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“丸干し×ホテル”で始まる鹿児島県阿久根市の観光地化「世界を見るしかない」〈ローカルグッドの視座〉
地球環境や地域コミュニティなどの「社会」に対して「良い影響」を与える活動・製品・サービスの総称を「ソーシャルグッド」と言います。こういったソーシャルグッドな活動をより地域に根を張って活動されている方々を今回、“ローカルグッドな人たち”と定義。彼らはどのような視点でローカルグッドを実現しているのか、本人に聞いた。
今や外国人観光客も見逃さないのが、日本のローカルならではの魅力。鹿児島県阿久根市は海と山の恵みが豊かなエリア。近年は国内外から人が集まるスポットになりつつあるが、特に注目すべきなのが「イワシビル」だ。運営を手がけるのは、下園薩男商店3代目・下園正博さん。下園さんが目指してきたのは「若い人たち向けに丸干しを認知してもらうこと」だという。
モダンな建物の中に同居するローカルストーリー
「丸干し」という食材はどんなものかご存じだろうか? 魚に刃物を入れず、そのまま干してつくられた伝統食材だ。凝縮された旨味もさることながら、内臓の栄養もぎゅっと詰まっている。食卓に出せば、一気に本格派な味わいを演出してくれるのもうれしい。
丸干しを味わいたい人におすすめなのが、阿久根市にあるイワシビル。1939年の創業以来、地域で水産加工業を営んできた下園薩男商店が運営し、ユニークな体験を提供する複合施設だ。
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1階にはショップとカフェ、2階は製造工場という構造になっており、多彩な丸干し製品が棚に並ぶ。
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ウルメイワシをオイル漬けにした「旅する丸干し」は、オシャレなデザインが目を引く看板商品。ドライトマトやガーリックで味つけた南イタリア風、オリーブとハーブの風味が豊かなプロヴァンス風など、世界の食文化のエッセンスが取り入れられているのが面白い。
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「イワシビルではなるべく地場のものを取り入れています。2016年に掲げた企業理念『今あるコトに一手間加え、それを誇り楽しみ、人生豊かにする』に沿って、(地域の)ストーリーに一手間加えるかたちで商品やサービス開発をしています」
イワシビルにやって来るのは、丸干しを求める人だけではない。3階には宿泊施設としてホステルの空間が広がり、旅の拠点とするのにもぴったりだ。
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遊び心のあるモダンな建物に見えるが、実は地域の歴史や伝統があちこちに組み込まれているのだとか。
「イワシビルは私たちの旗艦店になる場所なので、東京の2番煎じ、3番煎じになるのは嫌だったんです。この地域にしかないものにしたくて、昔から続いている伝統技術を取り入れました。仏具などを作るFUTAGAMIさんの真鍮素材のライトを採用したり、廃校になった学校のテーブルやイスをリメイクしました」
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「ショップの什器も、干物を干す代車をリメイクしました。 カウンターは、学校の水飲み場でよく使われていた工法の人研ぎで仕上げました」
地域密着型企業が始めた施設でありながら、これまでの阿久根市にはなかった意外性のある営業スタイル。そこには地域や家業に対する下園さんの想いが込められている。
若い世代が手に取りたくなる丸干しを追求
下園さんが家業を継ぐことを意識したのは、先代が事業を畳もうとしているのを聞いたのがきっかけ。「もったいない」と強く感じ、3代目として継ぐことを決意したという。大学卒業後はIT企業に進んだが、水産系の商社に転職して業界について経験を積んだ。
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「そもそも丸干しが食べられなくなってきているんですよね。私が営業職で水産商社にいた時も、スーパーで試食販売をやりましたが、丸干しを買う人はほぼいないか高齢の方たちばかり。私の世代では丸干しという言葉自体を知らない人も多い。30年後はこの産業がなくなってしまうと思いました」
2010年11月に帰郷してからは、若い世代に響く商品開発に明け暮れた。
「丸干しというと和風な商品ばかりだったので、単純に洋風にしたら面白いんじゃないかと考えたとき、オイルサーディンが頭に浮かびました。それでウルメイワシの丸干しを使って、2013年に『旅する丸干し』を販売開始しました」
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これまでの丸干しのイメージを覆す商品開発では、どんなアプローチを取ったのだろう。
「鹿児島県庁が若手の経営者向けセミナーを開いていたんですよ。たまたま県庁の方がうちの工場に来られたときに挨拶したら、セミナーのことを教えてくれたので参加しました。商品をブラッシュアップする講座もあって、プランナーの方と一緒に『旅する丸干し』を作っていきました。 デザインにもお金をかけたり、今までとは違う業態の商品をつくるという経験になりました」
従来の丸干し商品と比較すると、価格設定は高めになった。ところが意外にも購入者からのリアクションは良かったという。
「若い女性や大学生が買いに来てくれたんです。この方向性は間違ってないと思いましたし、そこから新商品をどんどん作るようになりました」
住民も観光客も楽しめるローカルのまちづくり
丸干しのブランディングに成功したのには「若いスタッフの力も大きい」と下園さんは語る。
「現在、イワシビルの工場のリーダーをしているスタッフは、元々はイタリアンのシェフをしていました。 面接に来てくれたとき、これからは『旅する丸干し』をオシャレなお店に納品していきたいと話したら、すごく共感してくれて。入社してからは、『旅する焼エビ』というパスタソースや『焼海老辣油』などいろいろな商品を作っています」
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「そんな風に商品開発を進めていたのですが、商品のイメージを伝えるためにはお店が必要だと考えるようになりました。それでイワシビルをつくったんです」
当初の構想には、ホステル運営は含まれていなかったのだとか。
「京都から阿久根市に来られた地域おこし協力隊の方がいて、『京都ではゲストハウスが流行っているから宿泊施設はどうですか』と提案してくれたんです。私はゲストハウスに宿泊したことはありませんでしたが、『旅する丸干し』とゲストハウスは合いそうだなと思いましたし、ショップ、カフェ、工場、ゲストハウスの組み合わせはなかなか見ないので、メディアも絶対来るだろうという考えで決めました(笑)」
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「ロードバイクでイワシビルの近くを通る外国人観光客の方々もいるんですよ。 その人たちがここに泊まって、朝食に丸干し定食を食べてくれます。お客さんがほぼ海外の人でみんなが丸干し定食を食べている、なんてこともありますよ」
イワシビルを始めて以来、阿久根市を訪れる人々の変化も肌で感じるように。
「以前なら鹿児島観光といえば、まずは鹿児島市内に行って霧島や指宿等を観光する人がほとんどでした。それが最近は『鹿児島は阿久根が初めてなんです』と言う人がいたりして驚いています」
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「私はまちの灯台阿久根というまちづくり会社の取締役もしていて、道の駅の運営などをするようになりました。道の駅にコーヒースタンドとドーナツスタンドをつくったら、若い人たちが来るようになったんです。評判もいいので焙煎所も作っています。阿久根の街を歩くと(観光客だけじゃなく)自分たちも楽しめるんです。 Uターンする人や移住する人も増えてきて、どこに行っても仲間がいる感じになってきました」
地方だからこそ世界市場にチャレンジすべき
2022年9月には、鹿児島県枕崎市に新たな施設「山猫瓶詰研究所」をオープンさせた。
「山猫瓶詰研究所では枕崎の産品を使って商品開発をしています。枕崎は鰹節の産地ですが、働く人も技能実習生ばかりになってきて、工場もなくなるかもしれない。それならば、と鰹節の新しい見せ方を考えるようになりました」
レトロな雰囲気漂う山猫瓶詰研究所に足を踏み入れると、瓶詰商品を購入できるショップとカフェスペースが出迎えてくれる。地域の食材を使った「季節のピクルス」、カフェで食べられる「鰹節マフィン」など、オリジナリティあふれる商品に心が踊る。
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「建物は築120年の旧郵便局なのですが、100万円で売られていたんです。それで私が手を上げて購入しました。宮沢賢治さんの『注文の多い料理店』を思いついたんです。鰹節好きの猫が、夜な夜な鰹節などを使った瓶詰商品を作り、人間をおびき寄せて最終的には食べようとしている……みたいにしたら、面白そうだなと。宿泊スペースは、猫のねぐらのイメージです。1組限定の宿で洞窟になっています」
新たな試みに次々とチャレンジしている下園さん。ネクストステップはどんな未来に向かっていくのだろう。
「イワシビルをつくったときは、丸干しをオシャレに宣伝することがメインの目的でした。それがいろいろなかたちでできてきたので、原点に戻るというか、イワシをどう伝えていくかに重きを置きたいですね。宿泊客だけでなく、イワシビルに立ち寄った人たちにも丸干しを感じてもらえるような仕組みを作りたいです。市場の案内ツアーなどをやってみたいですね」
ローカルらしさを感じられる生業を残していくには、避けられない課題もあるという。
「人口の減少です。私が帰ってきた頃は2万人ちょっとだったのが、今は1万8000人ほど。これからも人口は減っていくので、地方にお店を作ること自体が難しくなります」
そんな中、イワシビルは新卒のスタッフ等5人で現場を回しているのだから驚きだ
「ここは正社員5人で回しています。ローカルだと正社員が少なくてパートやアルバイトで回すことがほとんどですよね。イワシビルの売上の約6割は卸販売です。旅する丸干しの卸販売がイワシビルのオープン当初からあったので、この田舎でお客さんが(都会ほど)来なくても正社員で成り立つんです」
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「世界を見るしかないと思います。小さなお店だからといって、小さく考えなくていい。うちが輸出をやっているのもそこなんです。水産原料で日本では価値を見出されていないものでも、海外に出すともっと欲しいと言われることがありますし、利益もちゃんととれる」
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「地方だからできることもあるんです。いかに地域の伝統文化の延長戦上にプロダクトが作れるか。そこからどれだけ広いお客さんに向けて商売ができるか、ファンを作れるか、ということがすごく大事になってきます」
ローカルで暮らすからこそ、地の利を生かして世界を惹きつけることができる。これからの時代のスタンダードをローカルが引っ張る可能性が、イワシビルから広がっていくようだ。