先生なんで宿題出すの?~『顕微鏡の説明書』づくり~
最近、新しい評価の話に触れる機会が少しある。
まあそこに直接かかわる話はあまりする気がないので置いといて
でもそれに関係ありそうな昔出した宿題の話を書こうと思う。
〇宿題何のために出すの?
宿題を出す理由はいろいろあるけれども、
例えば次のようなものがあると思われる。
・知識やスキルを定着させたい。
・どこまで理解できているのか確認したい。
・事前に予習や復習をさせて、授業をスムーズに進めたい。
まあ例えばこう言ったメリットを狙っているわけだ。
しかし、子ども全員がそうだとは思わないが、
やる側からしたらとりあえずめんどくさいし出さないでほしい
という意見がやはり多いだろうか?
ちなみに私は宿題をするのは好きじゃなかった。
なぜならめんどくさいから。
私にとって宿題というのは基本的にいわゆる作業で、
特に習ったことを繰り返すタイプのものには価値がよく見いだせなかった。
漢字の書き取りとか最も価値を見出せないタイプの宿題だ。
後、やる気がなくて適当に書くのも実質作業だろう。
(今になると反復訓練みたいなものの効果もなんとなく実感できるが。)
もっと言えば、創作のようなものも得意ではなかったし、
(例えばこのように:自分はお絵描きが苦手のはずだった①)
何の思い入れもない創作物を作ることもまた作業だったと言えるだろう。
宿題の価値をわかっている子なら多分やる気が出るんだろうなあと
今更ながらに思いつつ、そんな子が何人いるのだろうと思ってしまう。
まあ後は先生や親が厳しいから、あるいはうるさいからやると言うのが
取り組むときの大半の姿勢だろうか。
〇作業化する宿題を出す意味
基本的に私は宿題を出すのも嫌いだ。
単純に宿題出される方も嫌だろうな、というのもあるけど、
出された宿題、答え写したんだろうな~、というのがわかるのもある。
テスト前に問題集用のノートを集めたことがあるが、
まあできている、大体の子は。
しかし、いくつかの問題に焦点を当てて眺めると、
多くの子はテストではできていない。
まあ宿題だから時間をかけてやればできるという見方もあるだろうが、
(逆に言えばテストは時間が足りなかったとも取れるが)
正直そうは思わない。
それも大半の子がそうであるとは。
そうだとしたらそもそもテストの設定に無理があるので
テストのつくり自体がよくない。
試験中に何回かクラスを回っていくが、
様子を見ているとみんな全然進んでないなーとは思わない。
後から聞いても試験時間が足りないと言われることもない。
(まあこのあたりはかなり感覚的だが。)
でもできてない。
だとしたら何なのか。
まあ単純に考えると、答え写したんだろうなー、と思う。
別に答えを写すのが悪いとも思わないというか、
写すだけ偉いと思う。
(私なら多分写しもしない。場合によっては出さない。)
実態はどうあれ成績意識してるんだなーと思ったりする。
提出物は評価されるからね。
まあいろんな先生がどんなものから何を評価しているのか、
一々聞いたりしないので知らないのだが、
これを評価するってのはどうするのだろう。
例えば提出物を意欲関心態度のような観点で評価するとして、
答えを写した(だけかもしれない)ノートはその評価にどう入るのか。
まあ、多分私が知らないだけで何かやり方がある、
というかやる価値があるんでしょう。
〇私の出したとある宿題
めずらしく普通の授業の合間に宿題を出したことがあった。
それは、『顕微鏡の説明書つくってきて』というもの。
(既に顕微鏡の使い方は習っている。)
(写真元)
まあ出した理由はいくつかある。
①顕微鏡を使うので復習しといてほしい。
②それによって授業中に説明する時間を短くしたい。
この2つはおそらく一般的に授業を進めるテクニックとしてもあるだろう。
でもこれは、説明書をつくらなくてもいい。
③“説明書”にすることで、
わかりにくい点・注意すべき点をどうとらえているかわかるし、
自分への使いやすさを想定してつくれる。
④“説明書”は誰かに見せるものなので、
他人にわかってもらうためにどう書くのがいいか考える。
これらは、顕微鏡の使い方に対する理解と同時に、
自分や他人に対する理解を問われるし、
それに合わせてプリント内でのデザイン力も問われる。
この宿題はただ知識を確認したり、
問題を解くスキルを身につけてほしいというものではない。
〇『顕微鏡の説明書』の使い方
実際につくってくれた顕微鏡の説明書は様々で、
丁寧に書かれたもの、作りこまれたもの、簡素なもの、いろいろあった。
紹介できればいいのだろうが、そもそも手元にないし、
特にその手の承諾を取っているわけでもないのでそれは諦める。
しかし、私が板書して説明したり、見慣れたプリントを配付したり、
教科書に書いてある顕微鏡の使い方を読んだりと、
復習する方法はいろいろあるが、それよりはずっと楽しいだろう。
私よりそういうことに長けた子がいるのも当然だろうし、
そういうことを褒める機会もできるなら設けたい。
そう思えば作り甲斐も少しはあったと思いたい。
もちろんその時全員が「つくりたい!」とのめりこんだとは思わない。
私のように創作が苦手な子もいただろう。
だが、クラスメイトの作った説明書を見ながら
これいいな、自分はこう書いてほしいな、と考えるだけでも価値がある。
その考えはすなわち、改善点の提案でもあるし、自分への理解でもある。
何をどう作れば、どうなるのか、どう見えるのか。
これを考えることは結局創作への一歩となる。
創作物と言っても、例えば芸術分野で絵や音楽がうまいとかどこがいい
なんてことは言葉で表現するとなれば少し難しい。
でも、説明書の良し悪しならまだ表現しやすいし、
意見の食い違いがその人の感性を傷つけてしまうなんてことも
そんなにはないだろう。(多分)
〇『顕微鏡の説明書』を使った授業展開
実際には時間の関係でできなかったのだが、
構想としては次のような案があった。
①説明書の展覧会のようなものをする。
(この時点で時短できないが。)
これは、無理に展示してもらおうとは思わないので
出来栄えがよくないと思っている子は展示してくれなくてもいい。
個人で出展を自由に決めてもいいが、実態によっては班で1つ以上選んで
それを出してもらうなど、やり方はいろいろあるだろう。
②展示された説明書たちを見比べて自分の使いたい説明書を選び、
実際の実験日にはそれぞれが希望した説明書をコピーして配付する。
選ばれた説明書の内容を踏まえておさらいはする。
まあ、①の段階でどんなことが書かれている必要があるか
予め話し合っておいてから展覧会をする手もあるだろう。
そうすれば、子どもたちが説明書に必要な内容が含まれているかを
基本的には審査してくれる。
(私はおそらくこの順番ではやらないけど。)
③実験後(後日でもいい)、選んだ理由とともに、
実際に使ってみた(読んでみた)感想などを集めてクラスに還元する。
内容によっては伝え方に工夫がいるかもしれないが、
それはこちらでコントロールすればよいだろう。
自分のつくってきた説明書がどのくらい選ばれるのか。
頑張ってつくった子ほど期待したかもしれない。
そしてそれについての感想や改善点を知ることで
次の創作につなげていくことができる。
例え今回の宿題は頑張れていなかったとしても、
他人の創作物について、
「どこがいい、自分はこうしてほしい」と伝えられるなら
それは創作の助けになっている。
もしまた別の機会に創作をすることがあった時に
還元された内容からより凄いものがつくられたら、
意見を伝えたほうもより実感できるだろう。
〇宿題に対する私の価値の見出し方
まあ冒頭に書いた通り宿題の内容にはそれに応じた理由が色々あるので
別に「この宿題は(一般論的に)必要ない、絶対いる」
というようなことがあるわけではない。
ただここに書いた宿題を出した理由は、
せっかく個々人がバラバラに、
自由に時間をかけてやれるのが宿題なのだから、
一定のものを出してくるよりも、
思い思いのものを出してもらえる内容にしたかったからだ。
そのためには、ただの作業とはあまり思われないようにしたい。
実際のところ、コピペのような使い方の説明を印刷して
プリントに貼っただけの子もいた。
まあ、うーん・・・と思ったりもしたが、それは言ってもしょうがない。
私が思うところでのその子にとって大事なことは、
その後いろんな子がつくってきた説明書を見て、
例えば「大事なところに色くらいつけたほうがよかったかな?」
と考えを巡らせることだ。
ただ授業で実験するからというだけなら、
「顕微鏡の使い方を家で復習しておいてください。」
「問題集の○○ページに顕微鏡の使い方があるのでやってきてください。」
例えばこのように言えば、顕微鏡の使い方を復習できるだろう。
でもそれは作業になりやすいし、多分することもあまりみんな変わらない。
どうせならもっと宿題を“彼ら自身”につながるものにしたかった。
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