意識の高低は、視座・実力・目標の3つの軸で整理されるべきだ。
そもそも、意識高い系、と、意識が高い、は別物だと思うのですよ。
意識が高い人は、己の意識が高いことを吹聴せず、ただ粛々と目的に向かって地道な努力を続けているんじゃないでしょうか。だから、自己顕示欲に任せて、noteとか書かない。書かないんです。
それはそれとして「意識が高い」とは、いったい何なのでしょう。
高低の話ではあるが、絶対的な基準というものを置くのは難しい、やはり、何かと比べて、相対的に高いか低いか、で捉えるべきでしょう。
しかし、その際の基準を、「他人」と置くのは、あまりお勧めできない。なぜなら、他人の意識の高さは外部から判別できないわけだし、そもそも「本当に意識が高い人は、意識の高さを隠す」ので、比較しようがなくなってしまいます。
そこで考えました。基準点を「実力」と置くのが良いのではないでしょうか。
基準=実力
実力そのものの高低の問題はありますが、それはそれとして「自分の実力がどこにあるか」を基準と置くわけです。他人など知らぬ。世間など知らぬ。己が実力こそが基準なのだ。
では、実力と比較すべきものは何でしょう。これは「目標」です。
目標 > 実力 = 意識高そう
そもそも「意識」なわけですから、現時点で何か実現されているわけではないと考えるのが妥当です。そうすると「将来的に、ここに到達したい」というものを持っているかどうか、が勝負です。
自分の実力よりも高い「目標」を掲げている。これは、意識が高い、ということになります。まぁ、「意識が低くはない」くらいの言い方の方が、反論が出にくいのかもしれませんけれど、少なくとも、目標 > 実力の人の方が、目標 < 実力の人よりも、意識は高そうです。
と、ここで話を終えても、別にいいんじゃないかと思うのですが、せっかくなのでもう一歩踏み込んでおきましょう。
ここで持ち出したい概念が「視座」です。
視座が高いと、実力を低く見積もる
視座というのは、視点の座りどころ、です。視座が高いということは、自分よりも高い位置の視点を持ち合わせている、ということになります。
自分よりも高いポジションから、自分のことを眺める。それは、つまり「自己評価を下げる」ことにつながります。「世の中には、もっともっと高い能力の人がいる」「自分など、たいしたものではない」と、考えることになります。
もちろん、視座が高いことで、本当に「実力(あるいは能力)」が下がるわけではありません。あくまでも、「自分自身の実力に対する評価」を低くするというお話です。
さて、ここで、大きな分岐点に出会います。
視座の高さによって、実力(の評価)が下がった時、目標の高さは、どのように変化するのでしょうか。
自信を喪失するか、奮い立つか
これは、(いわゆる自己肯定感の話にも関係してしまいそうなのですけれど)「よし頑張るぞと奮い立つ」か「自分なんて大したことは無いのでほどほどに頑張ります(自信喪失)」の二択です。
図にすると、こんな感じです。
奮い立った人は良いとして、自信を喪失した人は「意識が(さほど)高くない」ということになります。
つまり、、、どういうこと???
こうして考えてみると、「意識の高さ」について、以下のように分類することが可能そうです。
実力:高、目標:高、視座:高
実力:高、目標:高、視座:低
実力:高、目標:低、視座:高
実力:高、目標:低、視座:低
実力:低、目標:高、視座:高
実力:低、目標:高、視座:低
実力:低、目標:低、視座:高
実力:低、目標:低、視座:低
1は、すべて高い人です。この人は、間違いなく「意識高い」と言えます。日本の未来を背負って立ってください。
2は、視座が低いので、自分に満足する傾向にあります。それなのにも、目標が高い、というのはレアキャラでしょう。ただ、存在するならば「意識高い」に分類されます。
3は、評論家タイプですね。めっちゃいます。「意識は高くない」です。
4は、実力は高い世捨て人って感じです。割といます。「意識は高くない」です。むしろ「”真”意識低い人」を名乗って良いかもしれません。
5は、実力が伴わないが、将来有望株です。未来に向けて頑張ってほしいです。「意識高い」です。
6は、自己満足型です。分類上「意識高い」に入りますが、これこそまさに「意識高い系」です。
7は、視座だけ高い、人です。これは、しんどい。とてもしんどい。ツイッターとかにたくさん生息している気がします。(いい意味です)
8は、全部低い人です。意識とか関係ないです。現代社会においては、そこまでたくさんいないと思う(というか信じたい)のですが、こういう人が多い社会は、それはそれで安定します。なんとなく、自由からの逃走、の封建社会の構成員を想起させますね。
、、、意識の高さを意識してみたものの、着地点を見失ってしまった感じですが、こんなに書いてお蔵入りというのも悲しいので、一旦ペロッ投げ込んで、そのうちアンサーnoteを書いてみることにします。