結果、好きに大きい声で歌ったりしようぜって話
今でこそ演劇やったり人前で歌ったり踊ったりしているのですが、小学3年生から人前で歌うのが本当に苦手になりまして、大学生になるまでカラオケに行くのもあまり好みませんでした。
すべてはあの音楽のテストが嫌だった。
人前で課題曲を急に歌わされるあの閻魔の審判のような時間。震えるー。
幼稚園まではマイクは離さないジャイアン田島状態だったのに。
自我、が芽生えたんですかね。これは自我なのですかね。JIGA!!KA??
しかしすごく恥ずかしかったんですよね。
低い音では出ないし出しても素敵じゃないし、高い細い声で歌うのはさらに恥ずかしかった。今もたまにその状況を思い出します。
なのに今私は歌うし踊る団体に所属しています。作品が好きだからですが、チャレンジ精神ハイオク満タンで歩んでます。
道という道を。延々と。京都の碁盤の目のような道を歩いてたはずなのに振り返ったらサバンナだった、みたいな。だとしたら最高ですね。
世界の車窓からもびっくり異世界の車窓から、ですね。
話の道に戻りますと、今思ってもあのテスト必要だったか?とは思います。
なぜかクラス全員の前で高い声出るかどうか音程取れるかどうかチェックされてる必要なんてないとしか思えない不要不急のテスト。
音大行くわけじゃあるわまいしyo。
音楽を聴いて歌でもダンスでも朗読でもそれぞれの表現をさせるとかあったんじゃないか?
そんなの余計やだよねきっと。調子乗ってすいません。
毎回ずっと晒されてる感じがして心底嫌だった音楽のテスト。緊張しかしなかった。
そもそも高い声で歌うのがやだった。
やっぱボーイッシュが売りですから。
なにがやっぱだ、いい加減にしろよ!!
はい。
誰と会話してるのかは気にしないでください。
高い声出すとイメージが(自分的に)崩れちゃうじゃないですか(自分的には)。
そのうえ、できない!!と思うと緊張して声が震えるんですよね。ビブラートじゃないんですよ。震え。
あの震える声で歌うのが本当にね地獄でしたよ。サタンよ!と思う。嘘。サタンとは思わなかった。ただ地獄だとは思ってました。
そういうのありますよね。
歌なんてずっとモノマネ以外歌えなかった。
客観性がないから似てないのに似てると思い込んでるモノマネでしたが、人の真似してると思えば歌えるんです。嫌の原因が自我だから、他人の真似なら自分薄れますからね。
本当にまどろっこしいです。
まどろっこしさで骨太になってきた人間ですから仕方ないですね。骨太ならよかった!くらいですね。
だから今もまどろっこしいです、やっぱり。
つまりもうこれからもずっとまどろっこしいでしょうねぇ。
まあいいですよね。人間だもの。
相田みつをさんもこんなところに引っ張られて勘弁してくれって言ってますか?そうですか。
歌はさ、楽しく歌おうよ。
家でもどこでも。
おっきい声で自分の好きな歌を。
それが一番気持ちいいです。
あの日の地獄を越えて今はそう思って歌ってます。
歌を歌いましょう。
きもちいから。
大きい声出すときもちいですよ。
人に向けずにね。
空とか天井とか向こうにに向けて。
それでは。また。
おやすみなさい。