「菜の花の沖」第一巻の巻
北前船に興味があると、先日書いた。
日本海側の歴史は詳しくないが、北前船というキーワードで見てみると、何かダイナミックな視点が得られるんじゃないか、と思うようになった。
そんなことを1年間くらい考えていたら、ある記事の中に北前船のことと、司馬遼太郎「菜の花の沖」のことが書かれていた。
菜の花の沖は、司馬遼太郎の歴史小説の中でも、傑作の評価があった。
私は「竜馬がゆく」の大ファンであり、30回近く読んだが、菜の花の沖はずっと読む気になれず、のちに無理して読んだものの、ほとんど記憶にない。
最近、北前船のことを考えるようになり、改めて読もうと思った。
主人公は、最終的にロシアとの交渉にまで関わる人物というのが、いいタイミングかも知れない。
アマゾンで調べると第一巻が1円。もちろん輸送料は別だが。
読んでいる途中でギブアップしてもいい値段だ。
買った。
読み始めた。
主人公は、淡路島の貧乏な村の息子。
口減らしのために、働きに出された。
隣の集落へ。
そこでまず展開されるのは、「よそ者」への強烈な排他的な態度。
読むのが辛くなるが、これでもかというくらい司馬遼太郎は書いていく。
その主人公の辛い体験が、バネになって大きな人物になるのは分かりながら、辛くて一気には読めない。
ところで、竜馬がゆく、もそうだが、この小説も産経新聞の連載小説だ。それゆえの、そして司馬遼太郎ならではの、独特の話の進め方がある。
私が二十歳前後の頃は、例えば「竜馬がゆく」であれば、本当にそのまんまの坂本龍馬が当時いて、まるで目の前に現れて、成長して大きな仕事をして天に帰っていったように読んでいた。
しかし、歳を追うごとに、あれはフィクションだったと聞くようになり、ショックを受けるとともに、話のストーリーが真実ではなくて、坂本龍馬の一生に託した司馬遼太郎の想いこそが真実だ、と思い直すようになった。
そしていま、久しぶりに歴史小説を読み直している。
そこに見えるのは、主人公を演出する、司馬遼太郎の想いであり、司馬遼太郎がタイムスリップをして、主人公にのり移り、そこに生きている、言葉での演劇だ。
ところで、今日は昼過ぎまで雨の東京地方。
昼過ぎから自転車に乗って、山手線を自転車で一周した。中野あたりで暗くなった。
そして今、ゴール間近の王子のサイゼリヤで、夕飯飲みしながら、第一巻を読み終えて、感想を書いている。
司馬遼太郎は、太平洋戦争末期に茨城県で戦車隊の訓練を受けていて終戦を迎えた。
その直前に、米軍が本土上陸をして、戦車隊が部隊を進める時に、道路に市民がいたらどうすれば良いのか聞いたそうだ。
上の人間は、「轢いていけ」と言うのを聞いて、その不条理への怒りが、作家になった大きな理由のようだ。
詳しくはWikipediaで。
なので、司馬遼太郎の文章には、薄っぺらい権威主義への怒りが、主人公の言葉として、いろんなところで語られている。
こんな小説に心を揺らされるのも、権威主義的には最下位層に近い惣菜屋だからなのかなとも思いながら読んでいた。
日曜日に自転車で走っていると、ブック・オフが色んなところにある。
今日は第2巻を上野浅草間のブック・オフで110円で買った。
こんな感じで、一週間に一巻読めたらいい。
一巻ごとに、感想を書いて、最終巻の六巻まで行けたら幸いだ。
よろしくお願いします。