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「満足している人はフォロワーにならない」日本の文化を担うBEAMS JAPANの火の付け方〈ファーストフォロワーとの出会い方〉

国が「地方創生」を掲げ今年で10年。自治体の創意工夫の取り組みを国が後押しし、地方に「仕事をつくる」「人の流れをつくる」「結婚・出産・子育ての希望をかなえる」「魅力的な地域をつくる」に沿った施策をデジタルも活用して展開してきた。しかしながら、国全体の人口減や東京圏への一極集中の流れを変えるには至っておらず、地方はなお厳しい状況にある。「もう10年」なのか「まだ10年」なのか、地域創生ラボでは後者の姿勢をとり、辛抱強く地方の創生に邁進する開拓者を応援する。

「ファーストペンギン」だけでは成立しない地域の課題

「ファーストペンギン」という言葉がある。主にビジネス分野で使われるもので、ペンギンの行動習性からきたものである。普段、陸上で過ごすペンギンだが、危険を顧みず魚を獲るため、最初に海に飛び込む者を指す。ビジネス分野では新しい領域を切り開く人を「ファーストペンギン」と呼び、彼らは、リスクを負いながらも大きなリターンを獲得している。

「私がむしろ重要だと思うことは、そのファーストペンギンに続いて、集団全体が海に飛び込み、皆が成長していく点」
 
こう語るのは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士候補者候補・米田あゆさん。東京大学入学式(2024年)で述べた祝辞での言葉である。
 
「誰かが挑んだフロンティアをただ後追いすることではなく、チャレンジ精神そのものを学び、他者と協力し合いながらも、一人ひとりが独自の一歩を踏み出すことではないか」とも語っている。これは、地域にも当てはまる言葉だろう。地域に入って様々な取り組みを行う開拓者「ファーストペンギン」がいるが、ただそのまま後ろを追随するのではなく、独自の一歩を踏み出して成長していく集団があることで、地域は強くなる。言うは易く行うは難しである。
 
しかし、日本の地域には、ファーストペンギンの思考・熱意にいちはやく気づき、海に飛び込み、成長した人がいる。本連載では、彼らを「ファーストフォロワー」と称し、「ファーストペンギン」との関係性を紹介する。

社内のマイノリティからBEAMS JAPANの旗振り役に

2016年は、BEAMS創業40周年のアニバーサリーイヤーだった。その年に立ち上げられたのが、BEAMS JAPAN。掲げられたコンセプトは“日本文化はかっこいい”。ローカルのファッションや工芸、食品などを幅広く取り扱い、日本文化が培ってきた伝統や個性を発信。国内外から注目を集めるレーベルに成長した。

その中核にいるキーマンが、BEAMS JAPAN クリエイティブディレクター鈴木修司さんだ。鈴木さんが生まれたのは1976年2月で、奇しくもBEAMS創業と同じタイミング。ビッグプロジェクトの中心人物として白羽の矢が立ったのは、どこか運命めいた巡り合わせが感じられる。
 
「BEAMSのそれまでの40年間は、ファッション一色でした。けれどそれだけではお客様の期待に応えきれない、という声が社内でも出てきて。社長から『BEAMS JAPAN立ち上げは鈴木と佐野(BEAMS JAPAN プロデューサー佐野明政さん)が中心になって動きなさい』と言われたんです」(鈴木さん)

「BEAMSはどちらかというと、アメリカやヨーロッパからセレクトして輸入するのが得意。日本のものを海外に、という事業は初めてでした。ですが、BEAMSは原宿の4坪程のショップから始まった純日本の会社。社長はいろいろな人から『日本の会社なのに、どうして日本のことをやらないの?』と言われることが多くて、BEAMS JAPANのような事業をやりたいとずっと考えていたみたいです」(鈴木さん)

全国展開してきたBEAMSだからこそ、国内マーケットの飽和状態に危機意識も感じていたという。活路を見出したのが、日本にフォーカスしたコンテンツへの参入だった。
 
「けれど日本をテーマに動ける人間って、社内に少なかったんです。僕は、BEAMS JAPANを立ち上げる10年位前から『fennica(フェニカ)』というレーベルを担当していました。クラフトやインテリア、日本各地のプロダクトにも携わる仕事でした」(鈴木さん)

メインストリームとは離れた仕事だったが、鈴木さんの心は踊っていた。
 
「子どもの頃から歴史など社会が大好き。工学部機械工学科を出た理系なんですが、入試の試験科目じゃないのに日本史を勉強していたほど」(鈴木さん)

「ある時、島根県の出西窯という民芸を代表する小さな湯呑みを見て、なんて素晴らしいものなんだ……と。僕は掘り下げるのが好きなので、それからは民芸のツアーに参加したり、日本の家具を買い漁ったり。お金はなかったですけど、夜行電車や夜行バスに乗って地方を回るようになりました」(鈴木さん)

「好き」を原動力に走り続けたところ、BEAMS JAPAN立ち上げという大舞台で旗を振ることに。
 
「『やっと僕の時代が来た!しめしめ……』という気持ちでした(笑)。ですが失敗は許されませんので、プレッシャーも。日本の工芸や地場産業はまだまだ知られていないものが多いですし、『BEAMSの屋台骨になるビジネスにできるのか』と、社内も半信半疑でしたから」(鈴木さん)

「熱」を上げ、追いかけた先で掴んだチャンス

社内で異色のレーベルとして始動したBEAMS JAPAN。タイトなスケジュールの中、鈴木さんのアシスタントに選ばれたのが、太田友梨さんだ。

「私は2009年入社で、当時は店舗スタッフとして雑貨を担当していました。旧BEAMS JAPANの全館リニューアルに伴い、半年間程店舗を閉館することになって、『あなたは新プロジェクト立ち上げのお手伝いをしてください』と言われたんです。そこで修司さんに会いました。最初は不思議な方だなと……(笑)」(太田さん)
 
太田さんが最初に頼まれたのは、これから取り扱う商品の資料づくりだった。
 
「僕がいきなり山形県のけん玉や信楽焼の狸の話をしても、若いスタッフはわからない。『僕が喋ることを噛み砕いて資料にまとめて!』と太田さんに頼んだんです」(鈴木さん)
 
「一つひとつ話してもらったことを、メモに取って資料にしました。初めてする仕事で私はパニック状態でした」(太田さん)
 
商談などにも同席するようになった太田さん。鈴木さんの働きぶりには驚きの連続だった。
 
「修司さんのエネルギーはどこから出てくるんだろう……と思うほどすごかったです。商品からディスプレイ、売り方など、全部の仕事をされていたんです。修司さんを少しでも楽にさせてあげたいというか、私も役に立たなくちゃという使命感がありました」(太田さん)

「太田さんみたいな人が何人かいて助けてくれたんですよね。僕と佐野さん、死にそうな顔で仕事してたので(笑)」(鈴木さん)

朝から晩まで一緒に働く中、鈴木さんもとあることに気がついた。

「僕が信楽出張に行くとき、太田さんが自腹でついてきたんです。今どきこんな子がいるんだな、大したもんだと思いました」(鈴木さん)

「お話を聞いている内に、どうやって作っているのか見たくなってきて。旅行や食べ物も好きだったので『ついていっていいですか?』と(笑)」
 
先陣切って新しい世界に飛び込むファーストペンギンは、孤独にも陥りやすい。ファーストフォロワーのように、追いかけ、伴走してくれる人は得難い存在だ。

「せっかく出張について来てくれたので、僕が不得意なアクセサリーの商品企画を太田さんに任せてみたんです」(鈴木さん)

「そのときに企画した琵琶湖の淡水真珠の商品は、ロングセラーで今も販売しています。一番思い出に残っている仕事ですし、修司さんのアシスタントになって人生が変わりました」(太田さん)

先輩の背中を追った一歩は、太田さん自身の仕事の幅を広げるきっかけになった。
 
「店舗スタッフだった太田さんは、今ではBEAMS JAPANのディレクター。社内に20人ほどの責任重大なポジションになんですよ」(鈴木さん)

BEAMS JAPANが繋ぐ新たなステークホルダー

「BEAMS JAPANは会社の柱になってきました。海外卸も始めましたし、売上高も順調です。景勝地への出店(BEAMS JAPAN GATE STORE)は出雲、日光、宮島、神戸、 善光寺、舞鶴の6店舗になりました。来春にはさらに増える予定です。景勝地はBEAMSにとって飽和どころか空白地帯。まだまだ出さなきゃいけないですね」(鈴木さん)

BEAMS JAPANの成功は、会社にとって新たな道しるべにもなった。鈴木さんが近年担当したのが、2023年3月発行の『小学生からの都道府県おでかけ図鑑』(BEAMS JAPAN監修、新興出版社啓林館発行)だ。
 
「教科書などの出版をしている新興出版社啓林館から、社会科の副教材プロデュースの相談がありました。 啓林館の部長さんがBEAMS JAPANのファンで、僕のこともよく知ってくれていて『日本全国を回っている鈴木さんの好きなように提案ください!』と言ってくださいました」(鈴木さん)

「社会科は暗記科目になりがちですけど、いろいろな科目に繋がるすごく大切な科目。小学校低学年がメインターゲットということで、家族で日本全国をお出かけしながら、地理や歴史など日本のことを学ぶ、という本を提案しました」(鈴木さん)
 
本を開くと「ー日本のまちー絶景セレクション」に始まり、まちの構成や役割をわかりやすく解説。さらに47都道府県一つひとつの基本データや特色を紹介するという、ワクワクする内容になっている。

「現代日本って、幹線道路沿いや駅前は景色が一緒。ですが日本には数えきれないほどのまちがあるけれど、同じまちなんてひとつもない。港町と言っても、漁港、工業港、観光港、はたまた軍港もある。全部のまちに歴史や文化、役割があって、今の日本があるということを一冊に詰め込みました」(鈴木さん)

この一冊は、BEAMSにとってのブレイクスルーにもなった。
 
「BEAMSは教育関係事業はほとんどやったことがなかったんです。社長から『会社の幅を広げてくれた』とめちゃくちゃ褒められました。BEAMS JAPANをきっかけに、行政やふるさと納税の仕事にも繋がりが生まれ、今までのBEAMSではできなかったジャンル、関われなかった人たちとの仕事を連発できています」(鈴木さん)

「修司さんはいろいろなところに切り込んで、人を巻き込むんです。商談でも『いい場だったな』と、皆さん満足して帰っていかれます。ですが楽しませるだけじゃなくて、人が求めていることを明確に示して、次のステップに進めるように物事を動かす。こうやって良い仕事を作るんだ、とすごく勉強になります」(太田さん)

巻き込む力はいかんなく発揮され、ユニークなコラボレーションを続々と実現させている。
 
「牛乳石鹸さんと一緒に銭湯文化を発信したり、いいちこさんと焼酎のイベントをしたり。 松竹さんとコラボしたときは『男はつらいよ BEAMS 篇』の特別商品を作りました。寅さんグッズがかなり売れて、今度は『小津安二郎 生誕120周年』をやっています」(鈴木さん)

ファーストフォロワーは独自路線の伸びしろを持つ人

新規案件を次々と仕掛ける鈴木さんは、今でもなおファーストペンギンであり続ける。そんな鈴木さんに、ファーストフォロワーの素地とは何か聞いてみた。
 
「伸びしろがある人というか、突っつきがいがある人かな。自分の世界や今していることに満足しきっている人は、そもそもフォロワーにならないと思うんです」(鈴木さん)
 
ファーストフォロワーの太田さんに対して、出会った当初はこんなことを感じていたという。
 
「太田さんは元々有能で仕事もできる人。けれど『この子は何が好きなんだろう。熱を上げる対象を持っていない』という印象がありました。ということは、熱を上げる対象を指し示せば伸びるはず。日本の地場産品や名産品のような、太田さんが今まで見たことのないものを見せて、その魅力を伝えてみようと考えたんです」(鈴木さん)

「それは初めて聞きました!でもその通りです……。会社に対しても熱をそんなに持っていなかったし、毎日普通に過ごすだけでした」(太田さん)

「次世代の人たちには、僕を超えてほしい。そういう人が出てきたら一番ハッピー。独自の路線で次のファーストペンギンになってほしいな」(鈴木さん)

「修司さんの背中をずっと見てきたのでなかなか難しいですが、私も自分らしい形でいきたいです」(太田さん)

ファーストフォロワーは、決してファーストペンギンのコピーではない。もしも鈴木さんのような存在が社内にもう一人誕生したら……?
 
「修司さんさんみたいな人がもう一人いたら、本当に大変なことになります(笑)!」(太田さん)

「BEAMS JAPAN 2ができます(笑)」(鈴木さん)

BEAMS JAPANになくてはならない存在の2人に、大切にしているマインドを聞いてみた。
 
「私たちみたいな仕事は柔らかい気持ちで動いていかないと、広がりがなくなってしまいます。修司さんが『仕事が遊び』とよく仰っていて、本当にその通りだと思うんです」(太田さん)

「僕らは道具としての洋服を売る会社じゃないんですよね。お客様を楽しませてハッピーにさせる、そういう娯楽的な要素が社会から求められています。社外も含めて、僕が仕事するときに巻き込みたいと思う人は、ある意味楽天的な要素の多い人。どうせ百発百中なんてないんだから、ポジティブにいてほしい」(鈴木さん)

ファーストペンギンがいるから、インパクトの大きな変化が起きる。そしてファーストフォロワーが続くから、ブレイクスルーを一過性で終わらせない。鈴木さんが切り拓き、太田さんが追いかけた道から、BEAMS JAPANの次なるペンギン、フォロワーたちが生まれていくのだろう。

BEAMS JAPAN


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