横浜で観劇。タマムシのように空を見て生きよう。
楽しみだったタニノクロウさんの「虹む街の果て」へ横浜芸術劇場(KAAT)に行ってきました。
KAATの長塚圭史芸術監督は県民に開かれた劇場を目指していらっしゃり、今回の出演者は神奈川県内の一般人がほとんどだそうです。
ここで面白いのは、その中でも県内の「海外ルーツの方」がほとんどなこと。
基本的にその国の言葉でしゃべります。これがすごく良かった。
劇が始まると、まず、ある国の人が出演者を紹介します。
この方は、今回「虹む街の果て」の二年ほど前の前作にあたる「虹む街」にも出演されていた。
その時の、温かいお母さんの役を演じられていた人で、演技が大好きでした。
彼女の国の言語は、国際情勢が厳しくなり、最近よくニュースで聞きます。近い国なのにあまりいいニュースではない時ばかりです。
その言葉を耳で聞いたときに、瞬間的に身構えているのを感じました。
まずそこで、凝り固まった考えを観客に突きつけられた気がします。
それを見越した後のように、ゆったりとした温かいトーンで彼女が笑顔で、出演者を一人一人紹介します。
私達は、それを字幕で日本語で見ます。
全てがひっくり返る。
滅茶苦茶面白い!
日本にいると日本語が当たり前なのに、それをしないだけで、しびれる。
演劇が始まります。
色んな国の人が演じてしゃべるんですが、外国語。
何を言っているか分からないので、字幕が出てきますが、言葉は短い。
何を言っているかわからないので、その人のセリフが上手いのかどうかも分からないから、意味じゃなくて、声の感じや表情で見ます。
そうすると、その人達、みなさんがここで、何を伝えたいのか、どんな人生なのかが逆にじんわり伝わる気がしました。いつも日常で聞き流しているいろんな外国の言葉で。
その国の人達に、さらに親しい気持ちがわいてきます。
もし、人類として生き残ったのがこの舞台の中の人達だけだった、と思うと、また面白い。
助け合う、とかじゃなく、ゆるやかに一緒にいる。
一緒にいられる可能性のある人がどうにか生きている。
古代、人類が人類になった頃は、洞窟で暮らしていたという。
他の生き物のから身を守るために。
クロマニョン人の頃だったか、洞窟の中で人類が暮らしていた頃の壁画が残っているのを聞いたことがあるかも知れないが、その絵の周りから、大麻のような覚醒成分が検出されたという。
限られた娯楽は、絵を描き、何かを食べ、演劇に近いことをしながら、洞窟の中で仲良く暮らしていたのかな、また人類がそこに戻っていくことを暗示しているような演劇だったのかななどと、時間をおいて考えている。
自分はどうだろう。
子供の頃って、こんな世界を、夢というか、夢想というか、漠然と楽しんでいたよなと、と思い出させてもらいました。子供の頃のあやふやな思いって、原始の頃の何かを引きずっているのかな?
なんで大人になって忘れてしまったのだろう。
それを大人になっても作れるのってすごい。
最後になるほど、絶妙に、場が引き締まり一つの結実に向かいました。
きっと洞窟を出た人も空の青さが際立っていたんだろうなあ。
夢を見終わった気持ちで席を立つ。
タニノクロウさんにも会えて、会場を出て、中華街へ向かう。
今日の、出演者を紹介した役の人が営業している、横浜中華街のお店へ。
お店に入ると、有名人がいっぱい写真に写っていた。
私が若い頃大好きだった長渕剛も。
こんな有名店なのに、演劇に出演されるのか。
ランチメニューで、ツマミにもなりそうなランチセットを注文。
ご飯をお粥に替えられると書いてあって、お粥に代え、ビールを飲んでいると、最初にお粥が来た。
お粥がオススメと聞いていたけど最初に来るとは。
しかし、このお粥、旨い!
大げさな味とかでなく、ベースの味が旨い。
驚きながら食べ、飲んでいると、ビールがなくなり、こんだけお粥が美味しいと、紹興酒だなと、それを2杯おかわり。
そしてまさかの展開で、さきほど全ての出演者の紹介をしていたあの人が、店長として帰ってこられた。
演劇をした後に、もう働くのか!
と、思うや否や、今日の演劇を観てからここに来た人が会計時に興奮してずっとしゃべっていて、自分も言いたかったけど、言う暇がなかった(笑)
忌野清志郎はジョン・レノンのIMAGINEの最初の箇所を「♪天国はない〜 ただ空があるだけ」
と歌ったが、今日は演劇で、そこにも近い世界の中に、ひたることができました。
一人ひとりが主役であり脇役であり、観客であり、大事な何かである。
子どもに帰ろう。空は青い。
良い初夏を。