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田辺聖子『姥ざかり』年の功ってこういうこと

1981年(昭和56年)発行。
アメリカでレーガン大統領が就任、イギリスではチャールズ皇太子とダイアナ妃成婚。前年にはモスクワオリンピックが開催され、日本はボイコット。そんな時代である。

主人公の歌子さんは76歳。
といわれても当時の76歳がすぐにイメージできないが、宇野千代が明治30年、幸田文が明治37年生まれで、同年代というところだろうか。

歌子さんは、大阪天満の生まれ。船場の商家へ嫁ぎ、戦後、頼りない夫を盛り立てて会社を再興した。息子が会社を継いだあとは引退、いまは神戸の海の見えるマンションで悠々自適の一人暮らし。

ラベンダー色の部屋着を纏い、紅茶とトーストの朝食を。趣味の絵画や習字、英会話を楽しむ毎日である。

本書はそんな歌子さんのシビれる名言の数々を存分に楽しめる。

私は舌戦にかけては四十くらいの嫁に負けはしないのだが、ヘリクツだけは嫌いである。あたまのよい人と舌戦をたたかわすのは知的リクリエーションであるが、あたまのわるい人間と言い合いをするのはエネルギーの消耗である。ヘリクツはあたまのわるい証拠である。

『姥ざかり』(新潮社)

と一刀両断、バッサリなんである。

しかし、歌子さんはただの痛快おばあちゃんではない。

たとえば親子喧嘩をしてしまった孫息子が、大晦日に連れられてくるシーンでは歌子さんの懐の深さが感じられる。

そもそも、孫が来てもさして嬉しくない歌子さん。しかし、状況を可哀相に思ってあずかってやることにした。

「社会的にちっとも訓練されていない」孫を「こんな不完全なオシャカを世の中へ出しては申しわけないから、ひとつ私がーーといいたいが、そういうことをいちいち引き受けていたのではもう、身が保たない。」

と年越しそばを作ってやる。そしてふと目にした孫の持っていたウォークマンで音楽を聞かせてもらったところから、孫の心がほぐれていく。

「まあ、ええ音楽やこと」
「おばあちゃん、ナウいな。これ、ボブ・ジェームスやぜ」
「なんか知りまへんけど、耳に気持ちよう入ってきますがな」

『姥ざかり』(新潮社)

「すてきな」おばあちゃんを描写するとき、「元気なおばあちゃん」「可愛いおばあちゃん」「若々しいおばあちゃん」などとかく一面的になりがちだ。

でも、ほんとうに「すてき」なのは、自分が譲れない矜持はあるものの、引くところは引く「ええ塩梅」を知っている。それが年の功なのではないか。

もし歌子さんが現代を生きていたら「手に負えへん」とは言われても「老害」とは言われない気がするのである。



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