
みんな同じという考え方
教育について語る前に
今回は初の教育に関するお話でもしようかな。というわけで、一応、これでも学校の先生をやらせてもらっているわけですが、実は、さまざまなところから執筆の依頼をしていただき、執筆活動なんかもやっていたりします。まぁこうやってここに記事を書いているくらいですからね、文章を書くのが好きなんでしょうね。
さて、私は中学校の先生をやっています。同じ中学校の先生がもしこの記事を読んでいたら、なんだこいつって思うかもしれませんが、割とぶっ飛んだ考え方をもっています。でも、私には信念があります。うだうだ言っていないでとりあえず本題に入ります。
本題
私は学校っていう場所がもっともっと楽しい場所であってほしいってここ数年、そんなことばかり考えています。どういうことかっていうと、そもそも、なんでみんな制服を着る必要があるんですか?明確な理由は何ですか?あと、なんでチャイムを鳴らす必要があるんですか?社会に出ても、わざわざチャイムで時間を管理されていますか?実は私は学校の先生になる前は民間に勤めていましたが、チャイムが鳴ることなんて当然ありませんでした。あと、中学校の先生の中には、子どもに対してめちゃくちゃ高圧的な人がたまにいますが、あれは見ていてなかなか滑稽です。しかも、自信たっぷりに、「指導してやったぜ」感を出す。やばいな、今日は各所から批判されそうな内容になりつつあるけれども、中学校の先生にもこんなことを考えている人がいるんだなーくらいで読んでやってください。もう一度言いますが、私の考え方がぶっ飛んでいるんだと思いますので。
結局、みんな同じにしたいんですよね。学校の先生って子どもたちに主体性とかそういったものを求めるわりに、実はそれを潰しにいっているのが先生たちだって気付いているのでしょうかね。授業をとってみてもそうです。分かりやすい授業を!みたいなことを言う人がいますが、それは誰にとって分かりやすい授業なのか。学級にいる全て?そんなの、一斉授業では無理でしょ。んで、テストの結果を見て、あんなにも分かりやすく教えてやったのに!なんて言おうものならさらに滑稽だなと思います。いやいや、教えたつもりになっているだけで、そこにいる生徒は実にさまざまなわけで。というか、主体性とか育みたいっていうなら、授業のあり方を考え直さないと。だって、子どもからすれば、受け身な状態が続いているわけでしょ。もっと子ども自身が考えて、アクションを起こしていけるようなそんな時間になるといいですよね。もうそろそろ学校を牢獄みたいな場所ではなく、子どもが伸び伸びとできる場所にしていきません?子どもも先生もみんなで笑っていられるそんなウェルビーイングな学校を目指しません?そういう経験なしに、本当の民主的な国家は誕生しません!日本の教育のあり方が変わらない限り、つまり、子どもにとって学校という場がもっと自由な場でない限り、指示待ち人間を増産するだけですし、今はそんな人材ではなくて、クリエイティブな人材を社会は求めているわけですから、そういう教育を施さないと。って言っても、なぜそれがすぐにできないかって言ったら答えは簡単。そもそもそんな教育を我々が受けてきていないし、保護者もそう、ほとんどの人がそう、だから、こういう教育改革っていうのは勇気がいることなんですよ。チャレンジングな精神ではなく、保守的な精神を育んできている日本の教育の負の部分でしょうね。
最近ではダイバーシティ(多様性)という言葉もよく見かけるようになりましたね。先生は、もっと子ども一人ひとりのことを尊重してあげるべきなんですよ。これからの時代は、指導も大事だけれど、支援が大事です。教育が変わらないと、社会は変わりません。日本の未来が明るくなりますように。