横浜まで自転車で走って、労働者の人生に思いを馳せ、電車で帰ってきた。
時々、横浜まで自転車で行きたくなる。
横浜には独特の雰囲気がある。
東京の北にある我が家からは、まず日本橋を目指して走り、そこからは東海道沿いに走る。
昔はひたすら国道15号を走っていたが、自転車の真横をスピードを上げて走る車に神経がすり減っていた。
コロナ発生をきっかけに、東海道を京都に向けて歩くことを始めて、東京や神奈川にもかなり旧東海道が残っていることを知った。
そして、国道を走っていて怖いエリアほど、旧東海道が並行してあることが分かって、今日はその道を走った。
国道とは違う走りにくさもあったが、人を見物しながらの旅は楽しかった。
多摩川を越え、川崎。ここから生麦事件の生麦まで、旧東海道がずっと続く。
キリンビール工場で旧東海道とはお別れ。
ここから横浜までは国道も走りやすい。
程なく国道15号ともお別れ。みなとみらいへと向かう道へ。
みなとみらいのランドマーク。
ランドマークタワーが近づいてきた。
写真を採ろうとスマホを向けるとなにかに似ている。
写真を見ながらハテと思う。
「あっこの前、大量に湯がいたタケノコの断面だ!」
埋め立て地から伸びたコンクリートの巨大なタケノコだ!
そんなことを思いながら走っていると海に近づいてきた。山下公園へ。
穏やかな昼下り。寒くなく暑くなく、爽やかな風が心地よい。
短い時間なりにのんびりできた。
5月に観劇するKAATに表敬訪問。
次は寿町へ。
行きつけのもつ焼き屋さんで話題になった町。
ご主人の実家の近くだとか。
東京の山谷、大阪の西成と横浜の寿町が日本の三大ドヤ街だそう。
巨大な横浜中華街や横浜スタジアムに隣接しているような場所に、そこはある。
横浜は、港の街であり、日本の近代化にはなくてはならない街だった。
沼のようなところを埋め立てて、そこに日本中から労働者を集めて、物流を支えていた。危険な仕事もあり、命を落とした人もいただろう。
寿町という街も、そういう新しい街につけられた名前だった。
寿町を一巡りして、横浜駅へ向かう。
自分などが、したり顔で語るものは何もない。
野毛で一杯飲もうかと思ったが、野毛のテンションに自分は合わなかった。
地元の行きつけの2軒が最高すぎて、それで充分。
駅前まで来たら、そこのチェーン店に入るのも面倒くさくなり、自転車を分解して袋に入れて電車に乗り、地元で一杯飲んで帰る方が楽だなと思い、そのように。
上野公園口で降りると、びっくりした。
なんと上野公園に向う駅前の道路がなくなっている。信号を待たなくても、そのまま繋がっているのに衝撃を受けた。浦島太郎。
これはいい!
そして、自転車を組み立てて少し走り、家の一つ前の駅の居酒屋で飲みながらこれを書いています。
自転車に乗るというのは、肉体的には軽いストレスを与え続けていることです。
「何をやってんのかなぁ?」と時に思いながら走りますが、すべてを終えて電車に乗ると、ジワーっとマッサージを終えたような不思議な幸福感に包まれます。
また明日から仕事。
遊びながらだけど。
みなさんも良い一週間をお送りください。