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「伝統工芸=オワコン」のイメージ払拭へ 喧嘩もしながら信頼を築いた共同創業者〈ファーストフォロワーとの出会い方〉

「ファーストペンギン」という言葉がある。主にビジネス分野で使われるもので、ペンギンの行動習性からきたものである。普段、陸上で過ごすペンギンだが、危険を顧みず魚を獲るため、最初に海に飛び込む者を指す。ビジネス分野では新しい領域を切り開く人を「ファーストペンギン」と呼び、彼らは、リスクを負いながらも大きなリターンを獲得している。
 
「私がむしろ重要だと思うことは、そのファーストペンギンに続いて、集団全体が海に飛び込み、皆が成長していく点」
 
こう語るのは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士候補者候補・米田あゆさん。東京大学入学式(2024年)で述べた祝辞での言葉である。
 
「誰かが挑んだフロンティアをただ後追いすることではなく、チャレンジ精神そのものを学び、他者と協力し合いながらも、一人ひとりが独自の一歩を踏み出すことではないか」
 
とも語っている。これは、地域にも当てはまる言葉だろう。地域に入って様々な取り組みを行う開拓者「ファーストペンギン」がいるが、ただそのまま後ろを追随するのではなく、独自の一歩を踏み出して成長していく集団があることで、地域は強くなる。
 
言うは易く行うは難しである。しかし、日本の地域には、ファーストペンギンの思考・熱意にいちはやく気づき、海に飛び込み、成長した人がいる。本連載では、彼らを「ファーストフォロワー」と称し、「ファーストペンギン」との関係性を紹介する。
 
 
3人目の「ファーストペンギン」は、合同会社TSUGI(ツギ)代表兼クリエイティブディレクター新山直広さん。福井県鯖江市に拠点を置く合同会社TSUGIは、地域を盛り上げるローカルクリエイティブカンパニーだ。新山直広さんは、京都精華大学建築学科在学中に福井県の「河和田アートプロジェクト」に参加。アートを切り口にしたまちづくりに魅了され、2009年に大学を卒業するやいなや鯖江市に移住。2015年に同級生だった寺田千夏さんと合同会社TSUGIを創業した後は、驚くほどのスピードでものづくりのまち福井を盛り上げてきた。現在は、グッドデザイン賞審査員としても活動する。

地方で孤軍奮闘する限界を仲間と一緒に突破する

「最初からギアを上げまくっていたんですよ。会社をつくった年にRENEW(リニュー)もポップアップストアSAVA! STORE(サヴァ ストア)も始めました。何もわからないがゆえの勢いでしたけどね(笑)」(新山さん)
 
RENEWは、鯖江市、越前市、越前町で開催される国内最大規模のオープンファクトリーイベント。工房や工場を見学できる体験型イベントで、越前漆器や越前和紙などものづくりの工房を見学できるイベントとして注目を集めている。

オンラインが主流になりつつある現代で、デザイン事務所がSAVA! STOREをスタートさせたのも大きい。店内に足を踏み入れると、和紙や漆器、繊維に刃物……と、数々の逸品が福井で生み出されていることにハッとする。

「TSUGIを創業する前、産地自体がめっちゃ疲弊していたんです。廃業する会社も多くて、地域の飲み会に参加しても愚痴と悪口と噂話のオンパレード。僕は“まち”づくりをしたくて鯖江に来たけれど、“もの”づくりが元気にならないと街は元気にならない。この街に必要なのはデザインだと思って、独学で勉強を始めたんです」(新山さん)

「ですがカッコいいロゴをデザインしたところで、おそらく通用しないんですよね。ここで求められているのはモノを売ること。伝統工芸=オワコンみたいなイメージも払拭しないといけない。この街でデザインするなら、流通まで変えないといけなかったんです」(新山さん)
 
産地を元気にするために、経済エリアをデザイン(設計)していった新山さん。「アップデート工芸」をキーワードに、職人の技術に現代的な付加価値もプラスした。外から地域に飛び込み、内側から変化を起こしていくのは、決して平坦な道のりではなかったという。
 
「最初は一人の戦いでした。移住者がいなかった時期もありましたし。しかも僕らデザイナーが一生懸命頑張ったところで、職人さんにやる気がなかったらいい仕事にならない。始めの三年位はとにかく地域に馴染むことを考えて、自分の意見なんて何も言わない時期。地域のおっちゃんたちが『こういう街なんやさ』と僕を育ててくれました。それから後輩も移住するようになって、TSUGIのベースみたいなサークル活動が始まったんです」(新山さん)
 
新山さんが踏み出した次のフェーズは、地域のための独り立ち。ところがそれは、地域の人々とのズレを生じさせるものでもあった。
 
「聞き分けのいいイエスマンの新山が何か自分でやりだしたわけで……。僕が転職して鯖江市役所に行ったのも、職人さんのイライラポイントになったと思います。地域のために頑張っていたやつが急に行政っぽくなったように見えちゃって」(新山さん)

「僕が一番悪かったのが、ずっと我慢していたことを言葉にしたこと。僕はそもそも死ぬほど意識高い系で、移住時のマインドは『安心してください。僕が地域を救ってあげます!』みたいな感じ。それから数年経ってはいたのですが、ある時の飲み会で結構意地悪されて、僕も怒って『だからこの産地はダメなんだ!』と言ってしまい……バチクソ怒られました(笑)。今はめっちゃ仲良いんですけどね」(新山さん)
 
産地が衰退する危機に気づきながらも、課題に対するアプローチに手応えを感じ切れていない時期。地域との関係性にも悩みながら、TSUGIを会社として設立して本格的にまちづくりに取り組むことに。
 
「そのタイミングでチーコ(寺田さん)に来てもらって、状況が劇的に変わったんです。仲間も増えたし、めちゃくちゃポジティブな変化が起きました」(新山さん)

出資金は一万円! それでも感じた価値と可能性とは

2015年、共同創業者としてTSUGIにジョインした寺田さん。新山さんとは京都精華大学の同級生で、友人としての付き合いは社会人になってからも続いていた。
 
「私は人文学部生だったんですけど、デザインにも興味があって。二年生のときに河和田アートキャンプのチラシを見かけて飛び込んで、福井にどっぷり行くようになりました」(寺田さん)

大学卒業後はデザイン業界に就職。ところが寺田さんは思いもよらない事態に直面する。
 
「京都の小さなデザイン事務所だったんですけど、急に『解散!』と言われて……。倒産でした。そこから二年半位は、全くデザインの仕事をせずにアルバイトで食いつなぎました。テレアポのバイトをしていたときは成績ナンバーワン(笑)。万博公園の植木をひたすらパンジーに入れ替える仕事もしました」(寺田さん)

「その頃も新山とは年に一回は会っていましたし、河和田も訪れていたんです。河和田で過ごす新山が頑張ってるのを見て『いいなぁ。モヤモヤするなぁ』というのもありつつ。2014年頃に、私もその界隈にもう一度飛び込んでみようかなと思って就職活動を始めました」(寺田さん)
 
日本の工芸や流通などを手掛ける大手老舗企業が、経営者の弟子を募集していることを知り、チャンスを掴むべく応募したという。選考がどんどん進む中、新山さんからも声がかかった。
 
「弟子入りの選考に受かったと電話がかかってきたのと同じタイミングで、新山から『TSUGI一緒にやろうぜ』と電話が来て。どっちに行くか考えたとき、母親が『絶対、新山君のところに行ったらしんどいで。でも絶対面白いと思うで』と背中を押してくれたんです」(寺田さん)
 
「100%断られると思ってたんですよ(笑)。そうして二人で共同創業者になったんですが、チーコが絞り出した出資金は一万円」(新山さん)
 
「お金がなくて、一万円すら苦しかったから(笑)」(寺田さん)

「共同創業者になった当時、チーコはデザイナーのキャリアはそんなにはなかったよね。TSUGIに入って一年目は僕の方がデザイン上手かったくらい(笑)。でもポートフォリオとかを見ていると、きらりと光るセンスがあった」(新山さん)
 
「創業当初は、自分の役割がよくわかっていなかったんだと思う」(寺田さん)
 
「でもチューニング合わせてからは最強。僕なんか全然追い越していった(笑)。役割分担は僕がRENEW、チーコがSAVA! STOREのようなかたちになっていきました」(新山さん)

創業当時は、新山さんと地域との関係性が微妙な頃合い。この時期に、寺田さんを必要としていた理由とは。
 
「チーコの場合は僕との関係性もあったし、この街との関係性をすでに持っていたんですよ。いきなり何も知らない町に飛び込むことにはリスクもあるんですけど、チーコは学生のときに三年間河和田にいて、卒業してからも年一回は来ていました。チーコのことを知っている人が、街にも多い状況だったんです」(新山さん)
 
「TSUGI創業当時は(地域の人とギクシャクしている雰囲気を)感じました。地域の人が近寄ってこないなと。RENEW一年目は、職人さんたちが『あいつらまた変なことやっとるわ』と外から見ていた感じでしたが、二年、三年と経ってくると仲間になってくれたり、飲み友達になっていたり。そうした変化を見ていると、新山がやってきたことは間違っていなかったんだなと思えました」(寺田さん)

舞台に挑む漫才コンビのような二人三脚

一足飛びにはいかないのがまちづくり。ファーストペンギンが勇気をもって飛び込んだ後、続くファーストフォロワーの存在があるかないかでは、持続力や推進力が段違いだ。
 
「最初は新山と死ぬほど喧嘩したし『大っ嫌い!』みたいな状況はめっちゃありました(笑)。友達じゃなくなる瞬間がやっぱり出てくるんですよ。創業者としてお金を稼がなきゃいけないし、みんなに給料を渡さなきゃいけない。そっちの比重が大きくなってくるとピリピリしますよね。お互い二年目位まで結構しんどかったんじゃないかな」(寺田さん)
 
利益も出さなくてはいけない一方で、お金だけでは測り切れない価値も創造しなくてはいけない。似て非なる二つの側面を両立させるには、ファーストペンギンとファーストフォロワー同士の本音のぶつかり合いも必要だ。

「お互いよく言っていたのが、『ほんまに漫才コンビみたいだよね。コンビに例えたら多分キングコングちゃう?』みたいな(笑)。ボケとツッコミがいて、目指す道もいいねと思うポイントも一緒なんだけど、それぞれ持っていないものがたくさんある。ちょっとずつ補いつつ、二人でひとつで舞台に立っていくような、同士というような感覚が近いです」(寺田さん)
 
20代という若さで、デザインを武器にまちづくりに挑み始めた二人。創業一年目でイベントや店舗運営に着手できたのは、背中を押してくれる存在も大きかった。
 
「当時の鯖江市長がすごく力を貸してくれました。河和田アートキャンプが始まったときから市長をされていて、私たちが学生の頃からずっと知ってくれていたんです。TSUGIを作るときに久しぶりに市長に会ったときも『やりたいことは全部やりなさい。どんな問題が起きても全部俺が尻を拭うから』と言ってくれました」(寺田さん)

「産地を盛り上げるイベントを始めたかったし、私たちが欲しいと思えるものをどんどん作っていきたかった。市長からは『デザインのことはよくわからんけど、鯖江のためになることだよね。それなら地域おこし協力隊としても頑張ってみたら』と逆提案されて。そこでSAVA! STOREは地域おこし協力隊の業務の中でやりました。協力隊の三年間の任期の中で全国の商業施設を飛び回りつつ、ようやく実店舗を作るところに持っていけたんです」(寺田さん)
 
「市長の提案や恵まれた環境が味方になって、TSUGIの一、二年目はうまく走りだせました」(新山さん)
 
共同創業者として駆け抜けたあの頃、二人の間にはこんな化学反応も。
 
「新山は泥臭く非効率を楽しむ人間なんです。一緒にいると、アクシデントが起こりまくるんですよ。普通の会社だったら、アクシデントに対して効率よく対処する方法を考えるんですけど、新山はどれだけ自分たちが楽しめるかをすごく大事にしていました。とんでもないアクシデントが起きても『じゃ、これどう面白くする?』と、ポジティブに変えていく力を分け与えてくれたのは新山です」(寺田さん)
 
「アクシデントが起きたときこそ価値が問われるというのもあるし、やっぱり最終責任は全部僕にあると思ってやっていました。 基本的に(僕は)ギリギリでしか動けない人間。小学生の時から夏休み最終日の宿題みたいなことをやってきて、土壇場力だけ謎に付いている(笑)」(新山さん)

地方で奮闘するデザイナーを勇気づけながら

まちづくりのため二人三脚でがむしゃらに走り続けてきたが、2021年3月に寺田さんがTSUGIから独立することに。現在の寺田さんは、フリーランスのデザイナーとして力を発揮している。
 
「もう一度、一人で全部やってみたいと考えるようになったんです。会社がどんどん大きくなるのは良いことなんだけれども、自分自身の作りたいものを作る時間がなくなったり、管理職としての仕事をする時間が増えていったりして。お互いが良い距離感でいるための方法を考えたら、ちょっと離れたところで一人でやりたいことをやっている方が、TSUGIと一緒にこの街を面白くしていけるんじゃないかなと思えたんです」(寺田さん)

「以前はデザイナーというと、目に見えるものを作る人という考えが強かったし、私もそう思っていました。 でも蓋を開けてみたら(地域のコミュニティの中で)やることがたくさんあることに気付いたんです。新山はそれを言い続けてやってきました。すると地方で泥臭く頑張っているけれど日の目を見ていなかったデザイナーたちが、自信を持てるようになってきたんです。デザイナー同士のネットワークも増えました。私もTSUGIを離れて一人でやっているデザイナーですが、同じように頑張っている人がいると思うと安心できるんです」(寺田さん)
 
離れていても仲間でいられる距離感を探った寺田さん。新山さんにTSUGIで大切にしてきたチームビルディングを聞いてみた。
 
「スキル採用というよりは、コミュニケーションや人柄採用をしていますね。いい人に来てほしいんです。組織って十人がいい人でも、ヤバい一人によって崩壊することもあるじゃないですか。それが一番危ないと思っています。だからTSUGIの採用はいい人であることが前提です」(新山さん)

「ローカルの小さなベンチャーって、時にすごく属人的でもある。人を間違えると終わる可能性があるから、結構シビアです。かといってシビアすぎてこっちが疑心暗鬼になるのもキツイ。デザインの経験があまりなくても、溢れ出るいいやつ感のある人と働きたいですね」(新山さん)
 
「TSUGIで働いてる人は、いいやつ感が溢れ出てる人しかいないよね。腹の探り合いをしていない感じというか」(寺田さん)
 
「社内の関係性もですが、クライアントさんとの関係性も大事。職人さんとのコミュニケーションって、リスペクトしすぎない方がいい。普通でいいんですよ。背伸びせず、普通にコミュニケーションが取れてちゃんと寄り添えるかどうかの方が、町の生存戦略として大事だと考えています」(新山さん)

 
TSUGIが大切に育んでいるのは、コミュニティをデザインするというDNA。ファーストペンギンとファーストフォロワーが築いたベースから、チームがどんどん広がっていく。一緒にいても離れていても、同じ未来に向かって走れる信頼感が、地域をもっと面白くしてくれるだろう。


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