読書記録 『夫のちんぽが入らない』を読んで
おはようございます😚
写真は数年前にニューヨークで撮ったもの🗽
けっこうここにどんな写真を載せるのか、考えるの楽しいですね。
さて、前に紹介したDMMブックスセールで買ったものたちを早速読み進めています。
▼これね。
今回読んだのは
『夫のちんぽが入らない』/こだま
です。
(先に言います。この読書記録、かなり長くなりそうです…)
読みたいなと思っていたらあっという間に数年経っていて、やっと読めました。
序盤は「ここの表現すごいな、面白いな」とくすりとしながら読んでいたけど、途中からだんだん息苦しくなりました。
印象に残ったのは
私は、ひとりで抱え込むことの限界を知っている。死がまとわりつく悲しみも知っている。他人からは「些細なこと」とか「我慢が足りない」という言葉で簡単に片付けられてしまうことも知ってしまった。
簡単に「わかるよ」とか「もっと大変な人もいるよ」と言われてしまう絶望感は、経験した人にしかわからないかもしれない。
ここかな。
周りとは違うこと。「ふつう」とは違うこと。
一体自分とは何なのか。私はダメなやつなのか。どうしたら周りと同じように、上手く生きていくことができるのか。
自分なりに考えてもがいて足掻いて、その上で決断して生きているところに、「どうしてできないの?」「そんなの甘えだよ、みんなもっと頑張っているよ」と言われた時の絶望感たるや。
個人的な話だと、私はたぶん生き方がへたくそで、母が当時思い描いていた「ふつう」とはちょっと違っていたように思います。
私はそんな自分がどうしようもなくダメなやつに思えて、「産まなきゃよかった」と母から投げかけられた言葉にただ涙することしかできませんでした。あぁ、私がいけないんだと。
追い詰められ、陶芸家が感情に任せて壺を割るように私を床やアスファルトに叩き付けたこともあった。私の頭部は歪み、火がついたように激しく泣いたという。その話を母から聞かされるたび、私は失敗作としてこの世に生まれてきたのだと思った。壺のように粉々になってしまえたらよかった。
なので、とくに大学生の頃は母とひどくぶつかってばかりでした。
そして私も自暴自棄になって、色んな人とセックスしていた時期もありました。おかしかったんだろうね。
世の中の、誰かの「ふつう」じゃなくて、「私」という一人の人間をただ見てほしかった。
いつも何だかたまらなく寂しくて、求められるがままセックスをして、結局虚しさだけが残った。
私も、結婚だとか出産だとか遠いことのように思っていたし、何の憧れもなかった。何の希望も見出せなかった。
読みながら、そんなことを思い出してしまいました。本当に、苦しくなりました。
けど、私もこだまさんのように、人の「ふつう」とは違くてもいいんだと思えて、少しずつ見えない呪いから解放されていったように思います。
それは私の母も。
「ちんぽが入らない」を始めたとした、人の「ふつう」とは違うとされたことたち。
けど、それを経験したからこそ、今の人生を生きる目の前の人の背景を思いやれる。軽々しく、それは違うよだなんて言えないでいられる。
こだまさんが言ってくれたように、私も生きてきた意味があったのかなと思うと同時に、一人で苦しんでもがいていた過去の自分を「よくぞ生き延びてくれた!」と抱きしめたくなりました。
長々と書いたのに、こんな最後まで読んでくれてありがとうございました。
それでは皆様、今日も生きてやりましょう✌︎
またね〜〜!