だとか「あいつには負けたくない」だとか「親の期待にこたえたい」だとか、周囲の目(意見、価値観)を気にしている(=取り入れている)状態なわけです。
授業中に先生が子供のことをよ~く見ていて、子供は適度な緊張感を覚えながら課題にしっかり取り組んでいるのもこの状態ですね。

3.同一化的調整

これは「そのことの大切さ」を理解している段階になります。
「これを勉強した方が将来役立つから」「自分にとって勉強になるから」「そうじをしたほうがきれいになるから」などなど、先生や親などが言っていた「大切さ」や「必要性」が自分の中に入ってくる(=同一化する)状態です。

4.統合的調整

完全に自分の価値観にマッチした段階です。
「こうやって一生懸命勉強するのが自分らしさなんだ」「これは自分が大切にしている価値観とぴったりなんだ」と、自分の中にその価値が腹落ちしている(=統合している)状態です。

5.内的調整

そして最後がこの内的調整で、もはや「大切さ」「必要性」とか「価値観」とかそんなことはさておきまして、とにかく「やること自体が楽しい、充実感がある」という段階です。
その活動自体が目的化している状態と言えまして、これが「内発的動機づけ」にあたります。

実は1~4はみんな「外発的動機づけ」の種類なんですね。
その中でも、4の「統合的調整」が「最も自律的な外発的動機づけ」と言われております。
内的調整と違うのは、まだその活動を何らかの目的(価値観)を達成するための「手段」ととらえているというところですね。

以上、ざっくりとした説明でした。
次回は、どうすれば1から5の動機づけに向かっていくのか?というポイントを解説します。

参考文献


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