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アンティゴネーも、わたしたちも、 見えない声の方へ。──高山明/Port B『光のない。─エピローグ?』評

青柳菜摘(アーティスト)
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──姉
やめましょう。見に行くと見られてしまうわ。
だから私たちはドアの外に出て、外で起こっていることなど、
見たりはしなかった。いつもの朝と同じように、
私たちは何も食べず、眼も合わせず、
立ち上がって仕事に出かけようとした[1]

 わたしたちは実際に起きていることを正確に観察し、記録し、記憶に留めていくことができない。解釈には、人間の恣意的な視点や、政治的な意思が混じっている。当事者でなければ事実を受け止められないと錯覚してしまう。誤認を許さない。だからこそ、想像や創造を以って、見方の変換を行い続けなければならない。そしてそれを鑑賞する体力を持ち続けなければならない。そうでなければ、知らないうちに誰しも持っているはずの感覚は麻痺し、ついには動かなくなってしまう。そうなってしまっては、次にものを「観察」する力を持つのは何年後、何十年と後になってしまう。見方の変換は常に新しく、切実で、何度も繰り返されなければならない。
 ブレヒトは、ヘルダーリンが独訳したソポクレス「アンティゴネー」を改作し舞台化した。冒頭の言葉はブレヒトが「序景」として加筆したものの一部である。この台詞がうたわれるのは1945年4月、第2次世界大戦真っ只中、二人の姉妹が防空壕から出て、まだ戦火の明るい彼女たちの住まいに戻ってきた場面だ。妹は気づく。兄が帰ってきたと。しかし戦争は終わってはいない。そこでわかるのは、兄は戦場から逃げてきたということだった。ドアの外から聞こえる誰かの喚き声を「見に行くと見られてしまう」。声は兄のものかもしれない。外には、兄が、ポリュネイケス[2] がいるかもしれない。そうしてどうすべきか惑っている姉妹が佇む家のドアを開け入ってくるのは、ナチス親衛隊員なのだった。

見に行くと見られてしまう

  2021年3月5日、午後4時30分、時間ちょうど、3階に到着。エスカレーター脇に仮設された受付で氏名を伝えると、整理券とラジオを渡される。喫茶カトレア前には、五分間隔での出発を待つ数名が、どこを見るともなく立っている。高山明率いるPort Bによる『光のない。―エピローグ?』は、ここから始まる。テストで流されている音楽にチューニングを合わせながら。整理券の時間になって受付に再び声をかけると、封筒を手渡された。封筒には、波打つ矩形が特徴的なニュー新橋ビルが写る。今わたしはこのビルの中にいる。裏面には、声の出演として、いわき総合高校演劇部16名の名前が書き連ねられている。
 封筒の中には10枚のカードが入っていた。1枚目。急いでいたのか斜めに写された鏡に映るのは防護服と防塵マスクを身につけ、まっすぐこちらを見つめカメラを構える人。鏡の上のフックにはハンガーが、鏡の奥にわずかにピンチハンガーが映り込む。縁側前の物干し場か。ネットニュースで見るような写真。報道写真。特に説明文などは書いていない。裏面に返すと<1>富士越カメラへの行き方と、周波数89.0MHzと書いてある。階段を降りてすぐ左手が目的地。正面にあるマッサージ店で呼び込みをする女性に不審がられながら、店の前でラジオのチューニングを合わせる、ザザザザザザザザ、音楽、ザザザザザ、あいまに会話、また会話が聞こえ、不意にピタ、と声が聞こえ始める。まだ未完成な少女らしきその声は淡々と、何かを訴えかけるように語る。語りが途切れる。そしてまた始まる。

―わたしの声を聞く者は多い、新聞にも載っている、今日では多少の努力で誰もが新聞に載る。…

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タイム・トラベル

 声を聞きながらカメラ店に入れずそわそわしながら頭上を見ると、ところせましと並ぶカメラがあちらこちらを向くショーケースの上部に、写真が掲示されていた。あまりに馴染んでいるので気づかない人も多いであろう。一枚目のカードの写真であった。声は私の行動には関係なく、語り続ける。タイムラインの登場で、データ化された時間に関しては容易にタイム・トラベルができるようになった。実際、スマートフォンで音楽や映像を視聴するときにおこなう早送りや巻き戻しは感覚的で、思考の及ばぬうちに別の時間を再生する。手が滑って、10年前の写真が不意に表示されると途端に記憶も引き戻される。わたしたちはそんな偶然訪れる縦横無尽な時間の中で生きている。ラジオは、それを許さない。時間は永遠に進み続ける。いつでも思い通りの時間を再現できると思い込んだ私は、ラジオの存在によって、テレビや、新聞、メディア、報道によって、自分のよそにも時間が流れていることを知る。タイム・トラベルが可能になってから、時間はあるとき止まってしまった。が、見えなくなってしまっただけで、実は絶え間なく流れ続けている。

透明人間

 第2の目的地に行くとき、とうとう私はニュー新橋ビルから出た。ラジオのアンテナを立てながらカードの裏面にある簡略化された都市を辿っておぼろ気な足で歩く。道行く人たちに見られてしまうに違いないと身構えたが、誰とも目が合わない。緊急事態宣言下の閑散な時期と比べると人手はまあまあだった。うちのお父さんも週1くらいは出勤して新橋駅に来ていた。思うに、マスクを着けることに慣れた人たちは、透明人間になっている。家の外に出たとしても、目から下が見えない顔は、仮面をつけるがごとく、自分の姿を隠してくれていると感じてしまう。報道で使う映像も、マスクをしていれば、きっとモザイク無しで映してしまっている。わたしも、道端でばったり会った友達に、すぐに顔を認識されて驚いた。透明人間になったわたしたち。それが、ラジオを手にしてカードを頼りに歩き始めた途端、自分自身も、周りのマスクの人でさえ、輪郭を取り戻してしまった。

いきましょう。見に行って見られるために。
だから私たちはドアの外に出て、外で起こっていることを、
はっきりと見た。いつもの夜と同じように、
私たちは食事を取り、体力をつけ、眼と眼を合わせ、
立ち上がり、ただ路地へと足を進めた。[3]

 駅前広場を抜けて道なりにしばらく歩くと次の目的地<2>高架下・空き店舗前に着く。高架下に大きく掲示される次の報道写真は、マスクを着け、ピントがぼやけた誰かの声に耳をそばだてる人たち。マスクは着けているものの現在と異なるのは、みな密集して肩を寄せ合っているところだ。逆に今と同様なのは、見えない何かからマスクで身を守っているところである。写真に背を向けると高いビルが見える。マスク姿のビジネスマンは遠くを横切る。わたしがいくらジロジロと道行く人を見たとしても、こちらを見られることはない。

―わたしたちは今やエネルギーに別れを告げる、もっとも目に見えない存在に、…

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立っている

 次の地点へ向かうため、ビル群から頭が飛び出た紅白の鉄塔に向かって歩く。福島第一原発一号機運転開始の翌年、1972年に竣工された東京電力本社だ。そこから、モノ派の作家、小清水漸の紅い枯れた塔が立つ内幸町広場を通り抜け、飲み屋街まで歩く。路地裏に入ると次の<3>Kビル前に着く。狭い路地のビル壁面、頭上には防護服を着た人がおそらく被災地に立っている。ガレキを掻き分けるためらしき木の棒は、アングルのせいでそびえ立つ塔のように見え、ついさっき見てきた紅白の鉄塔を思い出す。

―反応炉たちもここに立っていた、そして真面目に反応していた。わたしは告白せざるをえない、反応炉を思うと切なくなる。反応炉はなにかしら、つまり、役立つものだった。…

 ニュー新橋ビルから始まる『光のない。―エピローグ?』は、エルフリーデ・イェリネクの3部作『光のない。』の2作目を原作として、ツアー・パフォーマンスという形式を用い、高山明が改作・上演したものである(上演時のクレジットには構成・演出と記載されているが、ブレヒトが改作した「アンティゴネー」にならって改作・演出とする)。2012年11月に初演、9年後の2021年に再演となったが、初演時とは異なる演出で発表された。東日本大震災と原発事故の報道を受け、2011年12月21日、イェリネクは自身のホームページに1作目『光のない。』を掲載した。同年の夏にはこれを完成させており、9月に劇場公演をおこなったあとの公開であった。ページは今でも見ることができる。[4] 見るとわかるように、テキストにはところどころに報道写真が挿入されている。このうち1枚目だけが、<4>神山産業株式会社ショールーム前に掲示されていた。3箇所目の目的地だったKビル前から烏森神社の参道を通り抜け角を曲がると明らかにここが目的地だとわかる。カードに写った防護服を着た人が、ウィンドウの向こうから道路を向いて仁王立ちしている。微動だにしない。マネキンだった。ショールームは休業期間なのか薄暗く、人形が寂しげに映る。写真には照明も当てられず、線量計測器の紹介パネルかのようにこちらを向いて立ててある。

―いつも通り整然と、防護服を来て、機器を手に持つ、線量計、ピーピーいい音が鳴る。…

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遠くの声

 ラジオから聞こえる高校生の声は、報道写真が掲げられた地点から遠ざかるほどノイズが混じり、聞き取りづらくなる。砂嵐に紛れていく声は調子を変えることなく、何度も読み返す。リピートの間にすこしの空白を挟みながら。わたしが聞かなくなって次の人が聞き始める頃にも、わたしが聞いていたのと同じ時間で読み続けている。誰にも聞かれなくても、声は止めることなく流れる。コンセントに挿せば流れる電気のように、海から流れてくる水のように、とめどなく声が流れる。聞こえなくなってしまってもわたしは振り返って、向こうにわずかに見える報道写真を眺めながら、あそこで流れている声を思ってしまう。もう休んでもよいのに。もしかしたら、2012年に初演された頃から、途切れることなく読み続けているのではないかとさえ思える。当時は東日本大震災からまだ1年経って間もない、ビル街の合間を縫うスーツ姿のビジネスマンたちもマスクをせず、福島第一原発の放射線がこの地にも降り注いでいる予感をさせていただろう。オフィス、飲食店、電車、間引きされた蛍光灯を見ては「このくらいでちょうどいい」と思いながら。
 ショールームを離れてすぐそばの桜田公園に行き、<5>港区立生涯学習センターに入る。雑誌やコピー機が置かれた学習情報ルームの奥に、27インチほどのモニターがある。普段は社会教育団体の活動紹介映像が流れているようだが、見ると両耳にタグを付けられた牛に乗っかり、空っぽになった人のいない浪江町を歩く映像が流れている。猿の仮面を付けた男が手綱を引く。ここにあるのは報道写真ではなく、高山による作品《ハッピー・アイランド――義人たちのメシア的な宴》の一部であった。福島県浪江町の旧警戒区域にある「希望の牧場」の牛たちと、福島市に住む小学4年生Hさんによるピアノを音楽として、複数の映像を用いたインスタレーションだった。13世紀の聖書に描かれた一枚の絵、『義人たちのメシア的な宴』を上演するとし、銀座メゾンエルメスにて2015年に発表された作品だ。元となった絵に描かれる人々は、義人。ある者は牛、またある者は獅子や鷲といった人以外の頭部を持つが、身体は人のままである。両端には猿のような顔をした人が楽器を奏でている。義人とは、神の眼で見て正しい人のことを指す。しかし「義」の漢字には、よそからきた、という意味もある。動物であり、人間でもあるが、そのどちらでもない義人たちは、よそからきた人であり、「宙づりな存在」とも言える。楽器を持つ二人の義人は『光のない。』1作目で対話をしているAとBであり、放射線α線とβ線であり、牛の手綱を引く人と、自身の身に染み込ませようと練習を重ねる鍵盤の上の幼い手なのかもしれない。

―そのあとはわたしたち自身の中で、激しく波打つその水だけが、わたしたちとわたしたちの浄化を隔てる、いいえ、わたしたちとわたしたちの政府を隔てる、わたしたちと地獄を隔てる。…

 イェリネクは自作解説として「よそものとしてわたしたちはやってきて、誰もが一人のままでいる。」という題の文章を寄せている。彼女は日本に一度も訪れることなく、遠いオーストリアで作品を完成させた。文章を書いたものも、演出をしたものも、鑑賞者でさえよそものであり、没入することを許さない。それは解釈以前の観察を喚び起こし、公的な電波であったはずのラジオですら、ただ切実な声だけを発話しつづける個人の観察対象となるのである。

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ラジオ

 ラジオは今や、「誰もが専用の機器を持たずとも受信できる」装置として機能しているように見える。スマートフォンのアプリケーション、Radio Gardenを使えば旅行にでかけなくても各国のラジオ放送を聴いて現地の空気感を味わえる。しかしアプリなんかではなく電波受信が可能なラジオ機器を手に持ち、参加者しか渡されないマップをもとに、発信拠点の近くまで行き周波数にちょうどよく合わせない限り、彼女たちの声には辿り着けない。しかも会期が終わってしまったら聞き直すこともできない。ある意味、わたしがここに参加できている状態は特権的なのかもしれない。ただその場に残るのは、足を運んだその地点と、都市の風景だけだ。
 次の目的地は、ラジオから聞こえる声が遠のく前に到着する。同じ公園内にある<6>桜田公園内・倉庫。子どもたちが遊ぶ姿はなく、退勤して家へ帰る途中の人たちが通り抜ける道となっているため、足早に目の前を通り過ぎていく。緊急事態宣言以降、公園には「はなれてあそぼう2メートル」の横断幕が掲げられ、接触の多い遊具は黄色いロープで封鎖されていた。原発事故が起こった直後、雨水が溜まりやすく自然が多い場所、とくに公園は東京でさえホットスポットとなる場所も多かった。桜田公園の倉庫に掲示された写真は、人工的な空のもと庭園のように整備されたきれいな砂場である。夜中に野良猫が入りこんで糞尿をすることもなく、室内で子どもたちが遊ぶためだけに用意された浄化された場所。

―おそらく、わたしたちの自然公園は、この小さな動物園は、なにも悪くない、だがそのすべてがもう見えなくなるだろう、もう楽しめなくなるだろう。毒は環境を飲み込んだ、わたしたちは毒を飲み込んだ。…

 公園を出て路地を曲がり、細長いビルの真っ直ぐ上がる階段を最上階まで上りきる。住居用なのか、入居前でまっさらなワンルーム。靴を脱いで部屋に入る。風呂場は使えない状態のまま。各地点でも他の参加者と出会う機会はあったが、ここに長居する人が多いのか、3名がバラバラと中を見たりベランダに出たり思い思いに探索しながらイヤフォンで変わらず声を聞いていた。

―わたしはわたしの古い家に入る、語るために、だが巨大な沈黙の方が強い。犬たちももう吠えない。吠える理由がない。もう誰も来ない。わたしにももうほとんど反応しない。この不幸を見るために来る者はない。敢えてそうする者はない。みな出て行く方がいい。…

 立てかけるように無造作に、写真が置いてある。今にも起きたばかりで、昼前に干した洗濯物がまだ外に出ているのが障子の影でわかる。これからアイロンもかけようとしたところだ。わたしたちは多くの時間の経過を、眼で見て、匂いを嗅いで、判断する。わたしが判断するに、この布団に寝ていた人は戻ってきて布団をたたみ、障子を開けて採光しながら洗濯物を取り込みアイロンもかけて箪笥にしまう。ほんのすぐ後にでもそういう生活が残されているはずの時間がここで止まっている。原発事故により警戒区域に指定された地域に住んでいた人々は一時帰宅をして、一見、まだホコリも大してつもっていない、ついさっき出てきたような家に帰る。その風景をどう見ていたか、わたしには想像できないし表象することもできない。ただ、この写真は今、これから誰かが入居するワンルームに立てかけられているというだけだ。

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数と存在証明

―わたしたちは今後、繰り返し証明しなければならないだろう、わたしたちが存在し、健康であることを、つまり、わたしたちはわたしたち自身の存在と存続をまず証明してもらわねばならなくなる、だがわたしたちは機械を信じないだろう。わたしたちでは足りないのか。わたしたちだけではわたしたちの証明として足りないのか。…

 高架下へ向かう。子どもがカメラを掲げて自撮りする写真が、レンガ造りの高架壁に貼り付けてあり、ちょうど上から一灯の街灯に照らされている。ここで初めて、通行人たちも歩みを緩めて、写真とわたしたち観客に注目をする。「検査」によって証明される存在とは、現在と照らし合わせると皮肉なほどに切実な問題になってしまった。今、わたしたちは容易に検査できない。毎日のニュースでは、感染者の数だけが知らされ、それがどれほど検査した内の何割なのか、どの程度の症状なのかもすぐにはわからず、目に飛び込むようデザインされた数字の増減を見る。東京1121人の数字を見るたび、その他のもっと大きな数字に自分が含まれているのだと、心の底で安心しているかもしれない。自分自身が感染の瀬戸際にいるのかいないのか、わかるわけもなく、数、に集約される。マイナンバーもまさにわたしたちを数に封印する。数と存在証明は分断されるべき関係であるのに。数は記号であり、記号は管理するためにある。管理は、分け隔てなく誰もがアクセスできるよう、知ることができるためにするものであり、資本主義の中では最低限の仕組みを司るものである。人は、個人である個は、1なのか。1であるとき、人は複数のうちにいる。個が1ではなく、立つ存在であったらどうか。独立、自立、設立、立っている。そこに立っている状態である。眠っているわけでもなく、座って机に向かっているわけではなく、立って辺りを見渡している、観察するその状態を個と呼ぶとしたら。そこには性別も、人種も関係なく、人であるか、宙づりの義人であるかも問題ではなくなってくる。数ではなくなり、その人自身がその人の存在証明となる。数は移動でもある。1が2となるとき、そこには移動・移行が生じる。管理の伴わない数が移動を表するのであれば、個であるわたしたちは自由に数を変え移動することができる。そして数が提示されること、封筒に入った10枚のカードによって、わたしたちは思考の移動を可能にする。ツアー・パフォーマンスは観客であるわたしの移動によって成り立つ。移動とは、数がほかの数になるための儀式でもある。
 線路に沿ってSL広場に戻ると、機関車の横に取り付けられた大型ビジョンの中で、あの「希望の牧場」の牛たちが草を食んでいるのに気づく。ここでも《ハッピー・アイランド》の映像が展示されているわけではあるが、改めて、今回は唯一展示されなかったバッハの『羊は安らかに草を食み』を演奏/練習するHさんの小さな手を思う。右手はフルート二重奏のように、左手は変わらないリズムを踏む穏やかな曲ではあるが、大きな鍵盤の上で楽譜を追う不安な手つきと、打鍵のあまさが、牛たちが草を食む不規則な歯音と重なって聴こえてくる気がする。ピアノは鍵盤を叩くと必ず正確な音を返す。だから、幼い頃はピアノの練習が嫌になるのだ。未熟な手には負えない白鍵と黒鍵の豊かな並びは、正確に弾こうとすればするほど、より正確さが求められる。楽譜通りに弾くために、たった5分の曲を何ヶ月もかけて弾いたりする。その遠回りな練習は、このSL広場で、革靴が地面のブロックをカツカツ鳴らす音とは異なるようで似通っている。ピアノの代わりに、ラジオからは声が聞こえてくる。

―この土ではなにもしてはいけない、別の土ならいい、この土はいけない。ここに育つものを動物に与えてもいけない。ここに育ったものを与えられた動物を食べてはいけない。わたしはみすぼらしい予言者でさえない、すべてはすでに起こったから。…

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女の移動

 わたしがここに戻ってくるまで聞いてきた彼女たちの声を思い返す。イェリネクは、2作目の末尾に「多くの、多くの報道を読んだ。/ソポクレース『アンティゴネー』も。」と添えた。わたしはここを誤読していた。はじめ、作者も、そしてアンティゴネー、彼女も、多くの報道を読んだのだと思った。
 今では女である、ということをどう語れば良いのか苦悩する時代になってしまった。わたしは、今はまだ女である、とあえてここで書いてみる。今作で新橋を舞台に10箇所の地点でラジオを通して流れていた声は、すべていわき総合高校の女子生徒たちだった。かつて、女人禁制とされた場所には、その通り女は入ることができなかった。女には毎月のケガレ、生理があるため、神聖な場所には立ち入れないという通念があったのだ。富士山もその一例であった。江戸時代、そうした迷信を取り払ったと言われているのが富士講の指導者・小谷三志である。江戸時代に成立した富士講は富士登山や周辺への巡礼による信仰を目的としていた。言うなれば、富士講は富士をめぐるツアー・パフォーマンスをおこなっていたのである。小谷は、師・食行身禄の教えである男女の平等を目指し、高山たつという女を引き連れて富士登山を実現した。そのとき、たつはほかのものに「女に見られないよう」変装して登っていた。以降、富士には女が入山できる入り口ができ、徐々に誰しもが登れる山に変わっていった。変わってはいない。当初の山の姿に戻ったのである。ツアーというのは、見るだけではなく見られる行為である。あるときは男装をし、マスクをつけ、猿の仮面をし、義、よそものを装って歩く。観客は宙づりな存在になる。そこからやっと風景の中に、「写真」が見えてくるのだ。わたしたちは幸いにも、同じものを何度も同じように見ることができない。そっくりそのまま記憶していると思い込むことができるし、実はそうでなかったと、気づくことができる。

―わたしたちは誰かの妻かもしれない、だがなにかの主人ではない。わたしたちは血を流す、だがそれはわたしたちではない。わたしが言うことは声にならない。…


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[1] ベルトルト・ブレヒト「アンティゴネ」ソフォクレス原作・ヘルダーリン訳による舞台用改作(谷川道子訳、2015年、光文社)
[2] ソポクレス「アンティゴネー」に登場する、アンティゴネーの兄。ブレヒトが加筆した「序景」に登場する兄と同じく戦争から逃げてきたとして王クレオンに殺されてしまう。
[3] 筆者による創作
[4] http://www.elfriedejelinek.com/fklicht.htm

付記:本稿は雑誌『現代詩手帖』(2021年6月号、思潮社)に掲載された劇評『アンティゴネーも、わたしたちも、見えない声の方へ。』を改訂・加筆したものです。

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青柳菜摘(あおやぎ・なつみ)
1990年東京都生まれ。ある虫や身近な人、植物、景観に至るまであらゆるものの成長過程を観察するうえで、記録メディアや固有の媒体に捉われずにいかに表現することが可能か。リサーチやフィールドワークを重ねながら、作者である自身の見ているものがそのまま表れているように経験させる手段と、観者がその不可能性に気づくことを主題とする。近年の活動に「TWO PRIVATE ROOMS – 往復朗読」(2020-)、「彼女の権利——フランケンシュタインによるトルコ人、あるいは現代のプロメテウス」 (ICC、2019)、第10回 恵比寿映像祭(東京都写真美術館、2018)など。また書籍に小説『フジミ楼蜂』(ことばと vol.3 所収, 2021)がある。プラクティショナーコレクティヴであるコ本や honkbooks主宰。「だつお」というアーティスト名でも活動。

©︎シアターコモンズ ’21/撮影:佐藤駿

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