自分の真の欲求とはなんだろう
「人は自分の事が一番わからんのちゃうかなぁ」
いつもの親子の会話の中で次男が私に言った。彼はいつも深い言葉を発する。それらが結構な確率で私に突き刺さる。
なんかやだな、もやもやする、あれ嫌い、見てて不愉快、なんだか悲しい
そんな"気持ちがザワザワした時"にはこうあってほしいという自分の中にある"真の欲求"が隠れており、それに気づく事が大切なのではないか。改めてそう思う。
私は自分の感情の変化に日々フォーカスしている。いわば自分観察である。次男が言うように自分の事は自分が一番よく見えずわからないんだと思う。見えている、わかっているつもりになってはいるが自分にはわからない自分がいる。これは必ずいる。私はそう思っている。
そして自分の事、つまり自分が持っている真の欲求を受け入れた時、人の心に余裕が出来るのではないだろうか。
色々納得いかない事がある。
何だか見ていて嫌な気分になることもある。
不愉快だと感じることがある。
嫌悪感が走ることがある。
それは間違っていると思う事がある。
不安に苛まれ、どうしよもなくなる事がある。
何度も頭の中に浮かんでくる事柄がある。
人は何かや誰かを見て、何か事が起こった時、何か聞いた時、ネガティブな感情を抱くことがあるだろう。ネガティブな事は悪いことではない。
ネガティブである自分も含めて、そう感じているんだね、そう思っているんだねと受け止めていく事が自己理解に近づくのではないか。
多くの人を見る仕事をしている。そんな中で感じるのは自分で自分の事をコントロール出来ない状態になっているときには"心の余裕"がなくなっている状態であると言うことだ。
私は経営者だ。起業して20年以上になる。子供を産んでから起業し、ふと気づけば20年はゆうに超えていた。
今から思えば常にフルスロットルで仕事をしてきた。当時、(とは言ってもコロナ前だが)の私は周りから言われるもののフルスロットルである自覚はなかった。
パートナーにも、120%で動かなくてもいいんだよ。そう言われた事があったが自分では80%くらい、もしくはそれ以下の自覚であった。
しかしコロナで全てが変わった。仕事の強制終了だ。そして、私自身に様々な事件がふりかかり心身的に病んでしまった。
そして今振り返ると思う。私は全力で生きてきたと。
次男とふと話をした時にこんな言葉が出てきた。
「人は80%で生きるのがいいと思う。人間与力がないとあかんと思うねん。なんかあった時に動けるように、心に余裕が必要やねん。だから80%で生きるのがいいと思うねん」
高校生が語る、"心の余裕"の大切さ。そうだな、これからは心の余裕を大切にしていこう。
そうする事で自分の真の欲求に気づき、心穏やかにすごす事ができる。