こんにちは、某スポーツ関連会社に勤め、某社会人サッカークラブで企画/運営をしながら、スポーツの本質的な価値とクラブチームが成せる唯一無二の価値に魅了され、某共育関連企業を立ち上げようとしている Taisei です。
今回は、「運動は成長の原点」ということで、運動と学習について少し整理したいと思います。
昔から使われている「文武両道」ということば
文武両道(ぶんぶりょうどう)とは、文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、優れていることを指す語。求道的な評価にも用いられる語である。変わって、現代では勉学と運動(スポーツ)の両面に優れた人物に対しても用いられる。(Wikipedia)
このように、今は特に学校教育の中で、成長に欠かせない「勉強と運動(部活動)の両立」という意味合いで耳にすることが多いのではないでしょうか。
「文事ある者は必ず武備あり」という言葉が『史記』には記されている。文武は一方に偏ってはならないという意味である。
「文と武は元来一徳であって、分かつことができない。したがって、武なき文、文なき武は共に真実の文ではなく、武でもない」、江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹は言っている。(Wikipedia)
そして、元々の意味合いからくるこの「文と武は分かつことができない」、というところは非常に大事なポイントですね。
学力と体力の関係
「勉強」と「運動」の相乗効果については、既に多くの研究で実証されていて、運動によって脳(主に記憶を司る海馬や集中力・判断力の46野)が刺激されて、結果的に学習能力の向上にもつながる、ということが言われています。
また、基礎から応用へ、諦めない心、得られる様々な経験(成功や挫折)、普段触れることの多い運動から学習に活かせる部分も非常に多く、それも成長させてくれる大きな要素になっているのは間違いないですね。
まさに、文と武は分かつことができない、というのが実証されているのだと思います。
さまざまな疫学・実験研究により「運動ができると勉強もできる」という相互関係が実証されています。実際に、日本よりも“二刀流”が進んでいるアメリカのハーバード大学はオリンピック選手を200名以上輩出しており、オリンピック出場後に弁護士や医師になる人も珍しくありません。
また、アメリカで行われた研究によれば、カリフォルニア州の小・中学生を対象にした調査「カリフォルニア州の体力と学力の相関関係」によると、「運動能力が優れた子は学力テストの結果も同様にいい」という結果も出ています。イリノイ州で実施された別の研究「小学生の全身持久力と算数・読解テストの成績との関係」では、テスト中の子供たちの脳波は運動後も活発だったという結果も出ました。これらの研究は、運動による刺激や体力の向上が、記憶や認知、論理的思考の構築や集中力と関係があることを示しています。(スポーツ庁)
2013年12月に発表された「PISA」(国際学習到達度調査)の結果は、スウェーデン国民にとって非常にショッキングなものでした。上位を占めた韓国や香港に大きく差をあけられただけでなく、OECD(経済協力開発機構)加盟国の平均点を下回り、北欧諸国の中で最下位という凄惨たる結果だったからです。
現状を打破すべく、教育関係者の間では活発な議論がなされましたが、そこで出された提案のほとんどは、「指導法」や「クラスの人数」といったもの。しかし科学はこの種の議論が誤りであることを立証しています。子どもたちの学力に影響を与えるのは、教室で座って学ぶ内容だけでなく、むしろ身体活動こそが、学力を驚異的に伸ばす要因であることがわかってきたのです。(東洋経済)
文武両道、最も大きな原動力は「好き」になること
ただ、残念なことに、子供たちが自由に遊んで運動する機会が昔に比べて減少しているのも事実だと思います。自分が小学校の頃は、放課後によく学校に残って校庭で遊んだり、近所の公園や広場で遊んだりしたものですね。
生活環境の変化で子どもが自由に遊んだり学んだりする機会(時間・空間・仲間)が減り、学校側も多様化・複雑化する多くの課題への対応で、そういったカリキュラムの着手へ中々手が回らない状況だと思います。
一方で、学習塾や専門競技に特化した地域スポーツクラブはより充実し、それらの加入時期もより早くなっている傾向にあると思います。もちろん、専門的な分野を専門家から学ぶ機会が増えたのは良いことですが、注意しないと、色々な世界に触れる機会が減ってしまっている、とも言えますし、より専門的かつ結果を強いられる環境下では、運動や学習に対するプレッシャーも感じやすくなったり、運動は運動・学習は学習という区分けが出来てしまっている、可能性も高いのではと感じます。
成長に欠かせない運動と学習、本来は分かつことなく成長を実感できる「楽しい」ものであるべきだと思います。そのためにも、かつて「地域」が担っていた、子どもが自由に遊んだり新しい何かを発見したりできる「環境」を提供し、学校や専門機関が埋められない部分を補完し、一緒になって、子どもたちの「好き」を増やしてあげること、が大事だと考えます。
「好き」が原動力となり、主体的に取り組むことで運動や学習が習慣化し、それぞれの相乗効果でより成長していく、そんなサイクルを学校や専門機関とともに、まさに「共育環境」として作っていけたらと思います。
では、また。